第六話
白い、何もない空間。
先ほどまでは、一人の少女と、一人の少年。
ついでに、一体の骸骨。
三人の人型がいた。
今、この白い場所にいるのは少女一人。
それからもう一人、男が立っていた。
「……あんな感じでよかったのですか、マスター?」
「上出来だ」
少女――メルメルが男に対して投げかけると、彼は淡々と答えた。
「でも、どうしてあの子にだけ特別なチュートリアルを?」
「彼に限らず、必要があればチュートリアルの内容は変えるさ」
「しかし、ここまで内容を変えたことは一度もないはずです。説明事項についても、『戦闘』に関わること以外はほとんど説明してないですし。ダンジョン経営についても、何もお話ししてないですよ?」
ウサギの耳をピョコピョコと動かしながら、メルメルは自らがマスターと呼ぶ男に疑問をぶつける。
そんな姿に、男は微笑ましい気持ちを抱きながらも、質問に答えた。
「彼はVRMMO初心者だ。あまり多くのことを今説明しても、理解しきれないと、お前も自分で言っていただろう」
「だとしても、もう少し丁寧に説明するべきでは?」
「それに、彼自身も早くゲームを始めたがっていたのはお前も察していたはずだ」
「むー……」
頬を膨らませて非難するような目線を男に送る。
肝心なことをはぐらかされているようなもどかしさ。
そんな気持ちを彼女は抱いていた。
メルメルが頬を膨らませながら苛立つ様子を見て、男はこらえきれないように笑ってしまう。
当然、メルメルの怒りに油を注ぐことになってしまうが、それも構わないといった態度だ。
「マスター!」
「ふふ、すまない。からかってしまった。
……実は、彼には素質を感じたんだ」
「素質……? 何のですか?」
「このゲームのプレイヤーとしての素質はもちろんだが、もう一つ。私がDMOのプレイヤーたちに求めている素質だ」
「……それは一体?」
首をかしげるメルメルに、男はさてどうするか、と頭を悩ます。
彼にとって、メルメルは子供だ。
娘、と言ってもいい。
であれば、男は彼女の父親にあたる。
メルメルは『マスター』と呼んでいたが、男と彼女の関係は実際のところ、主従関係ではなく親子関係だ。
男は、DMOという、日本中で大流行してもはや一種の社会現象となっているゲームの製作者であり、かつとある業界での権威でもあった。
その業界では、彼のことを知らない人間などいない。
人の感情を持ち合わせるAIプログラムを作れるエンジニアなど、この世界には一人しかいないのだから。
彼――最上祭は、メルメルの父親だ。
親は、子の成長を願うもの。
今ウサギの耳をせわしなく動かしている少女を成長させるためにはどうすればいいか。
それを考えていた。
「メルメルは、何の素質だと思う?」
「……分かりかねます」
「そうか……ではなぜ、DMOをプレイすることが彼にとって一つの転機になると?」
「それは……脳内スキャンで彼の記憶や思考を読み取った際、彼の闘争心の強さを感じ取ったからです。DMOではダンジョン攻略がメインの要素になるからこそ、彼のような負けず嫌いで、かといって失敗することを恐れないタイプの人はDMOに向いているのでしょう」
「その通りだ。DMOではトライ&エラーを繰り返す力が要求される。そのようなシステムに、私が設定したからな。しかし、それだけが理由じゃないはずだ」
「……えっと、彼は不思議なくらい日常というものに対して退屈を覚えている様子でしたので。まさしく非日常を体験できるDMOは彼の求める場になるだろう、という考えからあのような発言をしました」
「……正解だ」
満足そうに、父親は頷く。
対して、娘の方はクエスチョンマークを頭に浮かべている。
今自分がした回答の、どこが正解なのかとでも言うように。
「彼は、相当頭のいい少年なのだろう」
「はい……高校一年の夏の全国模試で5位。数学と国語に至っては1位という驚異の成績でしたね。きっと将来の選択肢に不自由を覚えることはないでしょう」
「そうだな。出世は、間違いなくできる。だが満足する人生は送れまい」
最上祭は、横山真希という少年を分析していた。
普通の少年――と呼ぶにはその能力は周囲と比較して卓越しすぎている。
身分そのものは公立の高校生というありふれた身分だが、全国模試でトップ10に入るのは尋常ではない。
それほどの学力がある上に、人格の部分もそれほどに問題はない。
欠点はせいぜい、興味のないことに対して無気力なことぐらいであろう。
将来の進路に困ることはまずありえないはず。
それにもかかわらず、最上祭は否定した。
彼の将来の幸せを。
もちろん、メルメルは納得しない。
「どうしてでしょう?」
「人より優れているということは、人より多く知っているということだ。
その対象は単純な知識だけではない。
『感情』を知りすぎている、というのも問題なのだよ」
これをすると楽しい。
あれをするとつまらない。
高校生にもなれば、おおよその判別はつくだろう。
憧憬、罪悪感、感動、もののあわれ、哀愁。
幼いころは言葉で表せないそういった難しい感情も理解し始める。
そして、賢い者は『飽きてしまう』。
すでに味わったことのある感情。
