45-8 庭園の誓いと水上ダンス教室!
もともと今日のお昼は、国会の食堂で取ってみる予定だった。だから、その辺は問題ない。
おれたち三人はファン氏に連れられ、すぐ近くに建つ瀟洒な茶所へとむかった。
賑やかな通りから一本入った閑静な通りに、その門は口を開けていた。
つやつやとした黒檀と白い漆喰、赤い瓦で彩られたオリエンタルな庭園入口――まるく壁面をくりぬいたような形をしていた――をくぐれば、そこはちょっとした別世界。
緑の植え込みの間を、白い砂利を敷き詰めた小道が走り、そこここに赤く白く、大小の花が香り咲く。
植え込みに半ば隠れるように、小さなあずまやや陶器のツボ、動物の姿のオブジェが点在する。
ものめずらしくきょろきょろと見回しては、ファン氏の解説を求めながら、どれほど歩いたころか。
ふいにぽかりと視界が開け、これは川かと思うほどの大きな池が姿を現した。
空と庭園を映す水面の向こう、鮮やかな色合いの鯉がゆったり泳ぐ。
そこへ身を乗り出すのは、木組みにガラスばりの開放的な茶房。
入り口となる木組みの橋は、ちょうど庭園入口に対して反対側の岸からつながっていた。
ふたたび、みたび、かくかくと曲がりくねるそれをたどるうち、水面に映る庭園が様々な顔を見せてくれて、なんとも優雅な気持ちに……
イマイチなれない。原因はこいつだ。
「うわー! すっげー! すっげー!!
あー、あすこ亀いるじゃん! おーい!!
おお鯉きたー! でっけー!!」
「ちょっと静かにしようねイツカっ?!」
しょーもない黒子猫野郎はもはやガキんちょ丸出しで大はしゃぎ。
ハジメさんはというと、さっきからぽかん。なにか話し出そうとするけれど言葉がうまく出ない様子だ。ちなみに眼鏡もちょっとずれている。
「こ、ここが……」
「ええ。ファン家私有の茶房です。
ここならば無粋な騒音とてなく、ゆっくりとできますからね。
今日はお三方にもぜひ、くつろいでいただきたく」
ファン氏はゆったりと微笑みながら、そんなハジメさんの眼鏡をちょっと直す。
ハジメさんは「えっ」と驚くが、ファン氏は食えない顔。
かすかにすみれ色を透かす黒の瞳に、ミステリアスな微笑みを宿してこんなことを言い出す。
「お客人にうっかり眼鏡を落とされると困りますのでね。
知っていますか? 鯉という魚はああみえて悪食でね。
池に沈んだものは『何でも』さらって食べてしまうのですよ」
「え゛」
『板子一枚下は地獄』とはこのことか。おれたちは三人そろって絶句してしまう。
「はっはっは、冗談ですよ。さすがに生きた人間が泳いでいるのを食べたりしませんて。
いやあ、君たちはやっぱり楽しいひとたちですねえ!」
するとファン氏は一転、えらくいい顔で笑った。
青空の下、ちょっとそっくりかえってはっはっはー。
その様子はあっけらかんとして憎めない。
おれもおもわず軽口をたたいていた。
「あなたも面白い方なんですね、ファンさん。
てっきり、いたいけな若造をからかって楽しむのが趣味の、食えない人かと」
「いやそれで合ってますよ。
毎日いきいき働くならばやっぱり楽しみがないと!
今期はハジメどのたちが議員当選してくれて、さらにはこんなかわいい上司が二人も増えて!
逆らえない身の上のものたちをからかったらパワハラですけど、君たちだったら遠慮なくバシッとやり返してくれるじゃないですか。安心してちょっかい出せるってなもんです。いや~よかった。これでファン家の風雲児ユーさんも安泰です!」
するとファンさんはニッコニコとそうのたまった。
ここでおれは気が付いた。レモンさんに聞いた謎のあだ名が誰のものかということに。
「『ユーユー』って、あなたのことだったんですね」
「おや、それを誰から?」
「レモンさん……エクセリオンのレモン・ソレイユからです」
「あーレモン殿が!
もしかして何か言ってました、わたしのことカッコイイとかイケてるとか結婚したいとか」
「……あ、いえ」
正確には、おれたちのことを気に入っていると言っていたのだが、それを教えるとなんかへんなスイッチ入りそうなので止めておこう。
「なんか『ユーユーはきみたちのこと気に入ってる』って」
「あー! さすがレモンさん! 私のことはなんっでもお見通しのようですね!!」
と思ったらイツカのやつめが子供正直にのたまった!
