第十五話
白銀さんの発言からそれなりの強敵なのだろうと思ってはいたが。
予想をはるかに上回る巨大さに、鳥肌が立った。
全長で100mはあるだろう。
樹海の高木をなぎ倒し、こちらに向かってくる様はこの世のものとは思えぬ光景だ。
「化け物じゃねぇか」
「だから言ったじゃないですか」
樹海から現れた巨大百足に度肝を抜かれていると、いつの間にか俺の横に白銀さんが立っていた。
「あんなのによく勝てると思ったな……」
「こいつを相手にしないで済む方法はもちろん考えたんですけど、この広さですし。探索するにも、ある場所に行こうとすると必ずこいつが襲ってくるんです」
「ある場所?」
「沼地です。あそこ、天井に埋まってる大きな宝石の光が直接照らしてる場所……見えますか?」
「んん……?」
白銀さんが指で示したところに目を凝らす。
天井の宝石から放たれている光は確かにその場所を照らしているが、霧で覆われているため詳細は分からなかった。
「……沼地かどうかは分からないけど、一応見える」
「……? どこからどう見ても沼地だと思うんですが……沼地のちょうど真ん中に階段みたいなの見えませんか?」
「見えない。霧で覆われているようにしか」
「……そうですか。まあ、とにかくあそこに近づくとこの百足が突然出てくるので。倒すしかないかなと」
「なるほどね……」
杖を構えだす彼女を横目に、俺は大百足を観察する。
感想としては、『巨大』の一言に尽きた。
体中黒光りする甲殻で覆われており、こちらに進行するためにうごめかしている無数の足は一本一本が竹程の太さを持っている。
百足の進む跡をよく見ると、茶色く濁った色に染まり、清らかだった水がドブのようになっていた。
もしかすると、脚先から毒でも出ているのかもしれない。
それに、あの大鎌と大顎。
リアルの百足には備わっていない代物だが、樹海の高木をやすやすと切り裂いているのを見ると、ただの飾りではなさそうだ。
百足から、隣にいる少女に視線を移す。
正攻法で勝ち目があるとはとても思えない。
よく、心が折れなかったものだ。
「正面から挑むのか」
「二人ならあるいは。とも思いますが」
今までは一人だったから、小回りが利くのを活かして戦う戦法を取っていたのだろう。
しかし、あの巨大さとスピードでは小回りもクソもない。
全身が凶器みたいなものだ。
動き回る脚を狙うよりも、攻撃手段が鎌と顎に限られているであろう顔面を狙う方が勝ち目がありそうだ。
「じゃあ、あるいは、の方を試してみるか」
「どちらが担当しますか?」
「場所が分からない以上、白銀さんが向かうしかないと思う」
「……五分間ほど、お願いします」
主に目的語が省略された会話だが、十分に成立する。
このダンジョンの攻略法。
彼女も、俺と合流した時点で思いついたのかもしれない。
彼女が指さした場所にあるらしい沼地。
近づくと、百足が姿を現し襲ってくるという場所。
わざわざあんな化け物を守護者として配置している以上、間違いなく何かあるのだろう。
それが何なのかは予測はつかないが、少なくともこの百足を倒すよりかはその場所の探索を目標にした方が攻略の可能性は高い。
本来は事前に相談すべきではあったと思うが、死んでもペナルティがないことを考えると一旦敵がどんな奴なのかを実際に見てからの方が確かにいいかもしれない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「……! ……行ってきます」
なるべく早く済ませてほしい。
そんな願いを込めながら送り出すと、彼女は何故か二度答え、それから岩山を下りていった。
「……さてと」
すでに目前にまで百足は迫っていた。
幸い、俺の方だけにその無機質な目を向けている。
おとりとして、せいぜい頑張ろう。
俺は相変わらず銃を逆に持ちながら、腹をくくった。
… … … … …
おとり役を快く引き受けたはいいものの、選択肢は逃げの一手だ。
