夢のような日々(3) 晴天の女神
この年はマードック領で雨が続き、洪水や土砂崩れ相次いだ。クリスティアーノは被害の大きかった南部の都市ボーツェレンに滞在する期間が長くなり、そんな事情でコーデリアの住む北の王都へと出向く事が難しくなった。――というのはあくまで口実で、実際の所はクリスティアーノ本人がコーデリアに会うのを避ける為に、自らその役割を買って出ていたのだった。また自分の気持ちが暴走してしまう事、彼女の恋路を邪魔してしまう事を恐れて。
そうして顔を会わせないまま三ヶ月が過ぎた頃、クリスティアーノの元へと手紙が届いた。上等な紙に王家の封印。何かあったのだろうかと封を切る。彼女の文字を見たのは初めてだったが、丸みを帯びた字がどことなくそれらしくて、自然に頬が緩んだ。
『親愛なるクリスティアーノ公爵様へ
最近忙しそうね。体は大丈夫? あなたが会いに来てくれないから、私はもう話したい事が溜まりすぎてそろそろ破裂するところだわ。こっちはいつも通り退屈で、出会う人は嫌な人ばっかり。
だから、そっちに遊びに行く事にしたわ。準備よろしくね。
――追伸、あなたの弟は絶対に追い出しておいてね』
「ハハ、王女からのラブレターか、兄上。三月も放置ではな! そろそろ他の男に股を開いているかもしれんぞ? 会いに行ってはどうだ」
その件の弟、フランチェスコが背後から手紙を覗き見ようと身を屈ませる。クリスティアーノは素早くバシンと音を立てて手紙を机に伏せると、頭突きを食らわせそうな勢いで立ち上がって弟を退けさせた。コーデリアが彼を嫌うのもよくわかる。クリスティアーノは最大限の侮蔑を込めて弟の顔を見る。王女に対してもこういう態度だったのかと。
「王女への侮辱だ。そういう下卑た物言いは二度とするな。……フラン、お前どうせ滞在するならエンデナーの方がいいと言っていたな。エンデナーへ行け」
「は?」
「どうせここでの滞在が終われば次はエンデナーの視察だ。先に行っていろ。兄としての命令だ、今すぐ行け手ぶらで行け歩いて行けっ」
呆然としている弟の胸を拳で何度か小突いた。穏和なはずの兄に凄まれた弟はすごすごと涙目で退散し、クリスティアーノは改めて頭を抱えた。
親愛なるクリスティアーノ公爵様へという文面、体調を気遣ってくれた事、会いに来てくれる事、何もかもが嬉しい。嬉しいのだが、素直に喜べない。一体どんな顔で会えというのか。そもそも彼も被害の確認でこの地を訪れているので、ろくなもてなしは出来ない。
クリスティアーノは窓の外へ目を向けた。相変わらずの雨だ。恐らくこの手紙を運んだ鳩竜も王都から数日かけてここまで飛んできたのだろう。これでは陸路の方が早いくらいだ。王女は今日明日にはやってくると推測し、クリスティアーノは覚悟を決めて準備に走り出した。
コーデリアがクリスティアーノの滞在するボーツェレンに到着したのは、手紙が届いてから二日後だった。クリスティアーノの予想よりもやや遅い。それもそのはず、やってきたのは彼女一人だけではなかった。
「お父様にお願いして、いっぱいプレゼントを持ってきたわ。遊びに来たと思ってたでしょ。見直した?」
得意気に笑うコーデリアの後ろには多くの荷車が控えており、そこには多くの救援物資が積まれていた。そして更に嬉しい事がもう一つ、あれほど重苦しく居座っていた雨雲が、王女達の到着と共に綺麗さっぱり消え去ったのだ。まるで彼女の晴れやかな笑顔の前に退散したかのように。
「思ったより良いところね、景色も綺麗で、暖かくて。私、王都からこんなに遠くまで来たの初めて」
雨上がりの澄んだ空気の中、コーデリアは招かれた屋敷のバルコニーからの景色を楽しんでいた。クリスティアーノもその隣に並び、農地の広がる平原と青く並び立つ遠くの山々を眺めた。未だに眼下の川は茶色く濁ってはいるが、数日の内に元の澄んだ流れへと戻るだろう。自分の領地にいるお陰か、互いの両親がいない場だからか、王都に滞在していた頃と違い、不思議と穏やかな気持ちでいられた。
「コーデリア王女、誰かがあなたを女神だと言っていたけど……僕もそう思うよ」
その意味は伝わらなくてもいい。酷く遠回しで、消極的で、一方的な告白だった。
「大袈裟ね。たまたま晴れただけよ」
「皆が救われたのはたまたまじゃない。君のお陰だ。本当にありがとう」
クリスティアーノは一度手元に視線を落としてから、改めてコーデリアと目を合わせて礼を言う。その瞳からは怯えや迷いは消え、コーデリアが真っ直ぐに見つめ返しても逸らされる事はなかった。こうしてしっかりと見つめ合うのは、二人にとっては初めてだった。
「クリス、ちょっと顔変わった?」
「え、老けた、かな」
「なんだか目の色が綺麗になった気がする」
「そ、そう? うーん……屋外で会うのは初めてだからじゃないかな。君も陽が当たって髪がいつもより鮮やかに見える。茶色だと思っていたんだけど、こうして見るとオレンジなんだね」
この場にカーライルがいたなら、もどかしさで身悶えしていただろう。いないからこそ邪魔されずに出来る会話でもある。
「そういえば、愚痴を聞いて欲しいんじゃなかった? そろそろ破裂しそうって手紙に書いてあったよ、大丈夫?」
「ああ……そうだったわ。でもクリスの元気そうな顔見たらどうでもよくなっちゃった。それに、こんな綺麗な景色を見ながら愚痴なんて言えないわ」
それから二人は夕日が沈むまで他愛のない会話を続けた。これから行きたい所、食べたい物、お気に入りの靴、部屋の窓から見える鳥の巣、見つけた一番星、ほとんどはコーデリアからの一方通行。それはいつも通りで、クリスティアーノも久し振りの彼女のおしゃべりを楽しんだ。最後には話題に困り、結局は愚痴も交えたものの、本来彼に報告すべき“出逢った素敵な人”の話題をコーデリアは出さなかった。クリスティアーノよりも優しく素敵な人とは出逢わなかったのだから、話しようがなかった。




