5-4 うさぎ王子、捕獲さる
一度、部屋に戻るから。とはいったものの、やはり気分は晴れなかった。
気がつけばおれは、学園の門を飛び出していた。
別に、本当に星降園に帰るつもりだったわけじゃない。
ただ、郊外の、空気のいいところで深呼吸でもして頭を冷やそう。
そう、思っていただけなのだ。
高天原郊外は、ヴァルハラの野外フィールドと重ねられていて、野外実習に使われている。
だから、ここでならあれが使える。
スキル『超跳躍』を起動。
足元に力を集め、いっきに跳ねた!
すいっと景色が眼下に流れ、おれは青空に風を切る。
気持ちいい。もう一跳ね。おまけに大きくもう一跳ね。
はるか向こうにきらきら青く、湖が見えた。
よし、とりあえずあそこまで行ってみよう!
胸を躍らせ、跳ねるおれだったけど……
「えっ」
不意に前方から何か……いや、誰かが飛んでくるのが見えた。
二度見しようとすれば目の前には、鮮やかなオレンジ色の網。
あっとおもったときにはばさり、頭からつっこんでしまっていた。
「ウサちゃんとーったっ!」
と、陽気な声が後ろから。
振りかえれば網の向こうには、きらきらとした無邪気な笑顔。
そこにいたのは、おれよりちょっと年下だろうか、かなりの美少女だった。
青りんご色のくりっとした目がかわいらしい。山吹色のツインテールのせいか、どこか幼くすら見える。
全体として親しみの持てる印象の彼女だったが、着ているものは変わっていた。
青紫の全身タイツに、布の少ないスーツを重ねたかんじ。『スーツ』とブーツは白っぽいグレーで揃えてある。
なんとなくSFチックな、ティアブラでは見たことがないデザインだ。
「あの……っ?!」
とりあえず彼女に声をかけようとすると、落下感が襲ってきた。
思わず口と目を閉じれば、すたっとかすかな足音、ぶよんとした揺れ。
軽く固いものを地面にたたきつけるぱたんという音のあとに、しりもちをついた感じが続いた。
目を開ければ網越しに、少女がじーっとおれの顔をのぞきこみ、きゃしゃな人差し指をのばしてきていた。
わけがわからず固まっていると、ふに、ふに、とほほをつつかれる。
「ああの、なにを……」
「しゃべったあああ!!」
わけがわからず問いかけると、彼女はうれしそうに叫んだ。
「しゃ、しゃべったって、おれヒトですし……」
「おおお……これはまさしく『肉入り』だあ……
なーんかめずらしい動きしてると思ったけどそうだったのかー。
よーし、持って帰ろっ。『高天原』のこともいろいろ調べられそうだし」
パイン飴を転がすような、すこし幼さを残す声で言い出したのはしかし、ちょっとわけのわからないことばかり。
おれは大いに戸惑いながら、改めて彼女に声をかけた。
「えっとあの……どなたさま……」
「なにやってんだい、ジュディ」
ぞくっ、とした。
背後から、したのだ。少女よりも年上の、もっと言えば大人な女性の声が。
でも、気配はまったくしなかった。
振り返って見上げると、『ジュディ』と同じような服を着た女性が、どんと腕組みしておれを見下ろしていた。
「……おやおや、これは『うさぎの国の王子様』じゃないかい。
エルメス様に、いいお土産ができた」
彼女はふいとかがみこむと、おれの顔をのぞきこんで笑った。
金色の瞳が強い輝きを宿しておれを見据える。
水晶色のロングヘアがはらりとかかる精悍なほほ、パールのルージュを引いた唇。
なにもかもが、ワイルドさを宿して強烈に色っぽい。
おれが思わず顔をそらすと、網ごとぐいっとあごをつかまれ、顔のむきを戻された。
「な、何するんですかっ」
「なるほど、お前はそこそこ『できる』子みたいだねえ。
あたしの気配を感じ取れなかったんだろう。それで脅えている。どうだい、当たりだろ」
「……はい」
「あはははは! 素直ないい子だ!! 気に入ったよ坊や!!」
悔しいがその通りだ。素直に肯定すれば、彼女は手を離し、喉をのけぞらせて笑った。
いちいち挑発的に色っぽいが、見とれる気分にはなれない。だって。
「決めた。この子はまずはあたしが『使う』!
