カイルハザの罠
シュビーラゼを出発したイリシュアール解放軍三万は、王都イリシュアールへ向け北北西へ進軍した。
イリアが総大将で二万の軍勢を率い、ロミオにも将として一万を率いてもらう。
ロミオの将としての統率力は完璧だし、イリアとの信頼関係も回復している。指示を出せば迅速に動いてもらえるはずだ。
行軍の途中、早馬に乗った斥候たちが入れ代わり立ち代わりイリアの元へやってくる。
「王都の守護には第一軍第四軍が就いているようです。その数およそ十万」
「よし」
短く言ってイリアは別の斥候の報告を聞く。
イリアは馬に乗っていて、俺たちは徒歩だ。
イリアからは輿を用意させると言われたのだが、イリアが馬に乗っているのに俺たちだけ輿に入るというのも気が引けたのだ。
そもそも徒歩での旅はもう慣れっこだ。エリもアンナも俺のとなりでけろりとしている。
「第三軍、見えません。近くの村の住民によると、王都より南西に移動していたとのことです」
「妙だな。挟撃か?」
イリアは俺を見た。
「圧倒的に兵力で優っているのだから、軍をわけて挟み撃ちというのは、ありそうな作戦だな」
大兵力を一か所に集めて迎え撃ってくれたほうが、最悪の場合でも大魔法で吹き飛ばす手段もあったが、これは少し面倒なことになりそうだった。
さらに別の斥候。
「レメナイリア様、これを。シクフ村の住民が兵士から預かっていた物です。第五軍の人間が聞き込みにきたら渡せと言われていたのだそうです」
差し出されたのは蝋で封をした便箋だ。
第五軍とは、今は解放軍と名を改めているがイリアのことだ。
「侍女の家族は元気にしているか? か。どういう意味だ」
「貸してくれ」
いやな予感がしてひったくるようにイリアから手紙を奪った。
便箋の底には人間の髪がひとつまみ入っていた。白い髪。
「じいちゃん!!」
エリの悲痛な叫び。
俺の肩を掴むようにして手紙を覗き込んでいた。
俺もエリと同意見だ。
そして手紙の裏面を見て確信した。
「魔術師クリストファー・アルキメウス。一人で来い。シクフ村の先、アレサタの森前で待つ、か」
この手紙の文面はエリの祖父――ウェルニーリを捕らえたと主張するもので間違いない。
入っていた髪の毛は彼のものだ。
彼がなぜイリシュアールに? とは思わない。
シャーバンスでエリを俺たちに預けた際の、ウェルニーリの思い詰めた様子を思い出したからだ。
なぜ気付けなかったのか。
あのときエリを俺たちに預けた本当の意味だ。
きっとウェルニーリはアンナに盟主となることを拒まれて、自分たちだけで行動を起こすことを決めたのだろう。
だから危険な目に遭わせたくなくて、エリを俺に預けたのだ。
死ぬつもり――とは思いたくないが、それくらいの覚悟があったことは容易に想像ができる。
つまりウェルニーリは俺たちと別れてからすぐに独自に山を越えて、イリシュアールへ来ていたのだ。
よもやゲリラ的な破壊活動とかはしなかっただろうが、旧知のイリシュアール貴族に助力を嘆願して回ったり、とかはありそうな話だ。
そしてかつてウェルニーリに協力的だった貴族のすべてが、今もそうとは限らない。
裏切りに遭って捕まったといったところか。
「クリス……」
不安そうな目で俺を見るアンナ。
「行くしかないだろう。手紙には俺一人でと書いてある。……イリア、アンナを頼めるか?」
「本当に行くのか? クリスの実力は知っているつもりだが……危険すぎる。今お前を失うわけにはいかない」
そうは言ってくれるが、俺がいなかったところで軍の士気にはなんの影響もないだろう。あくまで俺はイリアの個人的な客将といった扱いだ。もちろんアンナは大きな旗頭なので解放軍には絶対に必要な存在だが、俺は自分の政治的価値がそれほど大きくはないと知っている。
手紙の主もそれを理解しているのだろう。
アンナを呼びつけても釣れはしないと。
その上で俺の戦略的価値を見抜いている。
強力な魔法を使う俺はポーカーにおけるジョーカーのような存在だからだ。
俺の魔術師としての力量を知っている人間――間違いない。カイルハザだ。
人質を取って脅しをかけるとはなんという卑劣なやり方だ。
「安心しろ。必ず戻る。俺がいない間に交戦することは避けたいが……イリア、可能か?」
「わからん。このままだとあと三日ほどで王都へ到着する。そのときには防御を主眼とした陣を敷こう。兵力ではまだ我らが圧倒的に不利なのだからな」
さらに付け加えるならば、こちらの軍は最近流入した兵たちが過半数になってしまっている。
兵の練度も心もとなかった。
「いざとなったら撤退も視野に入れておいてくれ。とにかく、兵の損耗は最小限に抑えたい」
「わかった」
最後にイリアと握手を交わし、アンナとエリに交互にハグをする。
「絶対……絶対帰ってきてね」
目に涙を浮かべるアンナ。
「じいちゃんをお願いっ!」
エリも同じだ。
不安で泣き出しそうになっていた。
だから俺は二人を安心させるように笑う。
「それじゃ、行ってくる」
斥候の兵士が一人、馬の後ろを空けて横に並んだ。乗れということだ。
俺はその意図を察して後ろに乗る。
彼はシクフ村から手紙を持ってきた兵だ。
手紙には一人でと書いてあったが、近くまで連れて行ってくれるらしい。
俺が乗るや兵士は馬を走らせるのだった。




