第二十話
規則的なリズムで淡々とつむがれる声が途切れ、あたりからざわめきが徐々に広がっていく。
変化を感じ取ったところで自然に意識が覚醒し、俺は顔を上げた。
「……昼休みか」
友人と机を囲い、昼食を広げだすクラスメイトや購買にでも行くのか隣の席の生徒が教室を出ていく光景を目にして時刻を悟る。
目をこすり、欠伸をして、机に突っ伏していたせいで凝り固まった筋肉をほぐすために伸びをしていると声を掛けられた。
「珍しいな、マッキー。お前が寝るなんて。学年一の秀才も、ついに不良デビューか?」
「あながち間違いじゃないかもな」
言うと、友樹が意外そうな顔をした。
「どうかしたのか」
「俺もDMO始めたんだよ」
「はぁ!? マジで!?」
「声がデカい……」
俺がゲームをする、というのは友樹にとって相当「らしくない」ことだろう。
俺自身、ゲーム機を買ってまでDMOをやることになるなど想像もしていなかったことなのだから。
「一大ニュースだな、それは。やっぱり葉月ちゃんの影響か?」
幼馴染だけあってなかなか察しがいいな。
俺は頷き、葉月の反抗期に対処するために俺もDMOを始めたという経緯を説明する。
「……と、そんなわけでミイラ取りがミイラになった、みたいな状況になったわけだよ」
「妹に甘いな。このシスコンめ」
「あ?」
にやにやしながら言われたので睨みを利かせるも、友樹はからかう姿勢を崩さない。
「普通はそんな遠回りな方法選んでまで妹の反抗期に干渉するやついないって」
「つっても、他に方法も思い浮かばんしなぁ」
「そもそも反抗期のメスに関わろうとするとか自殺行為だろ。気を付けろよ。DMOでも繁殖期とか発情期のモンスターは凶暴でレベルが通常よりも1か2は上がる」
「いや、知らんけど……人の妹をモンスター扱いすんなよ」
ゲーム脳な友樹はしばしばリアルにゲーム内の事情を持ちこんでくる。
現代っ子な発言に呆れていると、急にずいっとこちらに身を乗り出してきた。
顔が近い。
「で、それよりもどうだ? DMO、プレイしてみての感想は?」
「滅茶苦茶リアル。あと、滅茶苦茶ムリゲー。それと顔近い」
顔を押しのけながら端的に感想を述べる。
DMOをプレイしてみての感想でまず最初に思い浮かんだのは、その圧倒的にリアルなグラフィックとリアルな五感。
仮想現実の完成形が、まさしくこの世界なのだと、あの断崖絶壁の遺跡に降り立った時点で痛感した。
ただ目に映る景色が綺麗で、肌に感じる風が心地よいという理由だけで、プレイするに値する価値があるのは、観光目的のプレイヤーがいるという葉月からの情報からも伺えるところだ。
次に感じたのが、ゲームの、というより戦闘の難易度の高さ。
これに関しては俺がゲームにそもそも慣れていないというのも原因だろう。
昨日一日、マッドモンキー狩りをしてSP稼ぎをしていたおかげである程度身のこなしなどは身に着いたが、それでも身体能力だけで例の巨大百足に勝てる見込みは立たない。
リアルに軍人やってる人でも難しいだろう。
恐らく、ミサイルやら戦車やら現代兵器を持ち出してやっとこさ勝負になるレベルだ。
「そうだろう、そうだろう……最初のダンジョンくらいはもうクリアしたか?」
「まだ。デカい百足に苦戦してる最中だ」
「デカい百足……ギガント・センチピードか? あれレベル3だぞ。最初のダンジョンに出るわけない。見間違いじゃないのか?」
「どんな目してたらあれを百足以外の何かと勘違いすんだよ。俺ともう一人の目でちゃんと認識した。どこからどう見てもデカい百足だ」
「もう一人って。なんだ、しょっぱなから葉月ちゃんに協力してもらったのかよ」
「違う。どういうわけか知らない女子中学生が同じダンジョンにいた」
「はあ?」
葉月とかも謎に感じていた部分だし、友樹もすぐに理解するのは難しいらしい。
歌うのがとても上手な美声のJCの存在は俺にとっても意外なものだった。
「何かのバグか? 初期ダンジョンがかぶる事例は情報通の俺でも知らないな。スフィアの所有権とかどうなんだろ」
「スフィア……確か、ダンジョンの支配者であることを証明するアイテムだったか」
葉月に教えてもらった知識を思い出す。
ダンジョンを攻略した証としてもらえるらしいスフィアは、その後のDMO生活に重要な役割を果たすらしい。
DMO内にあるダンジョンにはいくつか種類があるらしく、最初に割り当てられるダンジョンを攻略した後は、未発見のダンジョンを攻略するか他のプレイヤーのダンジョンを攻略するかのどっちかを目指すとのこと。
未発見ダンジョンを攻略する際に複数人で攻略した場合、スフィアはそのうちの一人にしか与えられない。
