第十四話
「……誰ですか?」
茂みをかき分けた先にいた少女。
霧に包まれた広場のちょうど真ん中にある岩場に、彼女は腰かけていた。
「……プレイヤーです。そちらは?」
少女の問いに対し、ひとまず当たり障りのない返事を返す。
聞こえたのか聞こえてないのか、それを受けて彼女は無表情を崩さない。
「……」
彼女の様子からもし感情を読み取るのであれば、それは『警戒』だろう。
じっと、捕まえて離さないような視線を向けられている。
どう接するべきか悩んでいると、彼女の方から先にリアクションがあった。
「あなたがプレイヤーだとして、理解できない点が幾つかあるんですが……」
「何となく想像はつきますが……何でしょう」
「どうして、銃を逆さまに持っているのでしょう?」
そっちか。
予想とは違う問いだったが、難しい質問ではないのですぐに返す。
「敵を殴るためです」
「……そうですか。なるほど」
変わらず、無表情だが。
なんとなく「何言ってるんだこいつ?」みたいな顔をされている気がする。
まあ、被害妄想か。
葉月にゴタゴタ言われてしまったから、そのせいでそう感じてしまうのだろう。
銃は鈍器であるという主張を葉月にしたら、原始人みたいだからやめてほしいと言われてしまったのだ。
銃器として扱うよりも明らかに威力が高いので、合理的な戦法だと思っていたのだが。
万人が受け入れられる戦い方ではなかったようだ。
無論、妹に何と言われようがこの戦い方よりも効率的な方法が見つからない限り、銃は俺にとって鈍器のままだ。
異論は認めん。
俺が自分の戦い方について頭の中で正当化していると、少女はミディアムの黒髪を微かに揺らして、ふいに視線を俺から逸らした。
「それでは……あなたはいつからこのダンジョンにいましたか?」
「ログインしたのはさっきですが……ゲームを開始したのは昨日のことですね」
「……そうですか。お答えくださり、ありがとうございます」
「いえ。お構いなく」
……何だこの会話。
余りに淡々とした言葉のキャッチボールに辟易してしまう。
容姿は、大分若く……というか幼く見える。
ただ、言葉遣いや雰囲気が大人びているため、正確な年齢を把握するのは難しかった。
人形のような――そんな直喩が似合ってしまう幼く、美しい容姿。
それほど長くはない、けれど確かに女性らしい肩にかかる程度の黒髪。
なんら感情を推察させない、ポーカーフェイス。
そして、何より。
一番の特徴は。
「……あなたは、こういうゲームは得意ですか?」
——鈴を転がしたような、どこまでも透き通った声。
一度聞けば、忘れることはないだろう。
これほど綺麗な声を、俺は聞いたことがなかった。
「いえ、ゲーム初心者です」
「……敬語、大丈夫ですよ? 私、中学生ですから。あなたは高校生くらいの方に見えますし」
いきなり素性を明かされ、驚く。
表情に出てしまったのか、彼女は続けて言った。
「どうせ年のころなんて、立ち振る舞いや雰囲気から察せるものです。隠すものでもありません」
「……だからと言って、わざわざ明かさなくてもいいんじゃないか?」
とりあえずお言葉に甘えて敬語を外し、尋ねる。
きっと、彼女が中学生というのは本当なのだろう。
嘘をつく理由が思い当たらない。
また、俺が高校生であることについては否定しないでおくことにした。
「そうかもしれませんね。それよりも、そろそろ来ます」
「……? 何が……」
視線を外されたまま突拍子のないことを言われ、困惑する。
だが、俺が疑問の言葉を口にする前に。
——ギィィィィィ‼
「――‼」
ここから比較的遠い場所。
音源が遠いにもかかわらず、洞窟内に反響する爆音。
何回も繰り返されれば、洞窟の崩落を危惧してしまうほどの音量だ。
「……何の音だ?」
「蟲の鳴き声です」
「蟲?」
「迷宮主……だといいんですが。あれ以上の化け物がいるとは、想像したくありませんね」
いまいち事態を正しく把握できないが、どうもあの鳴き声は敵の出現を示唆しているようだ。
であれば、やることは比較的シンプル。
「化け物退治ってことか」
「端的に言えば」
こんな年端もいかない少女が戦う意思を口にしていることに不思議な感覚を抱くが、色々な人がやるゲームだし特におかしいことでもないだろう。
「その様子だと、すでに何回か挑戦してるのか」
「……まあ」
初めて、表情に変化が見られる。
乏しい変化であることは言わずもがなだが、やや苦々しい顔になっていた。
「そんなに苦戦しているのか」
「……」
少女は答えず、岩場から腰を上げる。
彼女の武器は、ずっと抱えている杖のようだ。
何の飾り気もない、シンプルな杖。
「……本当は、私一人で攻略したかったのですが。何かの間違いで初期ダンジョンが重なってしまった以上は、仕方ないんですかね……」
どちらかと言えば独り言に聞こえる嘆きは、しかしスルーできないものだ。
「初期ダンジョンはやっぱり一人しか配当されないのか」
「チュートリアルでの説明を聞いた限りでは、そうだと思いますが」
俺たちゲーム初心者は、あくまでチュートリアルでの情報を基準にして考えるしかない。
チュートリアル担当のメルメルさんが間違った情報を伝えてしまった、なんて場合でもない限り俺と彼女がこの場に同時に居合わせている事態は客観的に考えて異常だろう。
「一人で倒したかったのなら、俺は手を出さない」
