第八話
暗い夜道、あたしは鼻歌を歌いながら歩いていた。
「ふんふ~ん♪」
はたから見れば、今のあたしは上機嫌で、今にも躍り出しそうな雰囲気に見えることだろう。
実際、そうだ。
ついさっき、いいことがあったから、機嫌がいい。
口のにやけも止まらなかった。
「まさかあの兄貴がゲームをやるとはねぇ……」
子供のころから慕ってきた兄。
小学校まではあたしは本当にブラコンだった。
しかし、中学校に入ってから、だんだんとあたしは年相応の振る舞いを求められ、兄離れせざるを得なくなった。
あたしの友人はみな、兄弟姉妹と仲良くはしていないという。
暇があれば兄貴に構ってもらっていた自分からすれば、到底信じられないことだった。
しかし、話を合わせた。
自分も兄のことは大嫌いであり、家では全く会話もしないし、ただうざいだけの存在だと。
あることないことを言って、兄の存在を貶めた。
今考えれば、くだらない同調圧力だった。
罪悪感に苛まれそうだったが、何とか耐えた。
どうせ学校でだけ適当に兄嫌いを演じておけばいいのだ。
家ではいつも通り兄と遊べばいい。
そう考えて、耐えた。
ところが。
ある日曜日、いつも仲良くしている友人グループと買い物をしている最中。
兄と鉢合わせた。
そして、声を掛けてきた。
『よう、葉月。友達と遊んでるのか。小遣いをやろう』などと、フランクに話しかけてきたのだ。
学校では兄と仲が悪い妹であると、皆に合わせて言っているため、私は思わず言ってしまった。
「うっさいクソ兄貴! 話しかけんな!」
声を荒げるあたしに、兄貴は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
そして少しだけ悲しそうな顔をして「そうか」とだけ言って兄貴が去ってしまったときには、自分のしでかしたことのバカさ加減に吐きそうになっていた。
というか、実際吐いた。
その日家に帰ってからも、流石に会話は生まれなかった。
以来、あたしと兄貴は段々と疎遠になっていったのだ。
と、まあ。
あたしの自分勝手極まりない都合で、兄貴を傷つけてしまった。
しかし、これでいいのだ、と考えた。
ちょうどいい、これを機会に兄離れしよう、と。
そう考えた。
兄貴に構ってもらえない日々は辛かったが。
一年も経てば慣れてきた。
けれど。
あの日のことは謝りたい。
何も悪くない兄貴に、酷いことを言ってしまったことを。
優しい兄貴は、きっと許してくれるだろう。
そもそも気にしてない可能性すらある。
学校では一番の成績らしい、賢い兄貴ならばあたしのガキ丸出しの事情を、察してくれているかもしれない。
でも、謝らなければならない。
でも、機会がない。
普段の生活の中でわざわざ謝罪をするというのは、なかなかにハードルが高かった。
あたしの精神年齢が幼いのもあって、素直になることも難しかった。
それに、最近の兄がどんな感じなのかが分からなかった。
どういうことが好きで、どういうことが嫌いなのか。
仲が良かったころと同じように、接していいものなのか。
もし、突っぱねられたらどうしよう、とも思った。
ズルズルと引きずったまま今まで生活してきてしまったが。
今日、兄貴の方からあたしに歩み寄ってきてくれた。
ゲームをしている最中にいきなり声を掛けられたからびっくりしてビンタしてしまったが、特に怒らず、そのまま話を続けた。
何でも、兄貴の友人の女の子がゲームのことで相談に来たらしい。
一瞬のろけ話かと思ってイラッとしたが、そうでもないようだった。
謝るチャンスだと考え、兄貴の頼みを引き受けた。
しかし、なかなか謝罪の言葉がでてこない。
むしろ、相変わらずのそっけない言葉遣いが出てきてしまう。
兄貴が、部屋から出て行こうとする。
この機会を逃したら、このまま兄貴と仲直りするチャンスはやってこないかもしれない。
あせって、謝る方法を考えて――天啓があたしの頭に舞い降りた。
兄貴にも、ゲームをさせよう。
あたしが今ハマっているDMOを。
兄貴にもプレイさせようと考えた。
こんな面白いゲームに夢中にならない人間などいない。
このゲームを通じて、兄貴と仲直りしよう。
そして、兄貴にヘッドセットを貸し与え、あたしはしばらく外出した。
「そのうち兄貴にもVRセット買ってもらって、二人でプレイしよーっと」
コンビニで買った、『宴』用のお菓子と炭酸飲料が入ったビニール袋を揺らしながら、帰途に就く。
兄離れをしようという考えは、とうの昔に吹き飛んでいた。
あたしが兄貴に謝罪をして、兄貴もゲームをするようになって、最後は仲良く協力プレイをするのだ。
また、兄貴と一緒に遊べると思うと自然と笑みがこぼれた。
「ただいまー」
思わず、上機嫌のまま家に帰り、ただいまの挨拶をしてしまう。
たまたま廊下にいた母と目が合った。
「あら、ご機嫌ね、はーちゃん」
