戦闘訓練
バザンドラの町へ帰ってきてから二週間が過ぎた。
カエンはお土産に持ってきた大量のレリレリを見て目を丸くしていた。
さっそく作ってもらったレリレリパイをみんなで食べて、旅の話に花を咲かせた。
エリがアンナの侍女で、アンナが王女だったというくだりになると、カエンはスプーンを取り落として茫然としていた。
エリは俺の家の小ささ狭さに驚くかとも思っていたが、まったく気にした様子もなくけろりとしていた。
ベッドはひとつなので三人で寝るしかない。俺は毎晩のごとく、アンナとエリの抱き枕代わりにされていた。
エリは働き癖が抜けないのか、カエンの店でアルバイトをしたりしていた。
ところがものすごい美少女の店員がいるとのうわさが広がって、あっと言う間にカエンの店は大混雑。
元々落ち着いた雰囲気を売りにしていたから、手伝いはもういいと言われてしまったらしい。
それなら俺の店で呼び込みでもしてほしいものだ。なにせ国が術符を供給するようになってから、俺の店は閑古鳥が鳴きっぱなしなのだから。
そして俺は今、自宅裏の空き地にいる。
自宅裏はずっと森だったのだが、魔法で木を伐採してちょっとした庭程度の空き地を作ったのだ。
「たいしたものだな」
空き地の真ん中で俺と真正面から組み合っているリズミナが、淡々と言った。
それは空き地を作った手際のことを言っているのではない。
リズミナの喉元には俺の、短剣に見立てた小枝が突き付けられていた。
「もはや私が教えることはないかもしれない。クリスは本当に近接戦闘の才能があったようだ」
シャーバンスにいたときにリズミナから格闘を教えてやる、というようなことを言われていた。
バザンドラに帰ってきてから二週間ずっと、俺は毎日空き地で戦闘の手ほどきを受けていたのだ。
最初こそ物珍しそうに観戦していたアンナは今はいない。店のほうで客と将棋でも指しているのだろう。
「俺としては、まだまだ全然……という気もするんだけどな」
「それはお前にまだ伸びしろがある証拠だ。クリス、お前自身が気付かなくとも、お前の体はそれを理解しているんだよ」
まるっきりのベタ褒めだが、どうにも実感できない。
こうしてリズミナから一本取った今だって、まだ勝てたという確信には至っていない。
リズミナから教わったのは格闘術というより、手数を重ねて相手のスキを突き、致命的な一撃を入れるという暗殺術にも近い実戦的なものだ。
効率的に相手を倒すために武器の使用すら選択肢に入る。
小枝を突き付ける俺の腕に手を乗せるリズミナ。
直後、その手に力を込めて横へそらすと、素早く足払いをかけてきた。
俺は軽いステップでかわして、体勢が低くなったリズミナに踏みつけを放つ。
リズミナは体をひねって避けるがそれも織り込み済み。俺は踏みつけた足を軸にして回し蹴りに移行。
「ぐっ!?」
蹴り足を抱え込むようにガードしたリズミナだったが、勢いを殺しきれずに苦悶の声を上げた。
「だ、大丈夫か?」
いくら実力者とはいえリズミナは女の子。パワーでは俺にかなうはずもない。
つい力を込めすぎたかと心配した。
「大丈夫だ。心配いらない。それにしても……本当にすごいな。クリス、お前は天才だ」
「そうは言うけど、お前、手加減してるんじゃないのか? 今だってナイフの刃を立てて受けていれば、切り裂かれていたのは俺の足だったはずだ」
リズミナはフードの下で笑う。
「ふっ、気付いたか。殺すつもりなら当然そうしている。しかしそれを言うならクリスもなにか……いや、確信が持てているわけではないが」
あごの下に手を当てて考えるようなそぶりを見せるリズミナ。
「なんだ? 言ってみてくれ」
リズミナは探るような目つきで言った。
「なにかこう、お前には絶対的な自信が感じられる。自分は死ぬわけはないと……その自信はどこから来るんだ?」
「いや、だってリズミナが俺を殺すなんて、そんなことあるわけないしな」
そう言いつつも、俺は内心ドキッとしていた。
奥の手を見抜かれた気がしたからだ。
リズミナは笑った。
「まったく、おめでたいやつだ。そんなに簡単に人を信用していると、いざというときあっさり寝首をかかれるぞ」
「ははは。それならそれで仕方ない。だって俺はお前が素直でやさしい女の子だって知ってるからな。今さら警戒なんてできるわけない」
「クリス……」
リズミナは顔をうつむかせたかと思うと、ゆっくりと俺のほうに歩いてくる。
「リズミナ……?」
そして体と体がぶつかりそうなくらいまで近づいてリズミナはゆっくり顔を上げる。
フードの中のその顔は可愛らしい少女のもの。
そのまま目を閉じればキスでもねだる体勢に見えたかもしれない。
しかしその目は研いだナイフのような鋭さで俺を見つめていた。
「ほら、死んだ」
ぞくっとした寒気が全身に走る。
それが殺気だと気付いたときには、リズミナの手にした小枝が俺の胸――心臓の位置に正確に当てられていた。
「うっ……」
一瞬遅れて全身から汗が噴き出す。
殺されていた。
今俺は確実にやられていた。
本物の殺気というものに、初めて当てられた気がした。
ここまで冷たくて、全身が縛り付けられてしまうようなものだったなんて。
動けずにいる俺をよそに、リズミナは背中を向けて歩き出す。
「リズミナ?」
「……すまない、少し出る」
森の中へ消える前一瞬だけ振り返ったリズミナは、どこか寂し気な目をしていた。