「え?」
俺の言葉が予想外のものだったのか、彼女は視線をこちらに向ける。
「いつから戦ってるんだ?」
「……二日前からですかね」
「日数単位ならなおさらだな。手助けが欲しいならもちろん手伝うけど、そうでないのなら手伝わない」
「……どうしてですか?」
「ぽっと出の奴に自分の獲物を取られたら嫌だろ?」
単純に自分が彼女の立場だったら、と考えたうえでの発言だ。
二日間も一人で挑んでいた敵なのだから、最後まで自分一人で倒し切りたいと思うのは自然なことだ。
途中で横取りされたら、やるせない気持ちになってしまう。
彼女のさきほどの呟きを聞く限り、負けん気がなかなか強い子のようだしな。
けれど、少女は首を振った。
「……お気遣いはありがたいのですが。やはり助力願いたいです」
「いいのか?」
「初心者二人で挑んだところで変わらないと思いますから」
「……へえ?」
言い切りの言葉に、つい反応してしまう。
そんなに強い敵なのか。
「今のところ、攻略の糸口が全く見つかってません」
「ほう」
二日間挑んでいるのにもかかわらず、そう言わしめる程の強敵が最初のダンジョンにいるとは考えにくいが。
いったい、どんなやつなのか。
「最初のダンジョンでは何回死んでもペナルティはないようですし、一回挑んでみるのが一番いいでしょう」
すでに何回も死んでいないと出てこない言葉に、俺は素直にうなずく。
「相当難易度が高いんだな」
「私がヘタクソなだけかもしれませんが」
謙遜ではなく、卑下。
彼女はありのままの事実を述べるかのように言った。
「じゃあ、二人でやろう」
「はい。お願いします」
挨拶の一瞬だけ俺のことを一瞥し、彼女は歩き出した。
「……」
「……」
俺は彼女の少し後ろに付き、歩調を合わせる。
水音だけを鳴らし、互いに無言で。
無愛想ではあるが、普段からこんな調子の子なんだろうか。
友達少なそう、なんて失礼な感想が浮かんでしまう。
俺もあまり人のことを言えた立場ではないのだが。
霧で曖昧になっている少女の輪郭を見失わないように目で追いながら、ふと思いつく。
「なあ」
「はい」
「名前、なんて言うんだ」
「名前ですか」
「自己紹介くらいはしようと思って」
「……渚です。白銀、渚」
感情のない、けれど心地いい声音で彼女は名前を言う。
「そうか。俺は真希だ。横山真希」
「横山さんですか。よろしくお願いします」
「よろしく」
「……」
「……」
この子、コミュ障なんだろうか。
いや、そう思うなら俺も会話を続けるべきなんだろうけどさ。
話しかけづらい空気というか、「これ以上口動かすの面倒なので話しかけないでください」っていうオーラがめっちゃ出てるんだよ。
リアルの方でもこんな感じなのだとしたら、普通に心配になってしまう。
余計なお世話だろうし、当然口には出さないが。
しばらく歩き、岩山のような場所に到着する。
白銀さんが俺の方を一瞬だけ見て、苔の生えた岩壁を登り始める。
この辺りはそこまで霧が濃くはない。
少し見上げれば岩山のてっぺんが見えるので、登り切るのは不可能ではないだろう。
それよりも、彼女がかなり手慣れた様子で登っていたので思わず感心してしまった。
俺も後に続いて登ってみたが、苔でヌルヌルして結構苦労した。
例の敵と戦うために、彼女は何回この岩山を登ったのだろうか。
登りきったところで、辺りを見渡す。
下が霧に包まれているので、まるで雲の上から見下ろしているような景色だ。
実際、ここからだと俺がさっきまでいた樹海がぼんやりとだが見える。
真上を見ると洞窟の天井が見えるので、樹海はいつの間にか抜けていたようだ。
「私が、おびき寄せますね」
「おびき寄せる?」
「私が歌うと、何故か寄ってくるんです。恥ずかしいので、耳をふさいでいてください」
「……分かった」
頷くだけ頷いて、耳を塞ぐ格好をする。
彼女は俺が耳を塞いだのを確認して、岩山の端っこ、霧に包まれた樹海を一望できる縁に立った。
「……」
しばらく静寂を過ごし。
十秒ほど待つと、音が聞こえてきた。
――み、——さえ――――う。
――は――きみ――――よこ――。
――い、——。
俺の手越しに、彼女の声がかすかに聞こえる。
ほんのわずかな音色は、ただひたすらに美しい。
流れ星のような歌声の欠片に、俺が手を耳からどけてしまうのは仕方のないことだった。
「唄って、狼さん――そんな悲しい、顔はしちゃダメ」
「唄おう、お母さん――そんな悲しい、顔はしないで」
「白い、白い、雪が――降る前に」
とても優しいメロディーに、とても優しい歌声。
女神と称して、崇めたくなってしまうような、儚げな美貌。
清流のせせらぎよりも豊かな音色。
黒い、ローブのような着物を揺らし。
黒い、絹のような髪を揺らし。
高らかに、清らかに、そして――楽し気に。
彼女は歌っていた。
「……マジか」
感嘆のため息。
人の歌声に感動するなど、生まれて初めてかもしれない。
もし、この歌声が生まれつきのものだとしたら、まさに奇跡だ。
どんな誉め言葉を用いても、過言にはなるまい。
「そして、そして、私は――」
ところが、感慨にふけっている暇はなかった。
彼女の声とは対極に位置する濁声が響き渡る。
耳をつんざくような、轟音。
同時に目に移ったのは、
「キイイイイイィィ‼‼」
——大鎌に、大顎を鳴らす百足の化け物だった。