とたん『ユーユー』は満面の笑みに。手近のハジメさんをぬいぐるみよろしくむぎゅーっと抱えて、めっちゃご機嫌に脱線しだした。
「よし! よしっ! 今日はレモンさんの魅力について語りあかしましょうっ!!」
「え、ソナタのことはいいのかよ?」
「もちろん最初にそれを聞きますよ!
可愛いかったですね~ソナタさんのレッスン動画! それからあのおまけ動画! 『夏アド』完コピとかもう、人類の至宝でいいですよ!!
あんなかわいくってけなげでかわいい子ががんばってワルツを踊りたいっていうならわたしは断っ然踊らせてあげますね! 反対派の二、三十人まとめてこの池に叩き込んででも!!」
このひと……わかってる!!
おれはがしっとユーさんの手を取った。
「ユーさん!!」
「カナタくん!!」
「うぐうう……」
そのとき変な声がした。
みればユーさんの小脇に抱えられたまんまのハジメさんが、苦し気にギブギブとユーさんの腕をたたいていた。
そんなこんなもあったりしたが数分後。
おれたちはさきの茶房のテラスで向かい合っていた。
ガラスの内側ではいましも、お茶の準備の真っ最中。
それが終わるまでの十分程度、おれたちは優雅な水上ダンスレッスンを受けるというわけである。
一番手はじゃんけんで勝ったおれ。
ユーさんはどちらのパートも自由に踊れるというので、ご厚意にあまえて女性パートを踊ってもらうことにした。
もしかしたらなりゆきで、ルカ以外とも踊ることになるかもしれない。そしておれの身長を考えると、お相手の女性はおれより大きい可能性が高い。それを考えると、ユーさんのお申し出はありがたいものだった。
ちなみにユーさんは近くで見るとかなり身長があり、紳士靴を履いた状態では180に届くほど。
170越えの女性――身近なところではオルカさんだ――が高いヒールを履いた場合を想定すれば、充分現実的な高さである。
ユーさんは優しく微笑んで、自分より大きい女性と踊る際のコツをおしみなく伝授してくれた。
「自然に、そう。相手が高いからと言って、むりに腕を高くあげなくていいんですよ。
のびやかに組んでのびやかに踊れば、充分大きくダイナミックに見えますからね。
むしろ彼女をより大きく、よりのびのびと、踊らせてあげるようにしてください。
女性パートナーが大きい場合には、彼女がより左に来るように位置取りをすることがコツになります」
腕が上がりすぎるとリードが伝わりにくくなりますよとか、パートナーが真正面に来ると前が見えなくなりますからね、とわざわざ位置を変えて示してくれたり、すでにホールドを組む時点から至れり尽くせり。
そうしてひととおりポイントを教えてくれると、携帯用端末から曲を流し、おれとイツカと踊ってくれた。
いつもの体育館とは全然違う、広々綺麗なロケーション。自然と動きものびやかになるようだ。
見学のハジメさんもすごいすごい、素敵ですよ~といっぱい拍手してくれるし。
正直、野郎のおれでも悪い気はしない。女子ならきっと、夢心地だろう。
ソナタたちと踊るワルツ、本番の演出は、水上テラスのイリュージョンにするのもいいかもしれない……
そんな風に空想していたら、イツカの威勢のいい『ありがとうございましたっ!』が聞こえてきた。
我に返ったおれが慌てて頭を下げると、見抜かれていたのだろう。よしよしと笑顔で頭を撫でられてしまった。
「ふたりともとてもカンがいいですね。教えていて楽しかったですよ。
……と、そろそろお茶の支度ができたようですね。
中でいただきましょう、皆さん。
お靴のままで気軽に、どうぞ」
ユーさんの言葉に見れば、茶房につづくガラス扉が大きく開かれていた。
スリットひかえめなチャイナドレス姿のメイドさんたち数名が、丁寧にお辞儀をしている。
おれたちもお辞儀を返して、落ち着いた色合いの茶房に入っていった。
ななんと評価もいただいておりました……ありがとうございます……!!
次回、新章ですが続きです。
お茶を飲みつつ、思うところを話す四人の政治談議はどう転ぶのか?
どうぞ、お楽しみに!