白銀さんとは逆方向に岩山を駆け下り、水しぶきを上げて着地する。
アクション映画のようにうまく着地できればよかったが、生憎素人の飛び降りだ。
現実だったら骨折はしているであろう高さからの着地。
とはいえ、衝撃はあっても痛みはない。
それが分かっているからこその無茶。
落下によるダメージで死亡することを考慮しなかったわけではないが、賭けは成功したらしい。
足がしびれるような感覚は残りつつも、すぐさま走ることができた。
岩山から飛び降りた直後、破砕音とともに砂埃が舞う。
噴火でもしたのかと思うほど、礫の雨も降り注いだ。
たまに降ってくる岩の下敷きにならないよう祈りながら最大限足を動かす。
そのすぐ後ろを、虫特有のギチギチとした鳴き声をあげながら百足が追従しているのが振り向かずとも分かった。
なにせ、霧がかかっていても分かるほどの巨影が俺の進行方向にできているのだ。
方向感覚などあったものではない。
圧倒的な存在感と蟲の移動する轟音から距離を取ることだけを目的にして、一心不乱に前に進む。
「走ってばっかだなこのゲーム!」
「ギィィィィ!」
俺の愚痴と同時に、百足が叫ぶ。
何をしようとしているのか、振り向いて確認する間もなかった。
「いっ!?」
スパン、という空気を切り裂く音。
突然、下半身の感覚が消える。
顔面から水浸しの地面にダイブした。
うつぶせの体を起こし、初めて振り向いた瞬間。
「……あ」
光の粒子となって消えていく俺の下半身を視認する。
何が起こったのか、全てを理解する前に。
巨大な影が、俺の視界を暗転させた。
… … … … …
意識が戻ると、昨日ぶりの遺跡の光景に囲まれていた。
「……」
しばらく、立ち尽くす。
百足に追われていたさっきまでとは違い、周囲は無音。
直前にいったい何が起こったのか理解するのに少し時間がかかって、
「……死んだのか」
余りにもあっけない。
数分どころか、三十秒も稼げていないだろう。
全く、おとりとしての役目を果たせなかった。
「なるほど……なるほどね」
こういうゲームか。
これが、DMOか。
予想以上にどうしようもなかった。
うすうす感じてはいたことだったが、逃げることすらままならないとは。
身を襲う、これまで感じたことのない感情。
もやもやとした気持ちに苛まれながらも、俺は次に取るべき行動を決める。
「……白銀さんの様子を見に行くか」
チュートリアル時に説明されていた通り、ダンジョンの入り口に戻されてしまったのだろう。
このダンジョンにおける入り口とは、俺がこのゲームを開始した地点のことのようだ。
またあの大樹の化け物に食われて落下体験をしないといけないのかと思うと気が滅入ってしまう。
仕方ないか。
ところが行動を開始しようとしたのと同じタイミングで。
脳内に直接声が響いた。
『兄貴、聞こえる?』
「葉月か。どうした?」
『どうしたじゃないし! 勝手にゲーム始めないでよ!』
「すまん。指が滑ったんだよ」
『指折られたいの!?』
開口一番怒鳴られる。
電話で話してるというわけでもないので音量の調整もできない。
なかなか迷惑な行為だなこれ。
『もう、そんなんだからあんな百足にワンパンされちゃうんだし』
「あんな百足って……あんな化け物にどーやって勝てっちゅーねん」
『勝つんじゃなくて、見つからないように探索するの』
「それも不可能らしいが」
『……はあ』
通信越しのため息。
わざわざ俺に聞かせるようなため息だ。
『メニューって言って』
「……? メニュー」
呟くと、やはりデジタルな液晶が宙に浮かぶ。
『で、インベントリって欄をタッチ』
「おお?」
『初心者パック、ってやつタッチ』
「……おお」
『開封しますかって表示が出るから、はいをタッチ』
「おお……!?」
『……はあ。後で攻略サイト見せよ』
葉月の言われた通り操作すると、軽快な電子音とともに『アイテムを獲得しました』の表示が現れる。
