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第十話


 ぼろぼろの石の階段を何段も飛ばしながら駆け上がる。

 

 後ろからはつるの触手がまっすぐ俺に向かってきていた。

 後ろからだけではない。

 横や上、色々な方向から触手が叩きつけられる。


 壁沿いに備え付けられた階段には手すりなんてものはなく、建造物の中心に足を踏み出せば硬い石畳の地面へ真っ逆さまだ。


 しかし、驚くべきは――いくら走っても疲れがない。

 いや、正確には疲れにくい。

 走るスピードも俺の体感ではあるが、速くなっている。

 現実の身体よりも明らかに身体能力が上がっていた。


 いくらリアルなゲームとはいえ、あのような怪物相手に生身一つで向かうのは酷だから、というプレイヤーへの配慮なのだろう。

 親切なことだが、そんな配慮をするくらいなら武器についてももうちょっとマシなものを寄越せとゲームの製作者にクレームを言いたかった。


 幸い、身体能力の向上と触手の速度がすぐに追いつかれるほどではないのもあって、攻撃を避けながら思考をする余裕はあった。


 大樹の化け物。

 身長は30mほどで、この遺跡の中央に根を張っている。

 大樹の身体のいたるところから伸ばす触手は石畳の地面をも粉砕するほどの威力を有している。

 ぱっと見で把握できる弱点は、化け物の上部に位置し、今も俺のことを凍てつくような眼光で睨んでいる巨大な眼球のみ。


 これらが現時点で大樹の化け物について分かっていることだ。

 はっきり言って、かなり勝ち目は薄いだろう。

 攻撃手段があまりにも乏しすぎる。


 俺の装備は、おもちゃみたいな銃と、とがった枝だけ。

 これで勝てたら、それこそ化け物だ。


 状況を頭の中で整理しているうちに、触手の妨害を潜り抜けて階段の果てにたどり着く。

 階段の終点は踊り場のようになって途切れ、建造物の中央――大樹の化け物に向かって板状にせり出ていた。


 せり出した部分はプールの飛び込み台のようになっているが、大樹の化け物に生贄をささげるための祭壇のようにも見えた。


 実際、入ってきた扉側からでは見えなかった、大樹の眼球の裏側。

 そこには、象でも丸ごと一口で飲み込んでしまいそうな大口があった。

 大口は大樹の一部であるものの、まるで動物の口のようにうごめいている。


 予想外の光景に、されど疾駆する足は止まらない。

 進行方向だけ、飛び込み台の方に向ける。


 迷っている暇はない。

 跳び箱を飛ぶ際の助走のように、リズムよく。

 ロイター板で、最大のジャンプ力が生まれるように、


「1、2の、——さぁぁん!」


 俺は、飛び出した。


 大きく開いた口の縁の方を何とかして掴み、体をよじる。

 体の半分が真っ暗闇の大樹の口内に呑まれかけるが、掴んだ場所を力の支点にして避ける。

 なんとか体全体で大樹にしがみつくことに成功した。


 ガザガザとした粗い樹木の肌で、腕や手が擦り切れる感触を覚える。

 血は出ていなかったが樹皮に俺の肌が触れるたびに、光の粒子が舞っていた。


 体が傷つくと、血の代わりにこの光が出るのだろう。

 粒子の数は微々たるものなので、顔をしかめるだけでそれほど気にしない。


 ボルダリングをする気分で大樹の化け物の体を移動する。

 触手が追い込んでくるのは相変わらずだが、数が増えていた。

 触手を避けるための回避行動にかなり腕と足に負担がかかるが、無理やりにでも四肢を動かして着実に大樹の表側にある眼球に近づく。


 ついに眼球の端が視界に入った。


 最後のひと踏ん張り。

 足に力を込め、思いっきり飛び跳ねる。


 しかし、


「うっおぉぉぉ!?」


 足に突然襲い掛かる無重力の感覚。

 見ると、足首に触手が巻き付いていた。

 

