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思い出の味

 入ったのは落ち着いた雰囲気のカフェ。

 普段は静かにお茶を飲む客が多いが、料理も提供している。

 俺がこの町に住むようになってからずっと、世話になっている店だ。


「あ、クリス。いらっしゃい」


 愛想のいい二十歳くらいの女性はカエンという従業員だ。

 ひらひらのついた接客用エプロンドレスに、白のカチューシャ。深い藍色の長い髪。

 いつも穏やかで怒った姿を見たことがない。

 胸の大きさが取り柄の看板娘、なんて言ったらさすがのこいつでも怒るだろうか。


「よお。相変わらず人入ってねえな」


 そんな俺の軽口にも、カエンは気を悪くした様子もない。


「商店通りでもいちばん外れの端っこだもの」

「家から近くて助かるよ」

「ふふ、おかげでいつもごひいきにしてもらってます。 ……あら、クリスが女の子連れてくるなんて初めてね」

「はじめまして、アンナです!」

「かわいい。私はカエン。よろしくね」


 カエンが差し出した手に、アンナもしっかり握手。


「ねえねえクリス。この子どういう子なの? どこで会ったの?」


 すすっと体を寄せてきて、耳元で聞いてくるその声は実に楽しそう。俺とアンナの関係が知りたくてたまらないらしい。


「ああ、仕事でイリシュアールに行ってきてな。そこで雇った」

「雇った!?」

「ああ、助手だ」

「へぇーーーー」


 ジト目で見てくるその顔は、話の真偽を確かめようとしているかのよう。

 アンナはボックス席のイスに勝手に座って足をプラプラさせている。


「ま、そういうことにしてあげます」


 この余裕顔。

 こいつって、昔から俺にはお姉さん風を吹かせたがるんだよなぁ。

 アンナを奥に行かせて、俺もとなりに座る。


「いつものでいいの?」

「ああ。あ、それと何か甘い物あるか?」


 カエンはアンナをちらと見る。


「もちろん。お茶のお客さんにはケーキもお出ししてるもの」

「じゃあそれでよろしく」


 ケーキといってもショートケーキのようなスポンジ生地に生クリームたっぷりといった類のものではない。

 どちらかというとこの世界では、しっとり重いチーズケーキに似た食感の物や、パイの甘いやつなんかがそう呼ばれている。


「はい、かしこまりました」


 にこやかに微笑んでカエンは厨房のほうへ消えた。

 料理を待っている間、アンナは読めないメニューを開いて眺めていた。


「これはパサーナだ。こっちはシャクチー」


 アンナはふんふんと真剣な表情で頷く。


「パサーナ……シャクチー!」


 この調子なら文字を覚えるのも早いかもしれないな。

 と、その時。

 緊急事態発生。


「クリス、どうしたの?」

「と、トイレだ」


 そう言って席を立って店の奥へ走る。

 急な尿意に襲われてしまったのだ。

 こればかりはどうしようもない。

 勝手知ったるなじみの店。トイレの場所も把握済みだ。

 トイレに駆け込み用を済ませて戻ってみると、料理を持ってきたカエンが席に座ってアンナと話していた。


「それでね。クリスちゃん、どうしても私の事、お姉ちゃんって呼んでくれないのよー。もうずっとお願いしてるのにー」

「じゃああたしが呼んであげる。カエンお姉ちゃんって」

「ほんと? わぁーうれしい。私、こんなかわいい妹ほしかったの」

「えーでもあたしはお姉ちゃんにはあげないよ。あたしはクリスの物だもん」

「きゃーーーーーー!!」


 耳を塞ぎたくなるようなカエンの、感極まったとばかりの黄色い悲鳴。

 胸の前で手を合わせて体をくねくねさせていた。


「な、に、し、て、る、ん、だ、お前は」

「アンナちゃんとぉ、お話」


 カエンは絵に描いたようなテヘペロ。


「サボっとらんで業務に戻らんかーー!」

「きゃークリスちゃんがイジメるーー!」


 ぴゅーっと厨房へと戻っていくカエン。


「そのちゃん付けはやめろって言ってるだろうがーーー!」


 やれやれ。

 五年前から比べたらだいぶ背も伸びて成長してるっていうのに、あいつにはまだ小さな子供に見えてるんだな、俺。


「で、お前は……もう食ってるんだな」


 落ちそうになるほっぺたを支えようとでもするかのように、両の手を頬に当てて、アンナは目を輝かせて俺に訴えかける視線を向けてきている。


「おいしいよぉーーー! これ、すっっっごくおいしいぃぃいーーーーー!」

「まあな。正直ここのチャーハンは何度食っても飽きがこない」

「チャーハン?」


 そう。

 初めてここで飯を食った時、あまりにチャーハンに似てたから、ついチャーハンチャーハンと連呼したんだ。

 そうしたら面白がったカエンが料理の名前をチャーハンにしちまった。

 一応元の名前はピーファーンらしいが、既存のピーファーンと区別するために薄焼き卵を乗っけてある。

 そう。卵なしがピーファーンで、卵ありがチャーハンになってしまった。

 おかしいだろ!