視界の真ん中に、続々とメッセージが流れ出した。
《獲得:回復薬(弱)×10》
《獲得:解毒薬(弱)×5》
《獲得:武器種【銃】の指南書×1》
《獲得:ぼろの松明×1》
《獲得:草笛×1》
《獲得:石ころ×30》
《獲得:火打石×3》
《獲得:油×3》
結構な情報量にやや戸惑うが、すぐに内訳を把握する。
役立ちそうなものから、何に使うのかよくわからないものまで。
インベントリの欄が様々なアイテムで埋められ、なんだかすごく得をした気分になる。
「こんなにもらえるのか」
『そんなにもらえるの! なんでメニューを最初に確認しないかなぁ……』
そうは言っても、ゲームのシステムのことなど知らないのだから仕方ない。
ゲーム経験者であれば当然に出てくる発想というのは、初心者からすればもはや天才的な閃きに等しい。
こんなメニュー操作、ゼロから始めたゲーム初心者に思いつけるはずがないだろう。
一人感心していると、呆れた声で葉月が説明を続けた。
『で、またメニューに戻って。スキルの項目があるからそれタッチ』
「ほいほい……おお」
上から四番目の項目をタッチすると、水晶みたいな物質で出来た枝がいきなり空中に出てきた。
腕一本分くらいのサイズで申し訳程度に小枝がぴょこっと生え、葉っぱが一枚付いている。
「なんだこれ。武器か?」
『違うから! それは『スキルツリー』!』
「ツリー? どっからどう見ても枝だぞ」
『黙れ情弱兄貴!……小枝に生えてる白い葉っぱ。試しに触ってみて』
情弱という聞き馴染みのない罵りに少しショックを受けるが、事実ゲームに関しては完全に葉月の方が玄人なので文句は言わない。
無言で枝に生えた小さい葉に触れる。
《【ピストル】の子葉……必要SP×1》
《開花させますか?》
(はい)
(いいえ)
葉月に指示される前に(はい)をタッチ。
目に優しい光が葉からあふれ、葉っぱが薔薇みたいな花に変わった。
あくまでシルエットと色が薔薇っぽいだけで、花びらの数が少ない。
せいぜい十枚といったところだろう。
『その花びら一枚一枚にスキル情報が載ってるの。で、銃のお勧めスキルをマナティーが今教えるから言う通りにスキル取って。兄貴マッドモンキー暗殺しまくってたし、スキル二つか三つ分くらいのSPは溜まってるだろうから』
「マナティーって、大山さんか?」
『そう。じゃあマナティー、後はお願い。あたしはもう疲れたよ……』
『ええ!?』
俺と葉月だけだった会話に、唐突に他の人の声が入った。
「大山さん、よろしくな」
『え、あ、は、はい……頑張ります』
控えめで、大人しい話し方。
今日ゲームショップで会った彼女だ。
『あの、お聞きするの本当に恐縮なんですけど……まず一つ良いですか?』
「どうした?」
『なんで、銃を逆手に持ってるんです?』
その質問今のところ俺の姿を見た全員からされてるんだが。
やっぱりおかしいのか?
「こっちの方が威力が高いと踏んだんだが……」
『……ダメです。絶対やめてください。それは銃への冒涜です。許せないので、やめてください』
「お……は、はい」
気迫のこもった声に押されて、思わず頷いてしまった。
『銃を逆手に持つなんて、狂ってます。まずは今後一切そんな扱いをしないと誓って、話はそれからです』
言葉の圧力が完全に別人だった。
俺の方が年上だというのに、脅迫まがいのことをされている気分だ。
『マナティー、重度の銃オタクだから。下手なことすると撃ち殺されるから、気を付けてね』
「お、おい? 本人いるんだが」
『今のチャットは兄貴にしか届かないようにしてるから大丈夫』
『お兄さん、どうしました? 早く銃を持ち直してください。早く』
「い、イエッサー!」
動揺しながら銃を正しく持ち直す。
怖すぎるだろこの娘。
見た目と初対面の雰囲気に、完全に騙された。
『——よろしい。では始めましょう』
そんな感じで、大山愛菜の銃講座が始まった。