不思議なスープ、パクパク
「メシだーーーーーーー!!」
「おーーーーーーーーー!!」
うーん、雲一つない晴天が気持ちいい。
こんな清々しい日の朝は、どうしたって腹が減る。
宿の玄関先で腕を上げて大声を上げる俺たちを、道を歩く何人かの人が驚いて振り向いた。
この町での仕事も終わり、キリアヒーストルの自宅兼お店に帰る前に、とりあえず美味しい物を食べておこうという企画。
発案者俺。
賛同者アンナ。
昨日の夜は宿のパンと具のないスープ、それに野菜のサラダだけだったからな。
ここらでいっちょ高い店にでも入って、贅沢をしてみたかった。
こうして元気よく宿を飛び出したのはいいが――。
「ここも、閉まってるね……」
「そうだな」
せっかくだからと高級そうな店を探して覗いてみれば、閉まっていた。
三軒目である。
「クリスー。お腹減ったよー」
減っている。
俺だってお腹、めちゃくちゃ減っている。
「ねえねえ、あのお店どうかな?」
見れば大衆食堂っぽい質素なお店。
俺としてはせっかくだからもっと高級そうなところをと思っていたのだが、三軒目にしてついにアンナは泣き出しそうに目を潤ませ始めた。
「ううぅ……あのお店は?」
俺は一瞬目を閉じた。
アンナに美味い物を食べさせてやりたい。
その思いが空回りしていたのかもしれない。
高い料理が必ずおいしいとは限らないし、大衆向けの、地元に根差した店の方がその土地土地の味を楽しめるのではないだろうか?
俺が馬鹿だった。
「だな。あそこにしよう」
「やったーーーーーーーー!!」
店に入ると他に客は二人。一人は使い込まれた木のカウンター席で何やら麺料理のようなものをすすっている。
もう一人は奥のテーブル席で赤ら顔をこちらに向けてきた。たぶん陶器の瓶に入っているのは酒だろう。
客の入りの少なさが心配だったが、応対に来た恰幅のいいおばちゃんの威勢のいい声を聞いて不安はすぐに消えた。
俺たちは木のテーブル席の一つに並んで座った。
「いらっしゃい! 何にします?」
メニューの冊子に書かれている品書きは、やはり異国だけあって字面だけ見てもどんな料理なのか分からない物ばかりだ。
お、ポルポがあるじゃないか。
メニューに、見慣れた単語を発見した。
確か豚に似てて、食肉を目的に家畜化されている動物のうちの一つだったはずだ。
「ポルポ料理で、この中だとどれがおすすめです?」
「ポルポメリカーナが人気だよ。兄ちゃん、旅の人かい?」
「ええ、そんなところです」
おばちゃんはにかっと歯を見せて笑った。
「だったらパクパクを食べてかなきゃ」
「パクパク?」
「この辺りの名物みたいなもんさね。騙されたと思って頼んでみな」
「アンナは何にする?」
「クリスとおなじのがいいー!」
「じゃあポルポメリカーナ二つとパクパク、二人分」
「あいよ」
「ポポルッカ、ありますかっ!」
アンナの元気な声。
「ごめんよ、お嬢ちゃん。ポポルッカはやってないんだ」
残念そうな顔をするアンナ。
よほどあの露店で食べたポポルッカがお気に召したらしい。
俺はアンナの意図に気付いてこう言った。
「ああ、何か甘い物とかあります?」
「それならこの辺だね」
「このサワワって何ですか?」
「果物だね」
「じゃあそれ二人分」
「あいよ」
料理が来る間、アンナは待ちきれないとばかりに体をゆらしていた。
「サワワっ、サッワワー♪ どんな味かなー! えっへっへー!」
妙な韻を付けて即興で歌うサワワの歌は、不思議と俺まで楽しい気分にさせられる。
しばらくして料理が運ばれてきた。
「はい、おまちどうさま。ポルポメリカーナにパクパク、二人分ね。サワワは食べ終わる頃に持ってきた方がいいかい?」
「ええ、お願いします」
ポルポメリカーナ。一口大に切ったポルポの肉が山盛り。なんだろう……この色。若干オレンジ色? の上になにやら薄い茶色のソースがたっぷりとかけられている。
一口食べて正体が分かった。たぶんから揚げだ。
ポルポの肉に何か粉をまぶして揚げてあるんだ。それにほどよく甘酸っぱい餡が絡んでよく合う。
から揚げの甘酢餡かけといったところか。
肉のジューシーさが、油っこさを求める空きっ腹にはたまらない。
それはアンナも同じだったようで、一口食べるごとに声を上げて感動していた。
「お、お、おおお! おおーーーー! おおおーーーー!!」
一口食べては、雷に打たれたように体をこわばらせている。味を文字通り噛みしめるように大事そうに食べていた。
そしてもう一品。
問題はこいつだ。
「これがパクパク……」
俺は今信じられない物を見ている。
「これ……生きてる?」
いや、そんなわけはない。
だって、この一人用鉄鍋。中のスープが沸騰してぐつぐつ言ってるじゃないか。
なのにこの黒いスープの中の丸いやつ、うずら大のこいつだ。
そのちっこいうずらの卵みたいなやつ一つ一つが、パクンと口を開けたかと思うと閉じて、またパクンと開く。
そしてパクパクと丸い物が口を開ける度に、いい香りが弾けて漂う。
この匂いは香辛料っぽい刺激だ。実に食欲をそそられる。
ああ、だからパクパクなのか。
しかしネーミングセンスを笑う余裕は俺にはない。
原理不明な食材の挙動に、翻弄されてしまっている。
ええい、とにかく食ってみないことには始まらない。
あれこれ考えるよりまずは一口だ。
木の匙でスープをすくい、煮え立ったそれをフーフー吹いてから口へと運ぶ。
うまい!
