第七話
「——蜜を吸う」
霧の深い、青白い森林。
水草が繁茂する鏡面のような湖に映る恒星は、一人の歌姫を照らしていた。
「——蜂の、ように」
黒髪を闇に馴染ませ、体でリズムを取りながら歌う少女。
さながら子守唄のような拍子に体を揺らすのは木々のざわめきのみだった。
「——蜜を飲む、赤子の、ように」
目をつむって、口だけを動かす。
眠りながら、彼女は歌う。
杖を抱え、幻想的なメロディーを奏でている姿は、絵画のモチーフにさえなるかもしれない。
それほどまでにその一枚のシーンは、美しかった。
「優しいキスを――あなたは――」
そこまでで、歌は止む。
瞼を開け、しゃがんでいた体を起こす少女。
その瞳は、黒髪に似つかわしくない金だった。
「……来た」
地面の奥底から、地響きが足に伝わる。
水面が揺れ、水草も揺れ、大樹が揺れる。
「今度は、勝つ」
決意を秘めた金色の瞳は、誰も寄せ付けない孤独の輝きを放っていた。
「キィイイイイイイイイイ!!」
「本当に……化け物」
バゴォン、と巨人のような大木を根っこから吹き飛ばし、『そいつ』は現れた。
その化け物の踏みしめた場所はドブの色に染まり、植物を腐らせてしまう。
大きく発達した顎が、ギチギチと大木を挟み――こちらに投げ飛ばしてきた。
「っやあ!」
予想外な攻撃に、判断が一瞬遅れる。
横に思いっきり飛び跳ねるが、衝撃によって発生した石礫で肌を割かれてしまった。
次に飛来してきたのは鋭い刃のような脚だ。
無数にうごめく、カミソリ並みの切れ味を持った脚の一本が少女を襲う。
彼女は持っていた杖を、バッティングセンターでバットを振るのと同じ要領でぶん回した。
「はぁっ!」
金属を叩くような感触。
なりふり構わない攻撃だったが、鋼の甲殻には効果は薄かった。
「きゃぁ!」
鮮血の代わりに飛び散ったのは、光のエフェクト。
左腕が消失する。
――また、ダメなの?
ゲームの概要も知らず、けれど楽しそうだから、という理由で買ったゲーム。
その正体は、ふざけた難易度のクソゲーだった。
なぜ、こんなものに日本中の少年少女、青年淑女たちはハマるのか。
まったく理由が分からなかった。
(でも、負けたくない。ゲームの中でも負けるなんて、絶対に嫌……‼)
その一心で、彼女はこれまでこのゲーム、Dungeon・Master・Onlineを続けてきたのだ。
「今度こそ……絶対……‼」
その言葉を最後に。
彼女は121回目のゲームオーバーとなった。
… … … … …
青空の下で、目が覚めた。
「森……というより、遺跡か?」
周りを見渡すと森林が広がっていたが、地面に手をつくと固いゴツゴツとした感触が返ってくる。
正面の森の奥の方に目を凝らすと、石造りの建造物が見えた。
立ち上がり、辺りをうろついてみると森でおおわれていた視界が晴れる。
「……すっげ」
視界に広がるのは、断崖絶壁から見下ろす山脈と河川の風景だった。
今俺が立っている地面は崖の縁で、少しでも足を前に出せば、エキサイティングなヒモなしバンジーだ。
だが、抱いたのは恐怖心ではなく、感動。
絶景に対する、感嘆だ。
霞立つ峡谷に囲まれた河川は、俺の立つ崖の真下から流れているようだった。
恐らく、洞窟のようなものがこの崖のふもとにあるのだろう。
そこから流れてきているのだ。
「……この美しさは現実ではそうそう味わえないな」
俺はある程度景色を堪能した後。
自分の身なりを確認した。
着ているのは安っぽい布か何かでできた服だ。
上下のデザインはそろっているが、一昔前のヨーロッパの寒村の村人が着ていそうな衣服だった。
靴も履いており、足が傷つくといったこともない。
ただ、靴下がないのが違和感だったが。
「ん……? 腰になんかついてる」
革製のホルダーに、木製で出来た何かが入っている。
ホルダーから引き抜いて確認してみると、やはりというか、銃だった。
ただし、さっきまで白い空間で使っていた白い銃身ではなく、おもちゃ同然のとても『武器』とは呼べない代物だった。
「弾ちゃんと出るのかこれ……?」
そう思い、銃を軽く構える。
狙いは近くに立っていた木の枝。
手ごたえの薄い引き金を引くと、パスン、という音がして枝が折れ、地面に落ちた。
「……しょぼ」
期待外れもいいところだった。
これならエアガンとかの方が威力が高い気がする。
心もとない威力でも、一応は銃。
