エリの涙
教会前で戦った時には姉のラルスウェインの登場で、逃げ出したと思っていた。あのあと戻ってきたのか。
顔まで隠す暗緑色のローブを身にまとった彼女が手にした皿には、水晶のように透明な一口サイズの切り身が十個ほど円形に並べられていた。
「それって……」
「キリマルインだよ。強力な解毒効果がある。過去には不老長寿の霊薬と言われて各国の王たちが取り合ったと言われているけど、そっちの効果については否定されている」
この少女を安易に信用することはできない。
しかしエリが力強くうなずいたのを見て俺も覚悟を決めた。
「よし」
リルスウェインはみかんの房のように切ったキリマルイの果実を、苦しそうなおじさんの口へと運ぶ。
おじさんがそのひと房を食べると、顔色がみるみる良くなっていった。
「おお」
ちゃんと効いた。
「エリ、ごめんね。となりの部屋から勝手に持ってきちゃった。せっかく優勝してもらってきた賞品なのに」
「なに言ってるんだよ! そんなこと構うもんか! やっぱりリルはいいやつだよ!」
リルスウェインのローブの背中をばしんと叩くエリ。
「あいたっ!?」
気心の知れた友達同士のやり取りに見えなくもない。
しかし俺はこの少女に訊かなければいけないことがあった。
「リルスウェインとか言ったか。レクレア村で、鈴を使って魔物を操ったのはお前の仕業か?」
しん、と空気が張りつめる。
「クリス!」
エリの怒ったような声。
リルスウェインはひとつ息を吐いて立ち上がると、背中を向けた。
「答えろ!」
リルスウェインは部屋の入口へと歩いて行き、ドアの前で足を止めた。
このまま逃げてしまおうかと迷っているように見えた。
「事実だよ」
「そんな!」
エリの悲痛な叫び。
「ジュザックは、お前が人間を恨んでいると言っていた。本当なのか?」
「……本当、だよ。エリには隠したままにしておけない。私は人間を憎んでいる。エリ以外の人間を。だから言い訳はしない。ごめんねエリ。今日でお別れだ」
部屋のドアに手をかけたまま、顔だけで振り返るリルスウェイン。
フードの中に見えるリルスウェインの目は、悲しそうに潤んでいた。
「やだよ! なんでそんなこと言うの! 私を一人にしないでよ!」
「エリはもう一人じゃない。ウェルニーリも仲間たちも、そして……そこの二人もいるじゃないか」
そこの二人とは俺とアンナのことだろう。
「でも……でもリルは! 私にとってリルは代わりなんていない! リルはリルだけだもの!」
「私は人間を許すことはできない……だから、さよならだ」
「やだ……待って! リルーーーーー!!」
リルスウェインは部屋を出て行ってしまった。
がっくりと床に手をついてうなだれるエリ。
今この瞬間、決定的ななにかがずれてしまった。
エリの目からあふれ出した涙がぽつぽつと床に落ちる。
「リルは、私が小さかった頃からの友達なんだ。親友だと……思ってたのに」
俺はその場で動けずにいた。
なぜリルスウェインを追わなかったのか。
レクレア村の事件の容疑は晴れていない。本来なら捕まえるべきだ。だがたった今毒に侵されたみんなを助けたのも事実。俺の心にわずかな迷いが生じていた。
エリは下を向いたまま語りだす。
「私は小さかった頃、この寂れた教会でじっとうずくまって座っていたんだ。理由はわからない。一人になる前、親がいたのかも思い出せない。その前のことは覚えてないんだ。ただ、お腹が空いていた。空きすぎて涙が出てきた。泣いた。そんなときに、リルは私の前に現れてパンをくれたんだ。それからも教会に頻繁にやってくるようになって、私に食べ物をくれた。話し相手になってくれた。リルはいつもすぐにどこかへ行ってしまっていたけど、私はいつのまにかリルと会う瞬間が楽しみで楽しみでたまらなくなってた」
ゆっくりと話すエリはいつもの明るさが影を潜めていて、なんだか少し大人びて見えた。
「じいちゃんたちが教会にやってきて、いっしょに暮らすようになってからは、リルの来る頻度も減った。リルはジュザックと仲良くなっていて、いつの間にかみんなには仲間の一人みたいに認識されていた」
エリは顔を上げた。
「リルは……本当はすごくやさしいんだ! 悪いことをするようなやつじゃないんだ! 信じて!」
涙ながらの訴え。
「わかった。信じるよ」
今はこう言うしかなかった。
その日は毒を飲んでしまったみんなにキリマルインを食べさせて、動けるようになるまで介抱した。
解毒符とキリマルインの両方が効いたとはいえ油断することはできなかったが、みなしっかりと回復することができた。
リルスウェインに吹っ飛ばされたリズミナも、骨を折ることもなく無事だった。
俺とアンナは夜遅くなってから宿へと戻った。
裏切者のジュザックは死んだ。鈴も回収された。
こうして鈴を巡る一連の事件は、一応の解決を見たのだった。