この仔うさぎちゃんを人質に、『青嵐公』を引きずり出す。
教師なんぞに収まって腑抜けになったあやつを打ち倒し、その目の前で……」
バッと立ち上がるや、とんでもないことをのたまい始めたのだ。
まるっきりアニメの悪役のように、にんまりとおれを見下ろして。
おれに何をする気なのかはわからない。けど、これ以上先生に迷惑はかけたくない!
逃げ出そう、おれはそう思った。
でも、具体的にどうしよう。
下手に動いてすれ違いになれば、それを利用して先生との決闘に、不利な条件を付加されてしまう恐れもある。下手な抵抗をして傷でも負えば、先生が責任を問われる。
このまま自力で、無傷で逃げかえることができればベストなのだが……
『青嵐公』のライバルだったらしきこの女性と、実力のわからない少女『ジュディ』、いるかわからない敵の伏兵を相手に、無事帰還なんてことができるのだろうか?
無理、無理。無理としか思えない。
だって、おれは馬鹿だから。
余計なことをしては、失敗している。
いまだって、馬鹿みたく郊外で跳ねまわるなんてことをせず、おとなしくグラウンドを走るとか、ジムでサンドバッグでも殴っていればよかったのだ。
なのに能天気に飛び出して、こんな風に得体のしれない人たちにつかまり、またしても先生に迷惑をかける事態に陥ってしまった。
そんな、失敗ばかりの間抜けが、これ以上動くのはむしろ――
そのとき、ポケットで着信音が鳴った。
「出ていいよ。だが余計なことは言うな」
「はい」
おれは女性の言葉に従い、携帯用端末を胸ポケットから取り出した。
画面表示を見れば、狐のマーク。『青嵐公』先生だった。
迷ったが、通話に応じることにした。
画面の表示は、いつものように黒。
そしてSOUND ONLYの赤い文字が横たわっていた。
「……はい、カナタです」
「お前に手紙が来ている。ホシゾラ ソナタ、お前の妹からだ。
すぐに顔を出すように」
「ソナタからですかっ?! はい、すぐに……」
最愛の妹の名前を聞いて、いっきにテンションがあがった。
そうだ、おれはソナタの兄貴だ。ソナタを守らなきゃいけない存在なんだ。こんなところでいじけている場合なんかじゃない!
どうあっても無事に帰るんだ。責任を問われたらおれが何とかする。罰を受けたらきっちり果たしてまた前に進む!!
そのときおれは、あることに気が付いた。
顔を出せって、どこに?
先生は呼び出しのとき、いつもきちんと場所を言う。
そこでさらに気が付いた。先生からの連絡はほぼ常にサウンドオンリーだ。
画面表示は、黒字にSOUND ONLY――ただし、文字色は『白』だ。
つまり、これは!
もぞもぞと座りなおすふりをして、おれごと携帯用端末の向きを変える。
そして、ふたりの姿と周囲の状況が、さりげなく画面に映り込むようにした。
「……ああ、とりあえずはそこで待っていろ。用事ついでだ、俺が届けに行く」
「ありがとうございます。お世話かけます」
先生の声が半オクターブ低くなった。事態は伝わったようだ。
一礼してお礼を言うと、通話終了時の音と表示が出てきた。
もちろん、これもニセモノだ。
おれは、そのまま端末を胸ポケットに入れた。
「なんだって」
「あの、先生から。おれに手紙が来てるって。悪いんですけど、帰っていいですか?」
「んなわけないだろ。」
「すいません」
どうやら二人には気付かれずに済んだらしい。女性の方から、ただぶっきらぼうに問いかけられた。
おれは表情を明るくし、ちょっと馬鹿っぽくのたまってみたが、こたえは半目でバッサリだった。
蹴られるハメになってもつまらない。『素直に』謝っておく。
「さてそれじゃあ、しばらく時間を潰すとするか。
あのいけすかない青ギツネが、かわいい仔兎ちゃんを心配し始めるまでね」
「ああ、それがいいだろうな」
そのとき、おれは悲鳴を上げかけた。
またしても声がした。けれど気配はしなかった。
声のした方を振り返ると、そこには――
戦装束をまとった先生が、いや、完全にガチモードの『青嵐公』が立っていた!