ホルダーにしまい、しかしいつでも取り出せるようにしながら。
俺は周囲を探索することにした。
20分ほど探索すると、分かってきたことが幾つかある。
まず、この遺跡らしき場所……イメージとしては、世界遺産のマチュピチュが一番近いだろうか。
この遺跡には、『人ならざるもの』がたくさんいた。
最初に遭遇した時は驚いた。
キョロキョロ辺りを見渡しながら、新鮮な光景を目にしていると、ギョロっとした目玉と目が合ったのだ。
明らかにヤバそうな生き物だったので思わず素手でぶん殴ってしまったのだが、余りダメージがなかったようで反撃された。
フクロウのような怪物で、身体が人間の子供ほどもあり、眼球は血走っていた。
結局、今の俺では勝ち目が薄いと判断して逃亡。
うまく逃げ切ることができた。
しかし、逃げた先にも同じように化け物がいた。
今のところ何とか見つからずにやり過ごせているが、どうしたものか。
「それに、この紋章……」
俺の左手の甲には、見慣れない紋章が刻まれていた。
銃と、それを取り巻くバラのような植物を描いた紋章だ。
左手に少し力を込めて見つめると、それが少し黄色く光る。
ただし、見つめている時だけ。
視界から外したり焦点を合わそうとしないと光ることはなかった。
「だいぶ謎だな」
分からないことだらけ。
まさにその一言に尽きた。
「ひとまずはダンジョン攻略を目標にって言ってたけど……」
恐らくは、今俺がいる場所。
ここがダンジョンなのだろう。
そして、攻略方法はダンジョン主の撃破。
これは推測だが、今現在もそこら辺をうろついている化け物の親玉がきっといて、そいつを倒さなければならないのだろう。
「こんな装備でか……」
頼みの綱である武器も、ゴム鉄砲みたいな銃だけだ。
あとは、おのれの拳のみ。
「ひとまず、あの怪物たちにどれくらいこの銃が効くのか試してみるか」
姿勢は前向きだった。
当然の疑問をまずは解消することにする。
おもちゃの銃でも、やつらにダメージが通るかどうか。
「あの猿みたいなやつでいいか」
壁に寄りかかるようにして眠っている毛むくじゃらの生き物。
全体的に小汚く、ザ・野生って感じだ。
遺跡内は迷宮のようになっており、壁と石畳だけで作られていた。
たまに天井のある場所もあるが、ほとんどは欠落している。
猿の怪物がいたのも、天井がない場所だ。
俺は猿が寄りかかっている壁の隣の壁の陰から、猿の様子をうかがっていた。
(弱点は……起きた瞬間に目とか狙えばいいか)
猿が完全に寝ていることを、小石を猿の前に投げても起きないことで確かめ、標的に近づく。
1メートルも離れていない距離で、俺は銃口を猿の眼球目前に置いた。
5分ほど待って。
やがて、違和感を感じたのだろう。
猿がゆっくりと瞼を持ち上げた。
その瞬間、俺は引き金を引く。
――スパン!
「ギャア!?」
のけぞり、勢いで壁に頭をぶつける猿。
黒い粒子が飛沫のように上がったが、俺はそこで手を止めない。
銃身がぶれないように呼吸を止めて、両手で小さいグリップを握って撃ちまくる。
猿が起き出したあたりから心臓の激しい鼓動が止まらないが、構わずに撃つ。
そして、合計十発ほど撃ったところで。
――カチカチ。
「……弾切れ早!?」
たった十数発撃っただけで、弾がなくなった。
チュートリアルの時に貸し出してもらったやつは、少なくとも30発は撃てたのに。
銃という武器の弱点。
弾がなければ何もできない。
「——とでも思ったかオラぁ‼」
チンピラのような雄叫びを上げて、俺はグリップではなくーー銃身の方を握り猿をぶん殴る。
「ギャッ!?」
普段の自分であれば絶対に出さないような声で叫んで、全力で銃でぶん殴り、たまに蹴りを入れる。
猿は何もできずに、黒い粒子をまき散らしまくり――やがて、最後の一発をぶち込むと、全身が黒い粒となって消えた。
「はぁっ、はぁっ、思ったより、タフだな……!」
複数を相手にするとなれば、この戦い方ではまず勝てないだろう。
というか、相手が万全の状態であれば一対一ですら勝てるかどうか怪しい。
「しかもこの銃、鈍器として扱った方が威力高い気がするんだが」
銃は、流石に割りばしとかでできているというほどちゃっちいものではなかった。
これで人の頭部を殴れば、十分重傷は与えられるだろう。
それくらいには、固かった。
「……弾の補充の仕方も分からんし、もうこれでいくか」