「う、そんなことないし!」
恥ずかしい。
急いで靴を脱いで、階段を駆け上がり、自分の部屋へ。
ビニール袋を適当にそこらへんに置き、上着を脱いで、ハンガーにかける。
季節は11月の下旬。
もうじき冬なのもあって、部屋ではすでに暖房を入れていた。
ベッドには、ゲームの世界に没入している兄貴の姿。
毛布もかけないでプレイしているが、寒くないのだろうか。
「兄貴があたしのベッドで寝てる……うへへ」
と、あぶない。
変なことを考える前に、宴の準備だ。
一旦一階に降り、台所からマイマグカップを取ってきて部屋に戻る。
机にマグカップを置いて、トクトクシュワー、っと。
炭酸飲料を注いで、椅子に座る。
「確か、ゲームの様子ってパソコンで見れたよね……」
ゲーム機が使っているのはこの家で共通のネット回線なので、あたしのノートパソコンでも兄貴のプレイを動画で見ることができる。
「宴をしながら、兄貴のゲームを見物といきますか」
ニコニコしながら、あたしはポテピの袋を開けた。
DMOのアプリで、フレンドのゲームプレイを観覧できるというものがある。
フレンドだけではなく、同じヘッドセット内で保存されているアカウントのプレイ状況も確認することができた。
それを使えば、兄貴のゲームプレイも確認できる。
何回か友人のプレイを観戦したこともあるので、使い方は理解していた。
「これでよしっ、と」
兄貴が現在頭に装着しているヘッドセットと回線がつながる。
ゲーム内の映像を映し出すには、少しロードの時間がかかる。
鼻歌を歌いながら、ビニール袋を漁り、レーズンのカップアイスと小さい木のスプーンを取り出す。
この時期に食べるアイスの、なんと美味しいことか。
蓋を開け、ちょうどよく溶けたアイスをスプーンで一口分掬う。
口に入れようとしたところで、画面が立ち上がった。
(お、きたきた)
アイスを口に入れ、スプーンを口にくわえる。
右手でマウスを操作して、左手でキーボードを操作して。
見やすいように画面調整をして。
兄貴がどんなプレイをしているのかを見た。
「…………え?」
画面に映っていたのは。
一心不乱に敵を殴り続ける兄貴の姿だった。
ショッキングな映像に、口にくわえていたスプーンが落ちる。
「な、何してんの……?」
兄貴はどうやらチュートリアルを終え、ちょうど最初のダンジョンに転移した、と言ったところだろう。
そこまでの状況は理解できる。
しかし。
そこからが全く理解できない。
「えぇ……? こんなの、あたしの知ってるDMOじゃない……」
兄貴は、敵を見つけては凶行に及んでいた。
恐らくそこらに生えている木から採取したのであろう枝を、不意打ちで後ろから敵に突き刺し、驚きで暴れるモンスターを銃の柄で殴りまくる。
凡そ現代人の戦い方とは思えない、一種の蛮行だ。
「原始人……?」
そんな言葉が、思わず思いうかんだ。
実際、そうとしか形容できない。
「……——っていうか!」
兄貴が狂ったように殴っている敵。
兄貴の蛮行に気をとられて気づくのが遅れたが。
「マッドモンキー!? なんでこんなのと戦ってんの!?」
マッドモンキー。
白く、汚れた毛むくじゃらの猿のモンスター。
確か、レベル2のモンスターだったはず。
初心者である兄貴が相手にしていい敵ではない。
このゲームは理論上、プレイヤー同士であればどんな格上相手にでも勝つことは可能である。
レベルという概念が存在せず、武器の要素を考慮しなければ肉体の能力としては互角だと言われているからだ。
しかしながら、モンスター相手となると話は違ってくる。
モンスターはプレイヤーよりも強力な肉体を持つ個体が多い。
一応、このゲームの最低ダメージは1だから、攻撃を当てれば体力は減る。
けれど、恐らく今の兄貴がマッドモンキーを殴ることで与えられるダメージは2か、3くらいだろう。
「まあ、銃で殴ってるからもうちょっとダメージは上がるのかな……?」
それにしたって、普通は考えない。
銃を鈍器として扱うバカが、どこにいる。
弾数が無限であるにも関わらず、何故引き金を引かない。
「まさか……リロード方法が分からない、なんてことはないよね?」
自分は最初の武器として剣を選んだから銃については詳しくは知らないが、最初に支給される銃の情報は友人の一人が使っていたので知っていた。
《木の銃》
ランク:1
追加効果:なし
使用可能弾薬:木の弾(無限)
確か、こんな感じだったはずだ。
マガジンを抜いて、ホルダーに腐るほどある弾丸を込めて、もう一度装填するだけ。
初心者はマガジンの替えがなく最初は苦労するが、そういうリアルなところが銃好きにはたまらない、とは友人の談だ。
なのに。
兄貴は、マッドモンキーを殴る。
奇声を上げながら、殴る。
普段の冷静沈着な兄貴からは想像もつかない姿に、あたしは呆然とするばかりだった。