 とっさに右腕を伸ばし、できるだけ振りかぶって、持っていた枝の槍を突き刺すように振り下ろす。


 ぐじゅり、という生々しい音が手から脳に伝わった。


 声にならない悲鳴——黒板を爪でひっかいた時のような不快な音が遺跡内に響き渡る。

 音は大樹の化け物の大口から発せられていた。


 どうやら、想像以上に深く目玉に枝が刺さったようだ。


 いける、と思ったのもつかの間。

 足が怪力によって引っ張られた。


 足が骨盤から引っこ抜かれるような衝撃に思わず枝を掴んでいた手を放してしまう。


 完全に、体が宙に浮く。

 触手につるされ、世界が反転して視界に映った。


 枝を眼球に突き刺したはいいが、倒すまでには至らなかったらしい。

 触手が、ゆっくりと大口へ俺の体を運ぶ。


 ゆっくり、ゆっくり。

 じわじわと、俺に恐怖を与える意図なのかどうかは分からないが、鈍い動きで。

 とうとう大口の真上に吊るされた。


 どこまでも続く深淵。

 心なし、大口からは生暖かい風が吹いているようにも感じられた。


 そして。

 ボトッと。

 俺の体は底知れぬ大口の闇の中へ落とされた。


(くっそ……‼)


 初心者には、どうしようもない状況……のように見えるが、この遺跡がスタート地点である以上、この化け物は初心者でも越えられる壁の一つであるはずだ。

 

 つまり、俺の負け。

 製作者側が用意したこの敵の攻略法を見つけられなかった俺の負けだ。


 歯を食いしばり、最後まで敵をにらみ続ける。

 次は負けない。

 そんな、子供じみた決意を抱きながら。


 俺は重力に従って大樹の大口に呑まれた。



 … … … … …

 


 世界の色が真っ黒に染まる。

 何も見えない、何も聞こえない。

 その不安からか腕を伸ばし、足を伸ばし、何でもいいから五感を求める。

 

 行為への期待はしかし、いとも簡単に裏切られる。

 手は虚空を掴み、足は宙を蹴り、身体は空気の抵抗しか感じない。


 これがゲームであることが分かっていても、震えずにはいられない。

 少しでも気を抜けば走馬灯の一つや二つ、見えてもおかしくないほどの浮遊感。

 その浮遊感に身を任せるしかないという無力感。


 ――未知の感覚に心を躍らせる、高揚感。


 信じられないことに、こんな状況でも俺はプラスの感情を抱いていた。

 生まれてこのかた経験したことのない状況に、興奮という感情を。


 この気持ちを常人に打ち明ければ、狂人だとののしられるかもしれない。

 それでも、心が、脳が、勝手にそう感じてしまうのだから仕方がない。

 脳が高揚をもたらす麻薬を際限なく製造し続け、それが全身にめぐる。

 そんな体内の営みが、俺の意思にかかわらず行われるのだからどうしようもない。


 自分でも知らなかった自分の異常な一面に戸惑いながらも、俺はそれを受け入れていた。


 そして、終わりはやってくる。

 

 闇で埋め尽くされていた視界に、急に光が差す。


「……は?」


 そこは、俺がさっきまでいた場所とは全く別の世界であった。


 下界に広がったのは、幻想的な青白い樹海。

 俺は、月夜の空を落下していた。


「うおぉぉぉぉぉ‼」


 絶叫しながら、落下する。

 先ほどまでは暗闇の世界だったのが、突然月夜の仄暗い世界に移り変わった。

 言うまでもなくそれは『地面』という落下の終着点の出現を意味する。


 高所からの落下という、原始的な命への脅威に対して抱くのは、当然原始的な恐怖。

 子供でも理解できる、この後の結末。

 つまり、転落死。


(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ‼)


 絶叫している間に、地面はどんどん近づいてくる。

 正確には『樹海の表面が』だが、この勢いとスピードだと間違いなく突き抜けて地面に激突するだろう。

 映画とか漫画とかでよくあるように、木がクッションになって、というわけにはいくまい。

 

 大樹の化け物に食われたかと思えば、わけのわからない高所に放り出される。

 飽きない展開ではあるが、初の死因が転落死になるとは思わなかった。


 空気抵抗があるため、落下の速度には終端速度と呼ばれる限界がある。

 物体にかかる下向きの重力と空気抵抗の上向きの抗力がちょうど釣り合った時点で加速しなくなるのだ。

 