 卵乗せたらオムライスだろ!

 いや……オムチャーハン?

 まあいいや。食べよう。

 俺も席に着いて木のスプーンで一口食べる。

 うん、うまい。

 種類こそおそらく日本の物とは違うが、かなり米っぽい穀物だ。細長くてパサパサしてるが、油で炒めると絶妙な味わいになる。

 そこへ細かく刻んだ肉や野菜も一緒に炒めて、この店秘伝のソースを絡めれば、芳醇な香りと濃厚なコクが匂い立つ。

 町の外れにあるというだけで客が来ない理由が分からない。

 本当に最高のチャーハンだよこれ!

 まあおしゃれな雰囲気のカフェでがっつり飯のチャーハンが似合わないのはわかるけど。

 ああ、そういえばメニューに載ってないんだっけ、これ。

 この町に来たばかりで金にも困っていた俺に、特別に作ってくれたまかないメニューだった。

 今では俺と一部の常連客が頼む裏メニュー。

 俺にとっては前世の記憶も思い出す、思い出深い一品というわけだ。

 この薄焼き卵は、さっと溶いて白身と黄身が完全に混ざりきらない状態でやや半熟に仕上げてあるようだ。

 スプーンを差し入れると、その白身の部分がぷるんと震えて食べて食べてとアピールしてくる。

 ご飯と一緒に口に入れれば、とろりとした卵の舌触りとご飯の完璧なハーモニー。


「はふっ! はふっ! おいひいっ! おいひいっ!」


 ガツガツとスプーンを使うアンナ。


「ほれ、米が飛び散ってるぞ。もったいないから気を付けて食べろ」


 苦笑しつつ指摘してやると、アンナは元気よく返事をする。


「ふぁーーーーーい!」


 ご飯を頬張ったまま。

 これだとちょっといいところで食事をするときには困ったことになるかもしれない。少しずつ直してやらないとな。

 カエンがデザートのケーキを持ってきた。


「はい、シートロットケーキ」


 見た目はパイみたいだな。

 チャーハンも食べ終わったのでさっそくケーキにとりかかる。

 スプーンを入れる時のこのサクっとした感触がたまらない。

 一口食べれば今度はしっとりとした甘みがふわっと広がる。

 イモ系を甘く煮た餡だと思うが、詳しいことは分からないし、そんなことはどうだっていい。

 サクっとした外側のパイ生地と、しっとりした内側の餡のコントラストをただ口の中で楽しみたい。


「はぁぁぁぁぁぁん……」


 横ではアンナが艶っぽい声を上げてぷるぷる震えていた。

 やっぱり甘味となると反応が違うな。


「ふふ、おいしい? アンナちゃん」

「はふぅぅぅぅん……」


 夢の世界にでもトリップしているのか、アンナは返事すらできずにいた。

 カエンは俺を見て小さく笑う。


「クリスもおいしいみたいでよかった」

「え、そう見えるか?」

「うん、すっごくおいしそう。クリスってウチじゃ甘い物は頼まないでしょ? だから甘いの嫌いなんだと思ってた」

「確かにうまいな、このケーキ。それに俺は別に甘い物は嫌いじゃないぞ。料理が甘すぎたりなんかすると困るけどな」


 この世界では甘い物自体はそこそこあるが、日本にあった菓子のような強い甘みを持たせるにはやはり砂糖が必要だ。

 そしてその砂糖はあるにはあるが、無尽蔵というわけじゃない。キリアヒーストルでは他国からの輸入に頼っているはずだ。

 ああ、どおりで。

 貴重な輸入品の砂糖を使った菓子を提供する。

 つまりここはそれなりの高級店というわけだ。

 だから大衆客でごったがえすわけでもないし、その必要もない。

 静かにお茶を楽しむ客たちもどこか上品な雰囲気だった。

 そんな店で今までずーーっとチャーハンをがつがつ食ってた俺って……。

 うおおおおおおお!!

 頭を掻きむしりたいほどの恥ずかしさに襲われる。


「どうしたの?」


 小首をかしげるカエン。


「なんでもねーよ」


 そう言うのが精いっぱいだった。

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