若干ざらっとした舌触りは豆を煮込んだスープがベースになっているような気がする。
濃厚な旨味が刺激的な香りと絡み合い喉を通り抜けていく。
そして、この丸いやつ。これは何かの植物の実だと思う。
パクパクと口を開けた時に匂っていた香りが、一口その実を噛んだ時にさらに強烈に弾けて広がった。
うーん、この刺激。香り。転生前にも馴染みのなかった感覚。だけど嫌いじゃない。
アンナには刺激が強すぎたのか、パクパクの実を食べて目を白黒させていた。
「あうう。なんかこれ、がーーんって来る。がーーんって」
「そっか。がーーんか」
思わず笑みがこぼれる。
確かにそんな感じだ。
鉄鍋の底の方になにやら歪な形の肉が眠っていた。
強い噛み応えと弾力。貝だ。
おそらく殻付きならこの大きさの器には収まりきらないだろう。
それほどの存在感のある大ボスが、隠れていたのだ。
なるほど、貝の旨味か。
貝類はどれもいい出汁が出る。
このスープの旨味も豆や野菜を煮込んだだけではない。貝の出汁がメインとなっているのだ。
貝はクセのある物も多いが、刺激の強い香りを放つ植物の実と組み合わせることで、弱点を補っているのかもしれない。
それにこの貝の肉、種類は分からないがとにかくうまい!
噛めば噛むほど貝の旨味がギュッと染み出すようだ。
最初こそパクパクの見た目に驚いていたものの、気が付けば病みつきだ。
夢中で食べ進めてポルポもパクパクも、きれいに完食していた。
「はい、サワワ。おまち」
そこへタイミングよくおばちゃんがデザートを持ってきてくれた。
木の皿に半身に切った果物が乗っている。
果肉はうっすら緑色で、見た目はメロン。
では、味は?
スプーンは付いてないので、手で取って食べればいいのだろう。
思い切ってかぶりつく。
とたん口の中では、ジュワっとした刺激が弾ける。
炭酸?
転生前の日本にあった、口の中でパチパチ弾けるお菓子を思い出した。それとか炭酸系飲料。
こんな果物があるなんて!
そしてそのシュワシュワに乗って、さわやかな香りが口の中を占領する。
甘さはそれほどでもないけれど、間違いなくこれは大好きな果物だ!
「わーーーー! すごーい! あまーい! おいしー!」
甘さ慣れしていないアンナには、そんな控え目な甘さがちょうどいいのだろう。実に楽しそうに食べていた。
「口の中がね! わーーって感じ! わーーー!」
アンナの表現は意味不明なようでいて実に的確。
まさにそんな感じだ、これ。
このサワワ、キリアヒーストルにもあるかな? 帰ったら青果店を見てみよう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまーー!」
「あいよ。全部で四十ジュリーだよ」
「とーーーーてもおいしかった!」
「そうかい、ありがとね」
アンナの笑顔に釣られておばちゃんもにこにこ顔だ。
「ええ、本当に。パクパクの刺激は、結構びっくりしちゃいましたけど、でもクセになりそうな味ですね」
「だろう? 気に入ったのならまた来ておくれよ」
「ええ、必ず」
支払いを済ませて店を出る時には、他の客たちもアンナに手を振っていた。
そういえば入った時はガラガラだった店内が、いつの間にか大勢の客でにぎわっている。
そうだ、そろそろ昼飯時だ。
どうやらこの店にしたのは、大正解だったみたいだ。