もし、その感情を得る際に労苦が伴えば、もはやその感情に興味を失う。
そんな話を、諭すように彼は話す。
「それでも、人間が失うことがないのは負の感情だ。
『退屈』はなくならない。
そして、『退屈』をどうにかできるのは、負けず嫌いの彼の場合は『悔しさ』という負の感情だろう。
しかし彼の周囲には敵になるものがいない。
だからこそ、負けず嫌いという本来その者を成長させる力が、機能しない。
さらなる高みを知ることがないまま、人生を終えてしまう」
誰にも負けないのだから、成長のバネとなる『悔しさ』を得る機会がなくなる。
つまり、今の横山真希の状態だった。
「しかし、全国模試では総合では一位を取ってませんでしたし……完全に周りより勝っているとは言えないのでは?」
「彼は、努力をしていたか?」
「——」
「全国模試で、5位という立場を、喉から手が出るほど欲していたか?」
「……なるほど、そういうことなんですね」
「どういうことなんだ?」
父親の真意に気付いたメルメルは、その気づきが正しいものかどうかを確かめる父の質問によどみなく答えた。
「人間は、努力をしなかった物事の勝敗には、感情を覚えない」
「厳密には、『強い』感情は覚えない。自分が誠心誠意取り組んでいた物事……例えば、普段から熱心に勉学に励んでいる者が、それこそ模試などといったテストで高い点数を取れなければ、当たり前だが悔しさを覚える。
彼にとってさらに都合が悪いのは、彼自身自己のポテンシャルの高さを理解していることだ。
努力をすれば届いてしまうということが分かり切っているから、努力をする意義を感じられない」
ところが、と最上祭は続ける。
「——このDMOで、彼の能力は通用しない」
大人特有の、悪い笑みを浮かべながら。
彼は言い切った。
「それは、彼にとって幸せなことだろう。
彼が現在手にしているそのままの刃が通らないことに、彼はすぐに気づくだろう」
「なぜ、言い切れるんです?」
「……秘密だ」
「ええ!?」
一番重要なところをはぐらかされた!
そんな反応をメルメルがすると、男はゲラゲラと笑った。
「まあ、そう怒るな。難しい話はこれで終わりだ」
「もう……マスターのいじわる」
「それよりも、彼はどのダンジョンに転移したんだ?」
「あ、ちょっと待ってください。今確認します」
メルメルの前に、薄いやや透明な液晶が浮かび上がった。
彼女はそれをタッチ操作し、DMOのデータを調べる。
「あったあった。えーっと、マッキー様はですね……え?」
「どうした?」
「い、いえ。何でもないです」
「——ダメだ。言いなさい」
「ひ、ひいっ!」
メルメルの様子は明らかにやましいことを隠す類のものであった。
父親は言わずもがな見逃さない。
何度も言うが、父親は娘の成長を願うもの。
時には厳しくしかる必要があるのだ。
「じ、実は……」
かくかくしかじか。
メルメルは父親に打ち明けた。
「ダンジョンのダブルブッキング……だと?」
ダンジョンのダブルブッキング。
それはつまり、DMO内で最初に割り当てられる、いずれはそのプレイヤーのダンジョンになるであろうダンジョン内に、二人の新規プレイヤーが配属されてしまった、ということ。
要するに、
「バグが起きたのか……」
「は、はいぃぃ……ごめんなさい。私のミスですぅ……」
シュン、と分かりやすくうなだれる娘の姿に、父親は特に怒りは覚えない。
システム上のバグであれば、むしろ製作者である自分の責任だ。
「いや、このバグに関しては俺の責任だろう。気にするな」
「うぅ……でも」
「それに、案外そのダンジョンに飛ばされた二人にとっても悪い事態ではあるまい」
「……というと?」
「どうやら、お互い初心者みたいだからな。先にゲームを始めたのはこっちの女の子の方みたいだが……ダンジョンに転移してから一か月以上経っているにも関わらず、攻略できていない」
「あ、本当だ……」
メルメルの隣から液晶を覗き見た最上が言う。
「プレイヤー名、nagisa……本名か、珍しいな」
「なんでも、ゲームの中でくらいは本当の自分でいたい、だそうです」
メルメルがチュートリアルを担当したプレイヤーの一人だったため、彼女は会話の内容を思い出す。
なかなか特殊な事情の持ち主だったが、いまだに最初のダンジョンを攻略できないとなるとこういったゲームは苦手なのだろう。
どういう武器を選んだかとかは忘れた。
AIのくせに、忘却は彼女の一つの特技であった。
「まあ、どうにかなるだろう」
結論、放置。
起きてしまったミスに関しては寛容であるべきだと、彼は信じていた。
やがて、話すこともなくなる。
娘が少しずつ成長してるのも確認できたし、最上祭はメルメルに対して背を向けた。
「では、後は頼んだ。私は仕事に戻る……あぁ、あとそうだ」
「はい?」
「さっき、横山真希の能力がDMOでは通用しない、と私は言ったな」
「えっと、はい、そうですね。断言しておられました」
「何故か、教えてやる。それはな……」
——このゲームを作ったのは、私だからだ。
誰よりも自らの能力に自信を携えた男は、力強くそう宣言して。
白い空間から姿を消したのだった。