大きなハサミを持つもの
鈴のことはひとまずリズミナに任せた。読めない文字が使われているのだから、後は国の連中に詳しく調べてもらうしかないだろう。
俺たちはキリアヒーストルへと帰ることにした。
しかしまっすぐには帰らず、アリキア山脈側とは反対方向へ南下し、直近の町であるゲレルトへ立ち寄る。
理由は単純だ。
せっかくイリシュアールへ来たのだから、なにかうまい物でも食べていこうと思いついたのだ。
この長旅で、しばらく質素な物しか口にしていない。
さすがに俺もアンナも限界だった。
とりあえず飯を食って一泊。
キリアヒーストルに帰るのはそれからだ。
ゲレルトに到着したのは昼を過ぎてだいぶ経った頃だった。
イリアの粋な計らいで馬を二頭もらっていた。俺とリズミナがそれぞれ乗り、アンナは俺の後ろ。
この世界の馬は背が低くややずんぐりした見た目だが、おとなしくて力強い。人によくなつき乗りこなすのも簡単だ。
「この時間なら飯屋は空いてそうだな。さて、どこへ入るか」
宿の荷場に馬を預けて俺たちは通りを歩く。
「たまにはお前もいっしょにどうだ?」
「必要ない」
そっけなく言ってすぐに人ごみに紛れて姿を消すリズミナ。
みんなで和気藹々とか、そういうのには興味ないんだよなぁ、あいつ。
リズミナといっしょに食事をした記憶がない。
いつかそういう機会があればいいのだが……。
「クリス、あそこ!」
真剣な表情でアンナが見つめるのは、一軒の食堂。
たいした大きさではなく、くたびれた感じのする古い建物だったが、大きな笑い声が外にまで響くくらいに活気がある。
いいな。
この手の店は外れがない。
「よし、あそこにするか」
「うん!」
中は思った通りの大衆食堂。
テーブル席が六つにカウンター席。全体的にうす汚れているが、それは長い年月と使い込まれた生活感によるものだろう。不快ではない。
そして店内の活気。
がっしりした体格の労働者風のおじさんが、同僚だろう別のおじさんと笑い合っている。
別の席では大口を開けて肉にかぶりつきながら、チラシのような紙に目を通している男性。新聞だろうか。
串焼きをかじりながらコップを傾ける赤ら顔のおじさんたちもいる。中身は酒だろう。
誰かが大声で店員を呼んで追加の注文をしている。
カウンター席の客たちは黙々と料理を掻き込んでいる。
呆気に取られて眺めていると、気付いた店員のおばちゃんが声をかけてくる。
「いらっしゃい。こっちの席へどうぞ」
たった今客が食べ終わったばかりの席を示して皿を片付け、雑にテーブルを一拭き。
「すごい人気ですね」
「はっはっは。そうかい。飯時にゃこんなもんじゃないよ」
「そりゃそうだ! ラウリーンの店はゲレルト一だからな! 店は汚くてしみったれてるが料理は安くてうまい! お兄ちゃんよそ者んだろ。よくこの店に目を付けたな」
「汚い店で悪かったね! 一言余計だよ!」
豪快に笑って肩越しに声をかけてくるのは、たった今食事を終えてすれ違うように席を立った男。
男の言ったようにこの店は大通りからは少し離れていた。
キリアヒーストルとは違いイリシュアールの店はメニューを見ても中身が分からないことが多い。
文字は共通なのだが、料理そのものが違う。
パラパラとメニューの冊子をめくりはじめた俺に、アンナが言った。
「ねえ、クリス。あれ!」
「ん?」
アンナはイスにかじりつくようにして、後ろのテーブルを見ている。いや正確にはそのテーブルの上の料理を、だ。
「おー、すごいな」
大皿にはオレンジ色の米っぽい料理が山と盛られ、その上には大人の腕ほどもある巨大なエビが乗っていた。
エビというよりロブスター……か?
