魔術師クリストファー・アルキメウス
家を覆いつくすように貼られていた貼り紙の依頼は、まる十日をかけてなんとか片付いた。
昼は貼り紙の客周り。店に戻ってからは新たに来た客への応対。そして日が暮れて店を閉めてからは術符の制作。
目が回るような忙しさ。
アンナも部屋の掃除や客への応対、ちょっとした店番などをしてくれた。
あんまり楽しそうに仕事をするものだから、こっちまで楽しい気分にさせられて、仕事の疲れは大きく軽減されたと言っていい。
店ではもうアンナはお客さんたちの人気者になっていた。
アンナの明るさと可愛さは一瞬でみんなの心を掴んでしまったようだ。
忙しくも充実した日々。
こんな日がずっと続くような気がしていた。
だがある日の午後。
俺は居丈高な大声に呼びつけられて玄関から顔を出した。
「魔術師クリストファー・アルキメウス! キリアヒーストル国王の命により至急、王都へ召喚されたし!」
俺の家の前に居並ぶは二十人ほどの兵士。
みな穂先に紅の飾り糸を付けた長槍を携え、揃いの鎧に身を包んでいる。
国の正規軍の兵士たちだった。
「ああ、どうもご苦労さまです。ええと、お客さんじゃないですよね?」
先頭の兵が兜を脱いだ。
中から現れたのは厳格そうな顔の四十代くらいの男。
「魔術師クリストファー・アルキメウス。間違いないな」
「いや、今は符術士と名乗っていますけど」
男はふんと鼻を鳴らした。
「貴様には複数の犯罪の嫌疑がかかっている。事の真偽を精査するために、我々に同行してもらう」
「犯罪って……」
そんな馬鹿な……。
とても断れるような雰囲気じゃない。
同行とは言っているが、これじゃ連行だ。
「わかりました。王都へは改めてこちらからお伺いさせていただきますので、今日のところは帰っていただけませんか?」
ガチャンと音を立てて兵の一人が槍をこちらへ向けてきた。
その槍を手で制して隊長格の男は言った。
「今すぐ、来ていただきたい」
「店を空けることになりますからね。こちらにも色々と準備が」
「その店が問題なのだ!!」
声に怒気を込めて男は叫ぶ。
「貴様、術符を売っているそうだな。それがどういうものか、分かっているのか?」
それはこっちのセリフだ。
人の技術をパクったくせに。
「私はキリアヒーストル王国軍百人隊長パウロスミス。抵抗すれば容疑を認めたものとみなし捕縛する権限が与えられている」
捕縛……ね。
後ろから、腰の辺りをぎゅっと掴まれる。アンナだ。
この兵隊野郎の脅迫じみた怒鳴り声に、きっと俺の後ろで震えているに違いない。
サッと怒りが込み上げてきた。
「俺がどういう者か分かっていて来たのなら、それ相応の覚悟はしてきたということでいいんだよな?」
「なっ!?」
この世界に数万人に一人しかいないとされる魔術師。
その中でも術符を発明し、行使する俺にとって、こんな兵士何人いたって物の数ではない。
「おっと、顔色が悪いようだけど、食あたりでもしたかい?」
俺がそう言うと、はっと気づいたように男は喉の辺りを押さえる。
他の兵士たちもひざこそ突かないものの、息苦しそうに喉の辺りに手をやっている。
「きさ……ま……符を……」
「今日のところは、帰ったほうがいいと思うけどね?」
その瞬間、男の顔にはっきりと恐怖の色が浮かんだ。
分かったか? お前が今相手にしているのはたかだか十七歳やそこらの青二才じゃねえ。魔術師と呼ばれて恐れられる、正真正銘の化け物なんだよ。
「引き上げ……るぞ」
隊長の絞り出すような声に周囲の兵士たちも応え、逃げるように去っていた。
俺が外套の下でつまんでいたのは一枚の術符。
周囲の酸素濃度を低下させる酸欠符だ。
空気を五大元素の一つとしてしか考えてないような魔術師には絶対に使えない、俺だけのオリジナルスペル。それを符に込めたものだった。
まあ酸欠と言っても意識を奪うまではいかないような失敗作だけど。
前世の知識として酸素をイメージできればこそ使える魔法。
おそらくこの術符は真似ることもされないだろう。
しかし。
「あーあ、やっちまった……」
額に手を当てて思わず呟く。
もののはずみとはいえ、国にケンカを売るような真似をしてしまった。
絶対、面倒なことになる。
「うぅ……ひぐっ……ひぅっ……」
俺の背中に抱き着いて泣くアンナ。
俺は振り返って正面からアンナに言った。
「ごめんな。怖かったか?」
アンナは泣きはらして真っ赤になった顔でぶんぶんと首を振る。
「クリスが……クリスが……連れてかれちゃう……いなくなっちゃうって……あたし……うぅ」
俺はとっておきの笑顔を作る。
「ばーか、心配するな。俺は無敵だ」
「……うそ」
「うそじゃねえよ。こう見えても俺は超強い魔術師様だし」
「行き倒れてたのに?」
「ぐっ……」
あの出会い、ずっと言われるんだろうなぁ。
「とにかく大丈夫だ。絶対絶対、大丈夫だ」
「わかった……信じるっ!」
最後には笑顔でそう言ってくれた。
「よし」
ちょっと強引に言ってしまったが、アンナがそう言ってくれれば本当に無敵にだってなれる。そう思った。
俺はアンナの頭を優しくなでた。