女王の即位 そして
イリシュアール解放戦争は、こうして決着した。
国王キリリュエードは王位返還の宣誓書にサインをし、投獄された。
イリシュアールの次の国政を担う者としてアンナが王位を継ぐことになったが、実はこれには一悶着があった。
アンナは女王になることを望んでいなかったし、アンナが望まないのなら俺も反対の立場を取ることになる。
ウェルニーリを始めとしてアンナの即位を求める声が多い中、俺は一つの提案をした。
それは選挙制の導入。
転生前の民主主義をそのまま持ち出すつもりはなかったから、とりあえずの案として提出してみただけだ。
これには意外にも貴族筆頭のルイニユーキが好感触を示した。
この世界において選挙制は過去にも例がないわけではなく、検討に値するとのことだ。
しかし王政から民主政への転換というあまりに大きなかじ取り。すぐにというわけにはいかない。
国民を安心させるためにも選挙制度の準備が整うまでの間は、アンナが女王として即位するという折衝案に落ち着いた。ウェルニーリとしてもアンナの意向を完全に無視するのは本意ではないということで、この案は全会一致で承認された。
バタバタと慌ただしい時間は瞬く間に過ぎていった。
そして俺はこの日、王宮の中のおそらくは一番豪華だろう一室に足を踏み入れた。
以前は王が住んでいた部屋だが、今はアンナがここの主ということになる。
なんというか豪華で美しく、とにかく広い部屋だ。
床や壁や天井は大理石なのか真っ白で、ピカピカに光るほど磨かれている。
家具や調度もなんの木材なのかわからないが深みのある赤紫色で、いちいち彫刻が施してある。金で模様が描かれている物もあった。
靴先が沈むほど毛足の長い絨毯も、やはり複雑にして豪華な模様が織り込まれている。
その絨毯の真ん中では今、三人の少女たちが一人の少女を囲んでいた。
「メイド服か。似合うな」
「へへー」
ひらひらの多い白と黒のエプロンドレス姿のエリを見て言った。
エリはいたずらが見つかった子供のような笑顔を浮かべた。照れているらしい。
「本当にすげーよく似合ってる。お前、メイドの仕事もしてたのか?」
「うんにゃ。メイドはやったことないよ。でもまあカフェとかレストランの給仕なら。それにメイドって言ったって、要は身の回りのお世話でしょ? 家事なら自信あるよ」
どんな仕事でもこなすやつだなぁ、ほんと。
ああ、そういえばエリは一応、侍女――メイドとして俺たちについてくることになったんだっけ。
堂々としたメイド姿のエリは、すでにベテランの風格があった。
頭の上のカチューシャも本格的でかわいらしい。
メイドのイメージといえばメイド喫茶くらいしか思い浮かばないほど知識が貧困な俺にも、エリの姿はとてもよく似合っていると思った。
まあ相変わらず大きすぎる胸がはちきれんばかりにメイド服を押し上げてしまっていて、目のやり場に困るのはどんな衣装でも同じだが。
「うぅ……クリスのいじわる」
その声の主。
それはもちろんアンナだ。
だけど、真っ先にアンナに声をかけなかったのには理由がある。
あまりにも現実離れしすぎていて、言葉が見つからなかったのだ。
「あ、ああ……えっと……かわいいよ」
結局しどろもどろに口を突いて出たのはそんなありきたりな言葉。
自分で自分の頭を殴りたい衝動にかられる。
どうしてもっとマシな表現が出てこないんだ。
お姫様。
そう、お姫様だ。
真っ白なドレスはウェディングドレスかと思うくらいにボリュームがあって、王族が着るためのものだと一目でわかる。
これだけのドレスだ。着付けには人手がいる。エリたち三人の少女は時間をかけてアンナにこのドレスを着せていたのだ。俺はそれまでの間部屋の外で待機していたというわけ。
バルコニーから差し込む日差しに照らされて輝く髪は、ていねいに櫛を通されていてサラサラだ。頭の上には大きな金のティアラ。どんな画家だってこぞって絵に描きたくなるに違いないというほど様になっていた。
アンナは幸せそうに目を細めた。
「ほんと?」
「ああ」
「えへへ」
俺はアンナに近づく。
メイドの少女たちは何も言わずに離れて距離を置いた。
ドレスを大きく揺らして、俺の胸に飛び込んでくるアンナ。
「よかったぁ! あたし、それだけでも女王さまになってよかったかも!」
「大げさだなぁ」
「大げさじゃないもん! あたし、クリスのために女王さまになったんだよ!」
「え……」
それはどういう……。
「クリス言ったよね? みんなのために、王女らしく振舞えって。だからあたし……」
ああ。
思い出した。
たしか第二軍を破って、ロミオの軍と合流するためにシュビーラゼの町を目指していたときの話だ。
兵の士気を保つために、そんなことを言ったような気がする。
アンナのやつ。
今の今まで律儀にずっと守って我慢してやがったのか。
本当に本当にこいつは……。
出会ったときからずっと健気で、がんばり屋で、俺のことだけ見てて……。
気が付けば俺はアンナの背中に腕を回して、自分から抱き返していた。
アンナは抵抗しない。まっすぐに顔を上げて俺の目を見つめてくる。
くりくりとよく動く、愛嬌たっぷりの大きな瞳。
いつもよく笑っていて、笑顔がとてもよく似合う――その唇。
俺はゆっくりと顔を近づけていって――。
「きゃ」「ああん」
メイドの少女たちが職務を忘れたように黄色い悲鳴を上げた。
「はわー……」
エリは顔を赤くしてぽーっとのぼせたような顔をしていた。
俺もアンナも気にしない。
目を閉じたアンナと俺は、たっぷりと長い口づけを交わした。
ドンドンドン!
部屋の扉が激しく叩かれる。
「そろそろ時間だぞ! 準備は出来ているか?」
イリアの声だ。
アンナの女王としての初仕事が待っているのだ。
王都の大通りはすでに大勢の人でごった返している。
女王の即位を広く国民にアピールするパレードが予定されていた。
俺が顔を離すと、アンナは名残惜しそうにはにかんだ。
「じゃ、行くか」
「うん!」
俺はアンナの手を取って歩き出した。