一応、初期ダンジョンは誰もが攻略しているはずなのでスフィアを持たないプレイヤーはいないことになっている。
しかし、俺と白銀さんに関してはダンジョンを攻略してもどっちか片方がスフィアをもらえないことになるので、ゲームの醍醐味の一つであるダンジョン経営ができないことになってしまうし、ストーリー進行上にも影響があるかもしれない、と葉月が言っていた。
「ま、なるようになるだろ」
「おう。細かいことは気にしないのが一番だ。さっさと攻略してダンジョンの外に出てこいよ。それまではチュートリアルみたいなもんだからな」
導入部分があれだと先が思いやられるが、逃げるわけにもいかないので頑張るしかない。
ゲームも現実と同じように不断の努力が肝要なのだろう。
「……そういえば」
「どうした?」
「友樹は魔導書の解読方法って知ってるか?」
一つ、気になっていたことを尋ねる。
白銀さんが見つけたという魔導書。
内容が意味不明の言語で書かれており、何もヒント無しでは到底解読など不可能に思われたアイテムについて、葉月に聞いてみたが返答は芳しくなかった。
曰く、今のところDMO内で使用が確認されている魔法はどれもが単純な武器による攻撃やスキルに威力が劣るそうで、実用性に乏しいものしかないそうだ。
武器を強化、派生させて、スキルをたくさんとって、ガチガチにアイテムで強化した戦闘法が今のところ最強で最速らしい。
故に、唯一魔法について関わりがありそうな武器である杖も、撲殺道具として扱うのが鉄板になっているという。
そんな色々と不遇扱いを受けている魔法であるが、魔導書がそんな現状を打破する鍵となっている。
「魔導書か。今は考察勢の解読待ちだな」
「お前は考察勢じゃないのか」
「考察勢になれるほど頭良くねえよ。噂じゃ大学で語学や考古学専攻してる教授も解読を試みてるらしいけど、まだ糸口がつかめてないそうだ。なんだかんだDMOがリリースされたのは今年の夏だからな。半年も経ってないし、アプデもしょっちゅうされてるから分かってないことも結構ある」
「それは凄いな……」
正確なプレイヤー人口は知らないが、大学教授まで参戦しているとは年齢層が広い。
そして、プロの研究者でも魔導書の謎は解けていないとなると現実にある言語じゃなさそうだな。
インダス文字だの線文字Aだの現実でも未解読な言語をゲームの謎解きに取り入れるとも考えにくいし。
手がかりはやはりゲーム内にあると考えるべきだろう。
「しかし、こうしてお前とゲーム談義できるなんて、感慨深いものがあるな……ようやくこれで俺とお前は対等というわけだ」
「何で今までお前の方が上だったみたいな言い方なんだよ……」
意味不明な軽口に苦笑いしていると、そろそろ昼休みも半ばに差し掛かってきたことに気付く。
「とりあえず話の続きは昼飯食いながらだな」
「ゲームに関しては俺が先輩だ、色々と教授してやろう」
友樹はそう言って、いつも通り登校時に買ってきたらしい弁当と菓子パンを俺の机に広げだした。
俺も家で作ってきた弁当を食べようと荷物をガサゴソしようとしたところ。
ふと、視線を感じた。
「ん……?」
クラスのマドンナ、八雲美里さんが俺たちの方に視線を向けていた。
つぶらな瞳と一瞬目が合うも、すぐに逸らされる。
「うけけ、見ろよ真希。この前バズってたカビゴケパン買ってきたぜ。どんな味するんだろ……って、何女子の方見てんだよ。好きな子でもできたか」
「いや、何でも……おい、何だその夏場の三角コーナーに一か月放置したパンみたいな物体は」
「紛うことなきパンだよ。いただきまーす」
八雲さんの視線は、たまたまかな。
あるいは友樹の手にあるカビゴケパンが目に付いたのかもしれない。
日常生活ではまず視界に入ることのないレベルの異物だし。
深く気にすることはせず、俺も昼食を食べ始めた。
… … … … …
「――『孤影氷花・一輪』」
黒き巨龍の影。
空想世界における最強種の一角が地面に映し出す黒の写像はやはり巨大で、だからこそ『彼女』が唱えるそれもまたやはり、最強の名を冠する程の効果を発揮する。
本来平坦な黒色に染まるべき影は、凍土のように冷たく白く染まり、可憐な美しい氷の花畑と化していた。
「ガァアアアォオア!?」
「ああ、ほんと、良い声で鳴くなあ……」
深い、深い地下に存在する洞窟の広場にて対峙していたのは、黒龍と一人の淑女であった。
黒龍の体躯は人が見上げてもなお頭部が見えないほど高く、思わずひれ伏してしまいそうになるほど尊大に広げられた両翼は視界に収まらない程に雄大。
