三度目の邂逅 対決ラルスウェイン
一瞬前まではたしかにいなかった。
青い刺繍の入ったオレンジ色の、目立つローブを着たそいつを俺は知っていた。
ゆるやかにウェーブのかかった金髪。褐色の肌。
「ラルスウェイン……」
シャーバンスでは裏切者のジュザックを背中から刺し貫いた。エリの親友リルスウェインの姉だという少女。
ラルスウェインはこちらにゆっくりと目を向けて言った。
「クリストファー・アルキメウス。お前ともう一度会うことがあれば、それはきっとお前を殺すときだと思っていた……」
ラルスウェインの背後で王の声に喜色が宿った。
「だ、誰でもいい! わしを助けろ! こいつらを始末しろぉぉぉ!!」
王の口ぶりからすると二人は知り合いではないのか?
ならなぜラルスウェインは割って入るような真似をしたのか。
ラルスウェインは王の言葉にもぴくりとも反応を見せない。
そして発せられる言葉はとんでもないものだった。
「今この国に政変が起こるのはまずい。反乱をなかったことにして、軍を解散してはもらえないだろうか?」
「は……?」
思わず空気の抜けたような声を上げてしまう。
そしてそれは他の面々も同じだったようだ。
みな口を開けて絶句している。
ようやく口を開いたのはイリアだった。
「ばっ、ばかな! お前は一体なんなんだ!? 突然現れたかと思ったら、なにを言い出すんだ! この戦いでいったいどれほどの人間が傷ついたと思っている! 犠牲になったと! それに、今まで圧政に苦しんだ民の気持ちはどうなる! それをなかったことにしろだと!? ふざけるな!」
「私にはお前たちの都合はわからない。だが、どうしても受け入れられないというのなら、直接排除させてもらうことになる。ちょうど今この場には反乱軍の主だった面々が顔を揃えているようだしな」
空気が変わる。
「きゃっ――」
「ひっ――」
アンナとエリが短い悲鳴を上げた。
俺たちに付き従う百余名の将兵たちも身じろぎした。
殺気ではない。ラルスウェンは殺気すら向けてきてはいない。
それでも圧倒的すぎる存在感――威圧感が周囲に放たれているようだった。
ロミオとイリアが剣を抜き払った。
緊張感を顔に浮かべてラルスウェインを見据えている。
そこには一切の油断も妥協もない。
炎神と呼ばれる剣豪二人は、すでに目の前の少女が常軌を逸した存在であることを感じ取っているのだ。
「みんな下がっていろ。こいつはただ者じゃない」
俺は手で制して二人を止める。
そう、こいつをなんとかできる可能性があるとすれば、それはおそらく俺だけだ。
ラルスウェインはほんのわずかな間、目を閉じた。
「抵抗するのはやはりお前か……。ならば仕方ない。クリストファー・アルキメウス……死んでもらう」
進み出た俺にラルスウェインは冷たく宣告した。
それと同時にパッと姿が掻き消える。
あのときと同じだ!
まるでスイッチをオフにしたかのような唐突な消え方。
瞬間移動か? 透明化か?
俺はシャーバンスでの一件以来、おそらく後者だろうと仮説を立てていた。
目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。
足音――!
ほんのかすかな足音が、右側へ回り込むように聞こえてきた。
「そこだ!」
俺は手加減なしの風刃符を放った。
が、風の刃は深紅の絨毯を抉っただけに終わった。
「外れだ」
声は後ろからした。
ば、ばかな!?
たしかに今……音が……なんで後ろに……。
思考がぐるぐると回る。
そして背後から刺し貫かれたジュザックの姿を思い出す。
やばい――。
全身から気持ちの悪い汗が吹き出すのを感じる。
圧倒的な死の予感。
「クリス!!」
アンナの悲鳴。
そして、背中に感じる……焼けるような痛み。
自分が雑巾になってぎゅううっと絞られていくような、どうしようもない苦しさ。
「がふっ」
口から漏れた声は大量の鮮血を伴っていて――。
――俺の体に貼られていた術符が自動発動した。
「なっ!?」
驚きの声はイリアのもの。
それも無理はない。
おそらく俺はイリアたちから見れば、ラルスウェインから逃れて後方に瞬間移動したように見えたのだろう。そしてイリアの真横に突如現れたのだ。
しかしそれは瞬間移動ではない。
これこそ俺の奥の手。
俺があらかじめ自分の体に貼っておいたのは、数分前までの生体情報を記録する機能を有した特別な術符だ。俺の魔力供給を直接受けて、剥されない限り待機状態は半永久的に続く。
この記録魔法は、他人には使うことができない。自分自身の生体情報しか正確に把握することができないからだ。他人に対しては魔法の発動に必要な基礎情報を用意することができない。
そして術符の効果はもう一つ。
数分前までの記録情報を元に、任意または特定条件において再生すること。
俺は一瞬前にラルスウェインにたしかに背中を刺し貫かれていた。
しかし俺の生命の危機を察知した術符が自動的に発動して、数秒前の位置情報と生体情報を再生――置き換えたのだ。背中の刺し傷は完全に元通りだ。
これを俺は時翔符と名付けて呼んでいる。
今俺の背中に貼られていた時翔符が一枚、役目を終えて燃え尽き剥がれ落ちた。
残る時翔符は三枚。
願わくばラルスウェインには俺のことを不死身の存在だと思って恐れてもらいたいが。
「……」
ラルスウェインは手にした短剣に不思議そうな目を落していた。
その隙は見逃さない。
俺は風刃符を叩き込むと共に、短剣を手に再びラルスウェインの下へと飛び込んだ。
が、風刃符はまたしても空を切る。
姿を消すラルスウェイン。
音は今度は左から聞こえた。
俺は最初にレクレア村跡でラルスウェインと会ったときのことを思い出していた。
決して声など届かないような遠距離なのに、まるで耳元でささやかれたかのように声が聞こえたこと。
あれはラルスウェインのもう一つの能力だ。
おそらく任意の場所に音や声を飛ばせるらしい。
左で音がしたのなら……。
「むっ……」
右に姿を現したラルスウェインの脇腹に突き刺さる短剣。
一か八かだったが賭けには勝ったようだ。
小さく声を上げるラルスウェイン。
だが次の瞬間今度は俺が目を見開く番だった。
「なにっ!?」
突き刺さったかに見えた短剣が宙を舞う。
ラルスウェインは自身が着ていたローブを素早く脱ぎ払ったのだ。
もうわずかに少し早く刺さっていれば……。
だが後悔は続かなかった。
なぜならローブを脱ぎ捨てて飛び上がったラルスウェインの姿の異常さに気付いたからだ。
ラルスウェインはふわりと空中に浮かんでいた。
ローブの下は露出の多い、胸に布を巻きつけただけの姿。下半身も腰布一枚だけ。未開の部族か、もしくは旅の踊り子といった印象を受ける。露出は多くとも煽情的というより機能美のようなものを感じる。
しかし、そんなことより目を引くのは、その背中の白い翼。
広げられた翼はまるで神話の、神の使者のように真っ白で美しかった。
「天使さま……」
茫然としたアンナのつぶやき。
アンナの言う通り。
天使だ。どう見たって天使だ。
だが褐色の天使は氷のように冷たい表情を変えずに、短い一言を空中から落とした。
「いいや、その――逆だ」




