氷の少女
「鈴を返してもらおうか」
「うぅ……」
ジュザックは倒れたままピクリとも動かず、死にゆく者の目で少女の姿を追うだけだ。
その視線を意に介さず少女はジュザックの衣服を漁り、鈴の入った袋を引っ張り出す。
「ふむ」
短く言ってさっさとローブの中に入れてしまう。
「さて、クリストファー・アルキメウス」
「俺を……知っているのか?」
それには答えず少女は俺を見る。やはりそこにはなんの感情も読み取れない。
「言ったはずだな。この鈴は君の手には余ると。だがこうして君は追いかけてきてしまった」
「名前を教えて欲しい」
つい心に浮かんだことが口をついて出た。
なんだろう、ただ淡々と話しているだけなのに、それなのにこの少女はまるで王かなにかのような圧倒的な威圧感があった。
いや、王どころか……まるで、人ではないような――。
そんな恐ろしい相手に名前を教えて欲しいなんて、なぜ思ってしまったんだろう。もしかしたら現実離れした少女の美しさについ惹かれてしまったのか?
月明りに映し出されるその顔は美しい。
まるでよくできた彫刻作品のように整っていた。
だが少女は俺の言葉を無視して、ふと視線を外して言った。
「今日のことは忘れろ」
「えっ?」
「私はあまり人前に姿を晒していい身ではない。深く関わってしまった人物は消さねばならん。だからお前も死にたくないのならば、今日ここであったことは忘れたほうがいい。しかもお前の発明した術符とやらは、本来は抹殺級の道具だ。お前は十分危険な領域に足を踏み入れているんだよ。だから鈴も、私も、お前はなにも見なかった。いいな」
抹殺って……。
「もしも術符の技術が俺だけのもので、俺一人を殺せばなかったことにできるとしたら……」
「そういうことになるな」
キリアヒーストルで技術を公開してなかったら、そもそもイシュニジルに技術を盗まれていなかったら、俺はすでにこの世にいなかったかもしれないということだ。
ここで素直にうなずいておくのが賢い選択だろう。
だが俺はこう言ってしまっていた。
「まだ名前を聞いてないぞ」
機械のように無表情だった少女の顔に、初めて驚きの色が浮かんだ。
そして次の瞬間には少女の顔にかすかな笑みが浮かぶ。
「ラルスウェインだ。さっきの――リルは私の妹だ。まあ覚えておきたいと言うのなら勝手にすればいい。……後悔しても知らんぞ、とはもう言うまい。後悔することがあるとすれば、それはお前が死ぬときだからだ」
すさまじいことを平然と言う。
その少女の美しさは、まるで氷でできた刃のようだ。
「では、な。また会うことがないよう願っているよ」
そう言ってくるりと背を向けたかと思うと、ラルスウェインは姿を消した。
「まじかよ……」
瞬間移動!?
いや目くらましか?
なんの兆候も見せず、少しの段階も踏まずにいきなり消えたのだ。
テレビの電源を落したら映っていた映像が消えるような、そんな突然な消え方だった。
「どんな魔法だよ……」
俺のつぶやきはただ闇に吸い込まれた。
毒に侵されたみんなは解毒符が効いてやや症状が落ち着いていたが、まだ体を動かせない者も多かった。パーティーを開いていた部屋で床に倒れたままだ。
「そうですか……ジュザックが……」
俺は事件のあらましを、意識が戻ったウェルニーリにすべて話した。
魔物を操る鈴を使って王都を襲おうとしていたこと。自分が王子に成り代わろうとしていたこと。この場の全員を毒殺しようとしたこと。
「彼は……なんという愚かな。ジュザックのたくらみに気付けなかった自分が恥ずかしい……」
悔しそうに唇を噛むウェルニーリ。
「クリス、こっちの人」
アンナの声で気付いた。
まだ何人かの人は苦しそうな顔をしている。
解毒符が効いていないのか?
いや、おそらくは飲んだ毒入りの酒の量が多かったのだ。
そして解毒符は毒自体に作用する特効薬のようなものではない。
体の自浄作用を高めて毒を排出するよう促すと共に、毒に対する抵抗力を上げる魔法だ。
あらゆる毒に一定の効果があるのが利点だが、強力な毒や多量の毒の場合十分な効果が得られないこともある。
「どうしよう……このままじゃみんなが……」
エリが不安そうな目を向けてくる。
正直もう打つ手はなかった。
俺は符術士であって医者ではないのだ。
「くっ……」
血が出るほど強く唇を噛む。
今ほど自分の無力さを痛感した瞬間はない。
「これを食べさせてみて」
その声に、その場にいた誰しもが驚いた。
「お前は!?」
それはジュザックと共に仲間を裏切ったはずのリルスウェインだったからだ。




