戦争の予感
「お久しぶりです。レクレア村での戦いの際は、お世話になりました」
ボサボサの金髪の、凄みのある顔つきの男。三十代後半くらいだろうか。
にやりと笑って言うその顔には、言葉通りの堅苦しさは感じられない。
お互いに背中を預けて戦った者同士という、戦友としての気安さがあるのだ。
俺もそういった扱いは嫌いじゃない。しっかりと握手を交わした。
「この人は?」
エリの問い。
「ああ、以前イリシュアールの村が魔物に襲われた件でな。いっしょに戦った兵の一人だ。兜を被っていなかったから、一瞬わからなかったよ」
「ははは、そういえばこうして素顔を見せるのは初めてでしたね。ラグゼー・グランです。よろしく」
「ところで、イリアのやつは元気にしているのか?」
ラグゼーは表情を曇らせた。
「実は、私がここへ来たのはレメナイリア様が窮地に立たされているからなのです」
「どういうことだ?」
俺も声を低くした。
「反乱です」
はっとしてベッドの上のリズミナを見た。リズミナは真剣にうなずく。
「リズミナの言っていた……早いな、もうか。蜂起した反政府勢力を抑え込むのに、劣勢に立たされているということか」
ラグゼーはぽかんと口を開けた。
「は? いえ……違います。軍内部の反乱です。イリシュアール軍では王が代替わりしてからずっと、不満がおりのように溜まっていました。王弟のカイルハザ将軍の横暴や、理不尽な人事。不正や賄賂が横行し、上級士官には実戦経験もないような貴族がコネだけで配属されるようになりました。そして下士官をいじめる。そんな悪循環はもうずっと続いています。溜まりに溜まったそれら不満がついに爆発したのです」
反政府勢力の話ではないのか。
わざわざ聞くような真似はしないが、もしかしたらアンナの素性もラグゼーはまだ知らないのかもしれない。
イリシュアールの政治は腐敗している。
それはシャーバンスで聞いた話よりずっとひどいようだ。
だが軍の反乱とキリアヒーストルの工作、あながち無関係とも思えなかった。
「現状に不満を持つ兵士たちに盟主として担ぎ上げられたのは――ロミオ・フレイムズブラッド。レメナイリア様の祖父にあたり、第五軍の前将軍だった人物です」
以前イリシュアールで聞いていた。
イリシュアールの炎神――その初代だ。伝説的な剣豪将軍。
イリアも実力では決して引けを取らないはずだと俺は思っているが、ロミオ氏の名声は比類のないもの。旗印として担ぐにはこれ以上の人物はいまい――アンナを除くのなら。
「レメナイリア様は選択を迫られています。現王側につくのか、祖父の反乱軍につくのか。反乱軍についた場合圧倒的な戦力差で不利は必定。現王側についたとしても、おそらくは使い捨てのように祖父と戦わされることになるでしょう。どちらもレメナイリア様にとっては地獄となるのは確実なのです」
俺は頭を抱えたくなった。
今のイリシュアールならやるだろう。
踏み絵を踏ませるかのごとく、イリアを祖父と戦わせる。肉親同士の戦いを見て笑うカイルハザの顔が目に浮かぶようだ。
「なぜ俺のところへ」
ラグゼーは深々と頭を下げた。
「無茶なお願いなのはわかっています。ですが今頼れるのはクリス殿しかいないのです。カイルハザ二千の軍勢を追い払った、そのお力をもう一度お貸しください」
イリシュアールの田舎の村に差し向けられた二千人の部隊。あのときとはわけが違う。最初から軍同士の戦いを想定しているなら二千などという数ではきかないだろう。おそらく数万……いや、もしかしたら数十万の戦いになるかもしれない。
俺はアンナを見た。
「行こう、クリス」
「だがな……」
動いているのは反乱軍だけではない。反政府勢力の者たちも活動を始めているのだ。しかももうアンナの身分は知られてしまっている。そんなところへ飛び込めば、どれほどの危険が待ち受けているのか想像すら難しい。
「イリアお姉ちゃんを助けなきゃ」
そういえばアンナはイリアをお姉ちゃんと呼んで慕っていたな。
俺だってイリアを助けたい。
リズミナは逃げろと言ってくれた。
それは平穏な生活を守りたければイリシュアールもキリアヒーストルも手の届かない場所へ行くしかないということだったのだ。
だが、俺は覚悟を決めた。
「わかった。イリシュアールへ――イリアの下へ行こう」
ラグゼーは俺の手を両手でしっかりと握って、絞り出すように言った。
「ありがとう……ございます!」




