2-3 そこはまるで、映画の世界
巨大な円筒形のホールは、どんと三階まで吹き抜けだった。
正面の大きなステンドグラスを抜けてくる外の光と、天井から下がったシャンデリア、壁面に灯るいくつものランプで照らされて……
ここはファンタジー映画のお城か、はたまたどこぞの魔法学園かといった趣だ。
「こちらが正面ホールですわ。小規模な式典やコンサートが催されたり、掲示物が出されたりもしますのよ」
「はぁ……」
どこかほこらしげにアップルさんが言う。
いや、前半と後半のギャップって。
だが、目の前の光景を見ていると、そんなのどうでもよくなってくる。
ところどころにオブジェが配置された、広い広いホール。
いくつものタペストリーのかけられた右と左の壁面に沿って、ゆるくカーブした階段が昇っていく。
途中三つほど設けられた踊り場にあるドアが、各フロアへの入り口だろう。
階段の手すりとドアは、おそらく木製。ここからも、つやつやとしたあめ色が見て取れる。
「うわー、転移魔法で移動したいなこれ……」
「実習、非常時以外の移動系魔法やスキルの使用は校則で禁止ですわ。お気を付けくださいませね」
「マジー!」
悲鳴に近い声を上げるイツカ。
在校生たちもそこは同じ気持ちだったようで、うんうんとうなずく気配。
妙なところで気持ちが一つになった瞬間だった。
「大丈夫ですわ、今向かっているのはうえではなくて奥ですから♪」
よく見れば、ひときわ大きな女神像のちょうど向こう側。正面奥の壁にひとつ、広い通路が口を開けていた。
像を迂回して突入。そのまままっすぐ進んでいけば、まず左手への分岐が姿を現した。
「こちらをいけばまず、男女別の生活施設棟。
そして、倉庫と零星、一ツ星の皆様の第一寮がございます。
こちらは後で、また参りましょう」
とりあえずそちらには踏み込まず、まっすぐ進み続けると、今度は右への分岐があった。
「こっちは?」
「最初にわたくしたち、学園メイドの詰所がございます。
さらに奥で三ツ星、四ツ星の皆様の第三寮とつながっておりますの」
「あれっ、二ツ星は?」
「第二寮は学食内、左側の通路でつながっておりますわ」
「え、てことは学食近いんだ。ラッキー!」
フリーダムなイツカの言葉に、そこここで笑いが起きる。
となりのおれは微笑ましい半分、恥ずかしい半分だ。
ともあれ、右への分岐も通り過ぎる。
通路の突き当り、半透明の扉を開ければ、ちょっとした体育館ほどもある空間が広がった。
ずらっと並ぶ、テーブルとイス。部屋の奥側にある、販売カウンター。
いまはほとんどガラガラだが、間違いようもない。
「これが……学食……!」
「はい♪」
荷物が邪魔にならないよう、壁沿いの通路を通る。
そうして、手前から1/3ほどにある扉を開ければ、リノリウムの渡り廊下が現れる。
直角に右に折れたその先に、旅館の客室フロアめいた光景が広がった。
落ち着いた色合いのドアが並んだ廊下をひたすら進み、103と書かれたプレートの前でストップ。
「まずはお疲れ様ですわ。こちらがお二人のお部屋です。
どうぞ、お荷物を置いて中をご覧くださいませ」
ドアの向こうに待っていたのは、普通の家より良さ目の玄関だった。
全体の広さにして三、四畳。壁紙はアイボリー。たたきは淡い水色。
明るい木目調のフローリングに彩られた玄関ホールには、コート掛けや帽子掛け、玄関収納がそろう。もちろんすべてがピカピカだ。
たたき部分の左壁にはちょっとしたものを置ける棚。右壁にはなにやら入り口がある。
イツカがひょいとなかをのぞきこめば、ぱっと明かりがついた。
「カナタ、ここ! シューズインナントカじゃなかったか?」
「シューズインクローゼットだよ。
これ、おれたち二人分なんですか?」
