夢のような日々(4) ロマンチスト
クリスティアーノが以前のように王都へ月に一度訪れるようになり、二人の仲睦まじい様子に誰も間に入ろうなどと思わなくなった頃。
「あ、あの……何か、御用、でしょうか?」
クリスティアーノは窮地に陥っていた。
廊下を歩いている途中、「オホホ、親愛なるクリスティアーノ公爵様、ちょーっとよろしいかしら?」と腕を引っ張られ、人気のない場所に連れ込まれた。背後には壁、目の前にはただならぬオーラを醸し出す仁王立ちのコーデリア。何も心当たりのないクリスティアーノは、へなへなと床に座り込んで彼女を見上げるしかない。端から見れば完全に恐喝現場だ。
「クリス、あと半年で私20歳になるわ」
「もちろん、わかってるよ。ちゃんと今年もプレゼントも用意する。でも、まだ半年も」
「言ったでしょ? 私、20歳までには結婚したいの」
果たしてそんな事を言っただろうか、とクリスティアーノは首を傾げる。こういう場合は大抵コーデリアの勘違いなのだが、今それを指摘した所で火に油を注ぐだけとわかっている。間違いの訂正は彼女が冷静になった時でいい。とにかく怒りの原因を突き止める事が急務だ。クリスティアーノは眉尻を下げて降参を示す曖昧な笑みを浮かべ、彼女の次の言葉を待った。
コーデリアは何かを言いかけてから急に口ごもると、しゃがんでクリスティアーノの膝に両手を置いた。いつもは彼に合わせてもらう目線の高さを自分で合わせ、周りに人がいないかを少しだけ気にして声を抑える。
「だから、それまでに結婚させてよ」
「へ……?」
その言葉の意味が一度では理解出来ず、クリスティアーノは頭の中で何度も反芻させた。
――誰と? 僕と? それとも相手を探せと?
コーデリアの意図を読み解くのに頭がいっぱいで、言葉が出てこない。
「あなた以外誰がいるのよ」
「は……へ? だっ……だって、僕とは結婚しないって。他の人を見つけるって。好きな人以外とは、結婚したくないって……20歳を過ぎたっていいじゃない、好きな人を見つけ、なよ……」
「だ、か、ら!」
先程周りを気にした事など早くも忘れ、声を荒げながらべしべしとクリスティアーノの膝を叩く。大して痛くもないが、彼の混乱する頭の中を一度すっきりさせるには十分だった。
「私は好きな人と結婚するの! あなたが好きなの! あなたと結婚したいの! わかった?!」
曲解しようのないそのストレートな言葉で、クリスティアーノは顔が一気に熱くなるのを感じて目を泳がせる。でも、だって、僕なんか、そんな卑屈な言葉を返しそうになる唇を塞ぐように何か柔らかいものが触れた。見ればコーデリアが膝に両手を乗せたまま身を乗り出して、クリスティアーノの唇に自分の唇を重ねていた。
「こ、これで、私の事、好きになった……でしょ」
強気な態度と行動とは裏腹に、コーデリアの心は不安で弾けそうだった。今にも涙が溢れそうなほど目は潤み、膝を掴んだ指先の震えは隠しようもない。決して悪ふざけではなく、軽々しい気持ちでもなく、勇気を振り絞った真摯な行動だった。
そんな事をしなくても以前からずっと好きだったとか、そのつもりになったのなら早めに言ってくれだとか、クリスティアーノにも色々言いたい事はあったはずなのだが、そんなぼやきはコーデリアの魔法で消し飛んでいた。
「好きになった。結婚しよう。コーデリア王女、僕と結婚して下さい」
コーデリアの両手を捕まえてぐっと握り締める。迫力に圧されて尻餅をついた彼女を、逆に追い詰めるかのように迫る。
「え、う、うん。絶対私を幸せにするのよ、出来る?」
「出来ないと思っていたけど、今の僕ならきっと君を幸せにしてあげられる。幸せにする」
今まで押し込めてきた気持ちが、堰を切って溢れ出した。そのままコーデリアの華奢な体を抱き締め、何度も口づけをする。全身の血が熱くなり、隅から隅まで勢いよく駆け巡るような感覚。こんなにも情熱的になれるのかと自分でも驚くほどに。
「ク、クリス、クリス、もう、わかったから、恥ずかしい……」
「ディリィって呼んでいい? 僕だけの特別な呼び方がしたい」
「い、いいけど」
「ありがとうディリィ、愛してるよ」
そしてもう一度長く唇を合わせると、どちらからともなく笑い出した。すれ違っていただけで、お互いに想い合っていた事はなんとなく伝わった。
その日の内に王に謁見し、結婚式の準備を始めると報告した。同様にハドリスに鳩竜を飛ばし、クリスティアーノの父であるメルキオッレ公にも同じ報告としばらく帰らない旨を伝えた。コーデリアの20歳の誕生日までには式を済ませたい、と。
そもそも障害は何もなく、ただただ当人達の行き違いで滞っていたものなので、そこさえ噛み合ってしまえば後は流れるように物事は進んでいった。周りからすればようやく、二人からすればそれはもう目まぐるしいほどの駆け足で。
結婚式は二度行われる事に決まった。一度目はクリスティアーノの故郷ハドリスで、二度目はコーデリアの故郷王都パゼーで。前代未聞ではあったが、コーデリアの希望をどんどん組み込んでいった結果、どうも一度では収まらないとわかったからだ。