 とはいえ。

 加速してるのかどうかなど落下している本人が把握できるわけもない。

 むしろ際限なく加速しているような気さえする。


 くだらない物理の知識を思い出している間に、その時がやってきた。


 あくまで気休めに過ぎないことを理解しつつも、頭を両手で覆う。

 人間が落ちる時は頭から。

 その一般的な法則に従って、青白い葉の海にダイブした。


 衝撃がついに俺の体を襲う。

 だが、痛みはやはり感じない。

 下手な新幹線よりもはやい速度で着地したはずだというのに、それほどの衝突エネルギーは感じなかった。


 ガサガサと葉の中を貫通していく。

 視界に広がるのは葉の青白さ。

 見たことのない植物の葉っぱが俺を包む。


 枝を折り、葉を散らせ――しかしなかなか地面には到着しない。

 すでに樹海に身を落として数秒以上の時が経っているはずだが。


(思っていた以上に樹木の高さがある……?)


 よくよく考えれば、それも不思議ではない。

 空中を落下している最中は樹海の表面しか見えなかったのだ。

 俺の知識にはない樹木で構成された樹海のようだし、高さを勘違いしても仕方がない。


 それにしても、相当な高木だ。

 あの大樹の化け物よりも高い木かもしれない。


 最初に樹海の表面に飛び込んだ時点で、落下速度はだいぶ落ちていた。

 それからしばらく、この高木の枝葉が落下の勢いを少しずつ受けとめ、減衰させていく。


 最終的に地面に到達したときには、命の危険がない程度の落下となっていた。


――バシャン‼


 水しぶきを上げて着地する。

 体勢は枝葉に揉まれている間に整え、頭から落ちるのだけは避けた。


 腰のあたりから落ち、しりもちをつくような格好で着地した。

 無様な絵面だが、死ななかっただけ儲けものだろう。


「……死ぬかと思った」


 そういえば、今現在の状態で死んだらペナルティーはあるのだろうか。

 メルメルさんが言っていた『デスペナルティー』とはダンジョン内だと『所持金が半分失われ、ダンジョンの入り口に戻される』ことらしいが。

 金は今現在恐らく所持していないだろうし、ダンジョンの入り口とはいったいどこのことを指すのかも不明だ。

 まあ、何にせよチュートリアルの時にスケルトンにやられてしまったときの死の感覚はあまり気持ちのいいものではなかったのは確かなので、変わらず死なないように心がけるべきだろう。


「……さて」


 青白い葉を持つ、ファンタジーな樹海。

 高木で周囲は埋め尽くされているというのに、視界はぼんやりとだが確保できた。


 というか、むしろ『高木で埋め尽くされているから』、だろうか。

 高木の葉っぱは、まるで蛍の光のように淡い光を放っていた。

 本当に、微細な光。

 けれど、その樹海の密度が天然の照明を生み出していた。


 次の行動の指針を定めようとしたとき。

 頭の中で直接鳴り響くようにして声が聞こえた。


『兄貴? 聞こえる?』


「……葉月か?」


『うん。あたし』


 どういう仕組みか、脳内に直接語り掛けてくる妹の声。

 まあ、それはやっぱりゲームだしそういうこともできるんだろうと適当に受け入れるが、それよりも。

 葉月の声がやや震えているように聞こえるのは気のせいだろうか。

 

「どうかしたのか、葉月」


『…………色々と言いたいことはあるけど、一旦ゲーム中断して』


「……どうやるんだ?」


『チュートリアルで教わんなかったの?』


「いや」


『…………』


 俺が否定すると葉月は急に黙り込んだ。


 言われてみれば、確かに。

 どうやってゲームを終えるのか知らなかった。

 まあ葉月に教えてもらえるだろう。

 

「分からないから教えてくれ」


『「メニュー」って言って、「ゲーム終了」っていうタグがあるからそこをタップして』


 言われた通り、『メニュー』とつぶやくと透明な極薄の液晶が浮かび上がった。

 

 こんなものがあったのか。

 メニューというだけあって色々な項目が並んでいたが、目を通すのは後にした方がいいだろう。

 

 一番下にあった『ゲーム終了』の項目をタップすると、今度は二択で本当にゲームを終了するか否かの選択肢がやはり液晶として現れる。

 俺は迷わず『はい』の選択肢を押した。


 そうして。

 俺の波乱のゲーム初体験はひとまず終わりを迎えた。

 


想像以上にブクマ登録、評価していただけてとても嬉しいです。

今後とも拙作ですがお付き合いいただけると幸いです。

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