「はい、もちろんですわ」
その広さなんと、三、四畳ほど。棚も換気も設けられたしっかりしたものだ。
前言撤回。普通の家よりぜんぜん良さげな玄関だった。
「もっと荷物持ってきても良かったかな?」
「持てないだろ!」
いまだ荷物まみれにもかかわらずそんな発言をかます能天気イツカ。
おれはもちろんつっこんだ。
「うふふ。急いで荷解きしたいものがございますか?」
「あとで大丈夫です!」
「では、まずこちらにお荷物を置いて、お部屋をざっと見てみましょう」
玄関にキャリーとうわばきを、ホールに残りの荷物を置く。
ホールの奥の扉を開けると、現れたのはベッドと机のある部屋……じゃなく、これまた明るいリビングルーム。
ベランダに続く大きな窓から、いっぱいの光。
玄関ホールより落ち着いた色合いのフローリング、海のような青色のソファーとカーテン、マットな黒のローテーブル。テーブルの上にはなんかのリモコン。
そう、どうみてもそこはリビングルームでしかなかった。
「……あれ?」
おれたちは顔を見合わせた。
星降園の個室にあったのは、机とクローゼットとベッド。
だから寮室といえば、そういうものと思っていたのだけれど……
「テレビはこちらですわ!」
と、黄色いボブヘアのメイドさん、パインさんがおもむろにリモコンを操作する。
ソファーの向かい、壁面収納の一部が開き、そこに画像が出てきた。
そう、つまりは……
「壁掛けっ!」
おれたちの声がハモれば、オレンジのシニヨンヘアのオレンジさんが、横手のドアを開ける。
「そして、こちらのドアの内側がサニタリー。バス・トイレ、ランドリーがありますわ」
「まじか!」
「風呂水は当然使えましてよ!」
「さすが!」
風呂水使用可能。地味にだがうれしい仕様だ。
うん、所帯じみてる自覚はある。
しかし、こうなってくると……
「……あの、もしかして」
「ミニキッチンもございましてよ!」
うずうずしながら訪ねれば、グリーンのハーフアップのキウイさんがテレビと逆側のパーティションを誇らしげに開く。
キッチンだ。小ぶりながらも、冷蔵庫コンロ作業台流しがそろってる。
さらには炊飯器にレンジにポット、調理器具・食器類までひととおり。
おれはおもわず万歳してしまった。
「やった、これで好きなときにお茶できる!」
「すげえな! ここもうほぼミニチュア版のうちじゃん!」
『とりあえず、お茶で一服』は大事。星降園での『母さん』の教えだ。
おかげでおれもすっかり『ノーティー・ノーライフ』がモットーとなってしまった。
ティアブラ内でも、お茶を選んで入れるのは、おれの担当にしてもらっていたほどだった。
……うん、男子中学生らしくない自覚はある。
「さて、それでは最後に、おまちかねの……」
ともあれ。
紺色のポニーテールのブルーベリーさんが示したのは、今の奥側の短い廊下。
ここをゆけば、寝室兼勉強部屋か。
そう思ったけど、その先にあったドアは一つじゃなかった。
まず、奥側のドアを開ける。
するとそこは、深海を思わせる深い青に満ちた、宇宙船のコックピットみたいな部屋だった。
学内の木立が見える出窓、壁に向かった机、落ち着いた色合いの本棚、そして、座る者を包み込むようなデザインの椅子。
「スタディチェンバーですわ!」
そう宣言するブルーベリーさんの声は、響き方が外と違う。
「……もしかしてここ、防音入ってます?」
「大正解ですわ。
特に集中なさりたいときは、出窓の内扉を閉じ、窓を封印するとさらに防音効率が高まります。
さらにこの椅子、横手のスイッチを入れますとヘッドレストがボンネット型となり、簡易ログインブースになりますのよ。
背もたれのリクライニング、足置きの高さ調整とも、無段階で可能となっております。