そしてまずはマードック流の婚礼の儀が行われた。花嫁であるコーデリアは頭から胸までをすっぽりと覆い隠す厚い純白のベールを被り、仲介役である長兄のアーネスト王太子に手を引かれ、自らの足元しか見えない状態で出席者達の間を歩いていく。待ち受けるクリスティアーノは、これから義理の兄となるアーネストに両手を差し出し、一振りの短剣を受け取る。そして一礼すると、コーデリアの背後へと回った。
「目を閉じて」
初めに見るものは夫の顔でなくてはならない。声を抑えて囁くと、ベールを留めていたリボンを短剣で切り離した。するりと落ちるベールをアーネストが受け止め、花嫁の顔が皆に披露される。クリスティアーノは父のメルキオッレから赤い花の冠を受け取るとコーデリアの正面に回り、目を閉じたままの彼女の頭にそれを乗せた。
「生涯をかけてあなたを愛すると誓います。あなたを伴侶とする事をお許し下さい」
その言葉を合図に、コーデリアは目を開く。いつになく固い表情のクリスティアーノの顔を見て優しく微笑んだ。感極まって溢れそうになる涙を堪えながらクリスティアーノはその額にキスをして、跪いて彼女の片足を台に乗せる。余談だが、しきたりでは夫が気に入らなければ、跪いた瞬間にその顔を蹴り飛ばせば破談になる習わしだ。それもあって少しだけ緊張しながら、クリスティアーノは「本当にいいのか」と問うように少しの間を開けてから、その爪先にキスをした。
「許します」
コーデリアがその言葉を口にした瞬間、わっと歓声が上がった。厳かな儀礼はここで終わり、盛大な拍手と少々下品な野次が夫婦となった二人に送られる。ここからはもはやただの宴会で、各々が好きに過ごしてもいい事になっていた。小柄なコーデリアはクリスティアーノの妹達に取り囲まれ、ほとんど埋もれながら祝福を受けている。義理の姉となったものの、この中では最年少なので可愛い妹が増えたといった雰囲気だ。
「クリスティアーノ公」
「アーネスト王太子、この度は仲介役をお受け頂き、ありがとうございます」
「実の所心配していたが、貴方ならば妹を任せられる。我が儘な妹だが、どうかよろしく」
「はい、お任せ下さい。彼女に頼られる事は僕の喜びですから。それでは、僕のお姫様を助けに行かないと」
酒が回ればここは本来のマードックらしい騒々しい宴会場に変わる。その前にクリスティアーノはコーデリアの手を引いて会場を抜け出した。誰も止める者はいない。ただ微笑ましく見送るだけだ。
連れていった先は屋敷の屋上だった。肩を並べて遠くまで見渡せるこの場所が、なんとなく二人には心地よかった。ぼんやりとした月明かりの下、お互いの顔はよく見えなかったがその表情は手に取るように伝わっていた。きっと相手も自分と同じ表情を浮かべていると。
「ドキドキしたあ。マードックの結婚式って意外と厳かなのね。あんまり静かだから、ちょっと笑っちゃいそうになったけど」
花嫁のベールを刃物で剥ぐ由来、純白のドレスに赤い花の冠の意味。これを知ればコーデリアの認識も変わるかも知れないが、せっかくの感動に水を差すのは野暮だろうとクリスティアーノは口を噤んだ。
「ディリィはすごく綺麗だった。僕は幸せ者だよ、本当に」
「クリスは緊張して変な顔してたけど」
「うっ、ごめん……こんな時まで情けない夫で……」
「ふふっ、いいの。クリスのそういう所、私は大好きよ。何でも一人で完璧にこなしちゃう人なんてつまんない。そんなの、私がいなくてもいいじゃない?」
そう言ってコーデリアはクリスティアーノの肩に寄りかかった。じんわりと伝わる温かさに目を細め、穏やかな呼吸のリズムに合わせて心地良さそうに息をついた。
「クリス、あったかいね」
「寒いの? もう中に入ろうか?」
「そうじゃなくて、ただの感想よ。あ、まさかクリス、もしかして……その」
言い淀んで袖を引っ張るコーデリアを見て、何が言いたいのかは大体伝わった。二人で赤くなって眼下の宴会の明かりを見る。タイミング良く、酔った誰かの豪快な笑い声が響いた。主役が不在でも宴会は大盛り上がりのようだ。
「そ、そういうのは、王都での結婚式が終わってからにしよう。僕達はまだ半分しか式を終えてないんだから、うん。ディリィに出会って、夢とかロマンとか素敵な恋物語とか、そういうのっていいなぁって思ったから、もうちょっとドキドキを高めておきたいかなぁ」
「そうね、じゃあそうしましょ。心の準備とか、私にも色々あるのよ」
「その前に、今度は僕が王都式の段取りを確認しなきゃね。それが終わったら、南に新しく家を建てようかな。景色の良い場所に大きなバルコニーのある家を建てて、広い庭園を作ってたくさんの花を植えて、僕とディリィと子供達が住むんだ」
「ふふ、おとぎ話の王子様とお姫様みたい。そして二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました、ね?」
「ディリィのお陰でロマンチストに転向しましたから」
初めに出会った頃の、クリスティアーノの瞳を曇らせていた影は完全に消え去っていた。
「ディリィ、愛してるよ。君にこうして気兼ねなく気持ちを伝えられる事が、何より嬉しい」
クリスティアーノは幸福感を噛み締めるようにコーデリアを抱き寄せた。王都での結婚式は一週間後の予定だ。きっとまた大きな幸福が二人を包むだろう。