対して、ふわふわとしたフリルの付いた白いドレスを身に纏う、城から抜け出してきたお姫様のような格好の少女は、烈火のごとく赤い長髪だけが戦にふさわしい彩色だった。
……けれど、彼女は黒龍に対し笑みを深めるばかりで恐れを示さない。
それもそのはず、既に勝敗は決していた。
一つの小島並みに面積の大きい影を侵している氷の花畑は、黒龍の四本の足から、虫が這い上っていくのに似た挙動で白の領域を広げだす。
驚き、反射的に地面を蹴って自分の影から逃れようとする黒龍だが、光がある限り、視界が存在する空間に居る限り影はできる。
巨躯の下は尽く陰で、尽く影となり、尽く氷花が咲き誇る。
絶対零度という極限温度を与えるために白い死神が瞬く間に黒龍を覆いつくし――氷の彫像が後に残った。
静寂が洞窟の広場に訪れ、少女も安息のため息を吐く。
それから、急に声を張り上げた。
「美里、もういいわよ」
「う、うん……すごく大きかったね、お姉ちゃん」
声に反応して洞窟の物陰からまた一人、少女が現れる。
近くに未だ巨大な龍の氷像があるせいかビクビクとしながら白いドレスの女性のところに歩いてきた。
「小並な感想ね。でも見なさいよこのログ。ウッハウハだわ」
《ダンジョン『泥梨の腐れ地』の迷宮主を討伐しました》
《称号「深層への鍵」を獲得しました》
《世界名誉「水無月を開拓せし者」を獲得しました》
《スフィア「悪食の秘宝珠」を獲得しました》
《以下の素材を獲得しました》
《悪食の黒膜血》
《悪食の黒翼》
《悪食の獄鱗》
《腐れ毒の悪牙》
《ルードワースの尾》
「……いやー、強かったわね、悪食のルードワース」
「でも、一瞬だったじゃん。お姉ちゃんが厨二?っぽい言葉唱えたらモンスター凍っちゃった」
「ふふ、何を隠そうあれが私の新魔法、『孤影氷花・一輪』よ!」
「魔法……?」
「ええ。私のダンジョンの『東の国の枯れ戦場』で手に入った魔導書を解読すると手に入る魔法。まあ、魔法というか陰陽術だけどね。魔導書のカテゴリには入ってたけど、アイテム名は秘伝書だったし」
メニューのホログラム画面を妹に見せ、実際に解説して見せる姉。
妹はふと思案気に首を傾げ、姉に質問を投げかける。
「魔導書って、読めるの?」
「え? ああ……そういえば最前線組以外は知らないそうだね。魔導書の解読方法」
と、そこで何かを思いついたように姉は不気味な笑みを浮かべる。
「うへへ……美里は知りたい? 魔導書の解読方法」
「お姉ちゃん、顔、気持ち悪いよ……知りたいけど」
事実、魔導書の解読方法は攻略サイトにも載っていない。
八雲美里は自分の姉がどうしてそんな情報を持っているのか気になった。
整った顔立ちでもニヤリとすれば魔女の笑み。
姉の顔が企みの微笑みに歪むのを苦々しく思いながらも八雲美里は返事をする。
「どうしよっかな~。多分だけどこれ、世に流れたら色々とバランス変わっちゃうレベルの情報なんだよね……体で払ってくれるんなら考えてもいいけど」
「メニュー。えっと、ログアウトの項目は……」
「わーっ! 待ってって美里! 冗談だよ! でもかなり価値の高い情報なのは本当!」
舌なめずりをして流し目を贈った途端に現実世界へと避難しようとする妹の姿に悲鳴混じりの静止をかけ、けれど妥協は許さない。
VRMMOにおいて、『情報』は場合によってはリアルマネーで取引されるほどの価値を持つ。
いくら家族とはいえ軽々しく教えられるものではないだろう。
「どうしたら教えてくれる?」
「絶対に人に教えない。約束できる?」
「……え、それだけ?」
「美里には道中魔導紙使ってもらったり、弓でヘイト溜めてもらったり、手伝ってもらったからね。何より、お姉ちゃんは愛しの妹と一緒にゲームができて満足なのです。
……魔導書の解読方法と、美里のダンジョンの『牧場化』のヘルプ。報酬はその二つでオッケー?」
「お願いします」
取引成立、と二人は握手を交わし、八雲美里の姉――八雲名霧は魔導書の解読方法を妹に告げる。
周りに誰もいないにもかかわらず無駄に耳元でささやかれたその方法は美里にとって意外なものだった。
「……よく思いついたね、そんな方法」
「でしょ? 初心者でもできるのに、だーれもやらないんだもん。みんな頭硬いよねー」
「ごめんね、頭が固くて」
「いやいや。美里は初心者だからしょうがないって……でも、そう考えるとこのゲームやっぱり意地が悪いのかな」
「どういうこと?」
「何でもない。キリがいい所まで進めたし、帰ろっか」
「……そうだね」
モヤモヤが残るような言い方だったが、美里は特に不満を抱かない。
姉に限らず、上級者という者は得てして思わせぶりな発言をしがちだ。
美里は思いつつ、姉と一緒にログアウトした。