動き始める事態
リズミナの服をすべて脱がして目立つけがを治療してくれたのはアンナとエリだった。
俺は薬屋で打ち身や擦り傷に効く薬を買いにいってきた。
「目立った箇所には薬を塗って包帯を巻いたよ。でもいったい誰がこんな……ひどいこと。信じられない」
エリは心配そうにベッドの上のリズミナを見て言った。
「リズミン……」
アンナの声も暗い。
傷はどれも浅く、大きな痕に残るようなものではなかった。それでも青あざというのは痛々しくて、見る者の心を痛めた。
リズミナは凄腕。簡単に捕まったりはしないだろうし、捕まって拷問を受けていたのならこうして生きて帰ってこれるとは思えない。
というかリズミナを捕まえる必要があるような明確に敵と言える相手に心当たりはない。
残る可能性は少ない。
たぶん、キリアヒーストルの軍上層部だろう。
リズミナは軍属。ならばリズミナがなにか失敗や違反を犯して、それを咎めての罰を与えられたと考えるのが自然か。
そこまで考えたところで家のドアが激しく叩かれた。
ドンドンドン!
窓から下を覗くと、五人ほどの人間がいた。
全員男。みな揃いの外套を羽織っているので、どんな身分かは予想できない。
リズミナのローブのような砂色で、目立たない格好だ。
応対に出ようか迷っていると、今度は声が掛けられた。
「クリストファー・アルキメウス! いらっしゃいませんか!」
口調こそ丁寧だが、その言葉にはどこか切羽詰まった響きがあった。
敵意のようなものは感じられない。なら出てもいいか。
そう思ったところで、意識を取り戻したリズミナが起き上がった。
「ダメです……。あの人たちを中に入れると面倒なことになります」
顔を隠すフードがないので丁寧な口調だ。
「リズミナ。無理をするな」
包帯だらけの肩をやさしく掴んで、もう一度ベッドに寝かせる。
リズミナは目だけで抗議していたが、力を抜いてそれに従った。
「どういうこと?」
アンナが疑問を口にする。
「あの人たちはおそらくイリシュアールの、反政府勢力の方々です」
一瞬エリを見る。エリが暮らしていたシャーバンスにいた王子派の生き残りの人たちがまさにそれだったからだ。
「なんでそんな連中がうちに?」
「すべて、私の責任なんです……」
リズミナは悔しそうに目を閉じて眉を寄せた。
俺はもう一度窓の外を慎重に確認した。
「行ったみたいだな」
強引に押し入ってくるようなことをしないところを見ると、やはり明確に敵対しているわけではなさそうだ。
「でも、あきらめたわけではないはずです」
それはそうだろう。あの様子だとまたやってくるに違いない。
「リズミナの責任って、どういうことだ?」
「それは……」
リズミナは言いにくそうに言葉をつまらせる。
少しの間逡巡が見えたが、やがて意を決したように口を開いた。
「アリキア山脈の魔物の活発化の調査、一連の鈴の事件、シャーバンスでの出来事。私はキリアヒーストルにすべて報告したのです。……それが私の仕事でした」
「すべてって……あ!」
俺は気付いた。
エリも声を上げた。
「アンナちゃんが王女様だってことも!?」
「……はい」
そんなことまで、と言いそうになったがギリギリで言葉を飲み込んだ。
今さら咎めたところで始まらないし、責任を感じてリズミナが苦しんでいるのも見ればわかる。それに、俺だってカエンにも教えてしまった。リズミナを責めることはできない。
「それでなんでイリシュアールの反政府勢力が接触してくるんだ?」
「キリアヒーストルは、アンナちゃんを使って、イリシュアールに内乱を起こさせるつもりなんです。軍の諜報部は以前からイリシュアールで彼ら反政府勢力に秘密裡に接触し、さまざまな支援を行ってきました」
キナ臭い話だ。
反政府勢力を使って国を内側から揺さぶるというのは、実にありそうな話だった。
表面上は和平を結んでいる両国なので、表立って事は起こせない。だから逆にそういった裏工作が活発になるのかもしれなかった。
「そんな! ひどい!」
エリの叫び。
エリもずっと王子派の生き残り――反政府勢力の人々といっしょに暮していたから、他国の戦略のために彼らが利用されるということが許せないのかもしれない。
リズミナはそんなエリをじっと見つめている。だが言い訳をしようとはしない。
ならここは俺が言わなければならない。
「お前は、止めようとしてくれたんだろ?」
「軍は持てる諜報員をすべて動員して大規模な下工作を指示しました。当然私にも命令が下りました……。私はどうしても従うことは出来ず……何度もかけあったのですが、力が及びませんでした」
ここ最近リズミナの様子がおかしかったのも、軍の命令と自らの気持ちの間で葛藤していたのかもしれない。
リズミナが所属するのは軍。軍では上官の命令に背いて異を唱えるというのはなかなかの罪だ。上からの命令には絶対服従、それがリズミナのような末端の兵士に課せられる使命だからだ。
軍規に違反した責を問われて、苛烈な罰を受けたに違いない。
理屈はわかる。だが、それでも……。
「許せない」
軍の上層部には一言言ってやらなければならない。
「クリス?」
リズミナが不安そうな顔で訊いてくる。
「王都へ向かうぞ」
「や、やめてください……それだけは」
リズミナの懇願。
俺は聞くつもりはなかった。
そのとき、家の外からまたしても声が上がる。
「クリストファー・アルキメウス! いらっしゃいませんか?」
「またか……」
俺は窓の外を覗く。
今度は一人のようだ。
ん?
どこかで見たことがあるような。
普通の服を着ているが、鍛え上げられた筋肉はおそらく軍人。
その顔には見覚えはない。けれど雰囲気に心当たりがあるような気がしていた。
そして声の感じが。
「クリス殿! レメナイリア様の使いの者です! どうかお目通りを!」
「なんだって!?」
男は俺たちといっしょにレクレア村の魔物と戦った、イリアの五人の側近の一人だ。
この使者は無視するわけにはいかなかった。
俺はドアを開けて男を招き入れた。




