人質
「いるな」
待ち合わせの場所へ着く前に、そのアレサタの森とやらを見渡せるちょっとした丘に馬を止めてもらった。
その広大な森には煙は立っておらず、一見すると兵がいるようには見えない。
しかしおそらくは一万人以上はいるはず。隠しきれるはずもない。
よくよく見れば大地には川が干上がったような跡がうっすら刻まれていた。大勢の軍靴で踏まれてできた模様だった。
深くて中の見えない森も、どことなく気配がするような気がした。
「どうされますか?」
「ここでいい。一応約束は守らないとな」
俺は馬を降りる。
「律儀ですね」
「向こうにもそうであってもらえるよう期待するよ」
軽く肩をすくめて見せたが兵は笑わなかった。
大軍が待ち構えるところへ一人で行くのだ。いくら魔術師とはいえ無謀すぎると思われているのかもしれない。
「なにか、言伝はありますか?」
とにかく一貫して深刻な兵の様子から、たぶん遺言の意味で訊いてきたのだろうとわかった。言葉を選んだのだと思う。
「いや、大丈夫だ」
俺はそれだけ言って歩き出した。
「ご武運を」
背後から兵がかけてきた言葉には、力がこもっていた。
俺は前を見たまま手だけを上げて応えた。
俺が森へと到着すると、監視していたのだろうねずみ色の鎧を着た兵士が森の中から現れた。
「クリストファーだ。要求通り一人で来たぞ」
「……本当に来たのか」
男が呆れたように口をぽかんと開けるのも無理はない。普通なら正気を疑うだろう。
だが俺を本人かどうか疑わないところを見ると、レクレア村の事件の際に野営地にいたカイルハザ派の兵の誰かなのかもしれなかった。
「人質を解放してもらおう」
「ついてこい」
あごをしゃくって森の中を示す男。
俺は一応言ってみた。
「人質の身柄と交換だ」
「交渉できる立場か? いいから来るんだ」
「はいはい……」
ウェルニーリを人質に取られている以上、抵抗は出来ない。
俺は男について森の中へと入っていった。
森の中に入ってすぐ、俺はその光景に目を見開くことになった。
「これはすごいな……」
木の数より人の数のほうが多い。
森の中所狭しと兵が歩き、多くのテントが張られている。
背の高い木々のおかげで外からはまったく見えなかった。
伏兵を潜ませるにはうってつけの森というわけだ。
人ごみをかき分けるように奥へ奥へと歩く。
行き交う兵士たちは奇異の視線を俺に向けるが、声をかけてきたりはしない。
やがて兵士たちの身なりが目に見えてよくなってきた。士官クラスが多くいる場所へ足を踏み入れたのだろう。
一際大きくて豪華なテントの前へ着くと、男は大音声で呼ばわった。
「例の魔術師の男を連れてまいりました」
テントの中から別の男が出てきて短く言った。
「入れ」
テントの中では数名の兵士に囲まれて、カイルハザが豪華な装飾のイスに腰を下ろしていた。
「来たな。忌々しい魔術師のガキが」
敵意をむき出しにして俺をにらんでくるカイルハザ。中肉中背で針金のような口ひげを生やしている。イリシュアール第三軍の将軍だ。
「人質を解放してもらおうか」
「まずはお前の持っている術符を全て出せ。あのときのように化け物でも呼び出されたらかなわん」
リウマトロスの幻影を作り出したときの話だ。
いや、あれは術符で作ったんじゃないんだけどな。
「まずは人質の安否の確認が先だ」
カイルハザはあごをしゃくった。
両腕を縛られた一人の男が兵に連れられてテントに入ってくる。ウェルニーリだ。
「クリスさん……」
ウェルニーリは俺を見て、憔悴した様子でつぶやいた。
「どうして俺とウェルニーリの関係が分かったんだ?」
カイルハザは得意そうにひげをつまんだ。
「牢にぶち込んでいたこいつらが話しているのを聞いたのさ。孫が心配だと言っていてな。聞けばお前や王女とも関係があるらしいじゃないか。王女が反乱軍に与して決起した話をしてやったら、顔色を変えて動揺していたぞ」
こいつら、ということはウェルニーリの他の仲間も捕らえられてしまっているということか。
一気に魔法で不意を突いてウェルニーリを救い出すという賭けには、出ないほうがよさそうだ。
「申し訳ないっ。私が愚かだったばっかりに……」
悔しそうに顔を歪めるウェルニーリ。
ウェルニーリが捕まったのが俺たちが解放軍に加わる前の話だとすれば、うっかり情報を漏らしてしまった彼を責めるわけにはいかない。俺がイリシュアールに来て解放軍に加わることなど、予想もできなかったはずだからだ。
「俺のほうこそ、すみません。あれだけかたくなに断ったのに、結局イリシュアールに来ることになってしまって」
俺はカイルハザに向き直る。
「人質を全員解放しろ」
「おっと。その前に武装解除が先だ。約束通りジジイの顔を見せてやったんだ。今度はお前が応じる番だな」
「くっ」
ムカつくが仕方ない。
術符のホルダーを内側に仕込んだジャケットを脱いでテーブルに置いた。
シャツ一枚になった俺の体を、二人の兵士がべたべたと無遠慮に触って確認する。
「よし、そいつらを牢にぶち込んでおけ」
「なっ! 話が違うぞ!」
カイルハザは耳障りな大声で笑った。
「ぐあっはっはっはははははあ!!! ばぁぁぁああかめ! 素直に交渉に応じるとでも思っていたのか? お人好しのマヌケめ! あっはっはぁーーーー!!」
将軍というにはおよそ品性の欠如した馬鹿笑いをするカイルハザ。
「くそっ! 殺してやる!」
「おっと、妙な魔法は使うなよ。誰か、こいつに猿轡を噛ませておけ。呪文の詠唱ができないようにな」
馬鹿はお前だ、カイルハザ。
こいつは俺が脳内詠唱を使えることを知らない。
俺は内心の余裕を悟られないよう、激昂する演技をしていた。
「ふぐっ! んぐ! ぐぅぅーーーー!!」
猿轡を噛まされ兵士に羽交い絞めにされながらも俺は、他の捕虜たちが待つ牢へ連れて行かれる間ずっと、精いっぱいの演技を続けていた。