課題をこちらで行うと、とてもはかどりますかと」
「すげえ……」
「すごすぎる……」
「これは嫌でも集中できるな……」
「ここの棚には漫画とか置かないようにしないとね……」
「ああ、ここは死守だな、全力で!」
妙なところで、おれたちの気持ちが一つになった。
そうして、最後に訪れたのが寝室だった。
勉強部屋が深海ならば、こちらは明るい木立を思わせた。
余裕の間取りと大きな窓。ベランダには日差しがあふれ、布団を干すにはよさそうだ。
アイボリーの壁紙に、やわらかなグリーンのカーテンとラグマット、木目調の調度でさわやかな感じ。
置いてあるのはクローゼットとベッド、サイドテーブルが二組のみ。
全体にシンプルで上質な感じの、リラックスして寝起きできそうな部屋だった。
ただ、ベッドの間には、距離はあるが仕切りなどはない。
これはくぎを刺しておかねばならない。
おれはイツカを振り返り、一言一言区切るように告げた。
「イツカ、わかってるとおもうけど、徹夜とか午前様とかこれからはだめだからね?」
「わかってるって。だいじなクラフター様にご無理はさせねーよ!」
おれが寝た後、イツカがとなりのベッドにごそごそ入ってきたら、おれは確実に目を覚ましてしまう。そのあたりはイツカもわかってくれているようだ。
でも、それがないとしたって、イツカの夜更かしグセはそもそも問題なのだ。
せっかく苦労して入った高天原。その授業で居眠りとか、バディのおれが情けない。
「おれだけじゃなくて! イツカも無理はだめだから! 約束だからね?」
「へーいへい!」
なんとなくメイド隊のみんながホワーンとしてるみたいが……深くは考えるまい。
おれたちは絶対、断じて、1ミリだって、そういう関係じゃないのだ。
まあむしろイツカはいまだ、そういうのたいして興味なさげって、逆に心配ではあるけれど。
もしかして、おれのせいなのかな。
ソナタの件ではイツカにも大きな負担をかけてしまっている。だから、イツカのこころは……
「そうそう、私設メイドの届け出はなされていないようですが、よろしかったですか?」
「あーそうそう。カナター、ライムちゃんとの話はどうなったんだっけー?」
「よ! よろしかったですっ!!
別にどうにもならないよ! 関係ないだろライムはいま!!」
「ふ~ん~」
居間に戻りつつアップルさんが発した、あくまで事務的な問い。
そこに、イツカは『よりによって』な話題をぶつけてきた。
うん、わざとだ。このニヤニヤ笑いは確実にわざとだ。
おれは確信した。やっぱりただのフリーダム野郎だこいつめは。
「かしこまりました。私設のメイドがご用意できましたら、お申し出くださいませ。
メイド控室ありのお部屋にお移りいただけますわ。
お部屋代は、メイドの数とご相談という事で」
アップルさんがそう言えば、イツカは急に黙り込む。
真剣な顔で、しばらく沈黙。
そののち、言い出したことは……
「んじゃ逆に、もっと部屋代安い部屋に移ることってできないか?
おれたち、妹の手術代ためてるからさ。差額をそっちに回せたらいいなって……」
「それは勧められんな」
それをぶった切るかのように、若い男の声が響いてきた。
アップルさんたちはその瞬間、さっとドアの左右に別れて道を開け、深く頭を下げた。
堂々とした、張りのあるその声には、どこか聞き覚えがあった。
果たして居間に入って来たのは、何故だかひどく見覚えのある青年だった。
前髪長めのつやのある黒髪、強い光を秘めたターコイズブルーの瞳、きりりとした顔立ち。
黒縁のめがねをかけ、青いきつねの耳しっぽを生やし、黒いかすりの着流しをまとっている。
ゆるりと揺れる尻尾は九本。伝説級装備のひとつ『キュウビ』のそれだとすぐにわかった。