この辺りには川か何かがあるのだろうか。
大皿の料理をパクついているのは筋骨たくましい四人の男。
アンナの視線に気づいた一人がにやりと笑い、見せつけるように切り分けたロブスターの肉をうまそうに食べた。
「クリス! あれ食べたい!」
がばっと振り返ったアンナは超真剣。
笑顔でうなずいてやる。
俺はおばちゃんを呼んだ。
「すいませーん」
「はいよ」
「あの料理、もらえますか?」
「ああ、シクチバランね。でも大丈夫かい? 二人だとちょっと多いよ」
俺はアンナを見る。
アンナは鼻息荒くうなずいた。
「大丈夫です。それと、スープください」
「スープはレガイユでいいかい?」
聞いたことがない名前だが、まあ大丈夫だろう。
「お願いします」
「はいよ」
そう言って背中を向けるおばちゃんを俺はもう一度呼び止めた。
「あ、ええと、シクチバラン? に乗っているエビなんですけど、この辺って川とかあるんですか?」
「ああ、あれは川のもんじゃないよ。木の上にいるんだ。木の実ばっかり食べてるもんだからクセがなくておいしいんだね」
転生前で言えばヤシガニみたいな物か? まあヤシガニが木に登るかどうかは知らないけど。
木の上にあんな巨大な甲殻類がいるなんてちょっと想像できない。
そういえばこの町はイリシュアールにしては珍しく周辺に緑が多かったな。その森で暮らしている生き物かもしれなかった。
とにかく珍しい物は大歓迎だ。
どんな味なのか楽しみになってくる。
しばらく待って料理が運ばれて来た。
大皿に山と盛られた米系の、ピラフっぽい料理。底のほうは若干の汁気があるな。パエリアが近いかもしれないが、具材は魚介ではなく野菜が中心だ。
そしてそのてっぺんにどかんと乗るのは巨大なロブスター。
「はい、これで殻割ってね」
鉄製の黒い、ペンチのような物を渡された。
さっそくロブスターの殻をペンチで叩いてみれば、カン、という硬そうな音。
ペンチで挟んで割りにかかる。
ベキバキボキ……。
「おおおぉー」
すごい音がして、その光景をアンナは興味深そうに見つめていた。
米を具材といっしょに炊き込んだ香ばしい香りに、ロブスターのうまそうな匂いが加わる。
ふわっと立ち上がる湯気がすでに美味しい。
割った殻を除ければ中から現れたのはぷりっとして透明感のある、白い肉。
さっそくアンナがナイフを使って自分の分を取り分け、一口食べた。
「ふぁぁああぁぁーーー!」
目をうるうるさせて感動するアンナ。くそっ、俺も食べたい!
負けじと俺も皿に取り分け、ピラフも皿に盛る。
さて、どんな味か。
「おっ」
やはり思った通り。プリッとした食感は間違いなくエビ系。
巨大な外見からもっとパサパサしてるかとも思ったが、そんなことはない。プリプリしてて最高にうまい。
米のほうはこの世界ではわりとパサパサしてることが多いが、これはややもちっとした食感。
種類なのか? それとも調理法なのか? スプーンですくってじっくり見てみても、違いはわからない。
ピラフにもしっかりとしたコクとうま味が染み込んでいる。
野菜中心でどうやったらこんな味が出せるのだろうか?
その野菜も太い茎のようなものはアボカドのような食感で、濃厚な味わいがあった。
このピラフのコクはバターではなくこの野菜から染み出たものなのかも、とか少し思う。
赤い野菜はしっとりやわらかくなるまで火の通った瓜系。
そしてまばらに入る黒くて大きめの豆。噛んで潰れたときの食感、舌触りが豆特有でざらっとしていてたまらない。
色とりどりの野菜が見た目にも美しく、味も大満足の品だとわかった。
味付けは濃すぎるわけではないが、米系なのでバグバグ食べているとどうしても水分が恋しくなる。
俺は手のひらに余る程度の大きさの木の器で用意されたスープをすくう。
透明なスープは最近はあまり見ていなかった気がする。
透明でやや褐色か。
一口飲んでその深いダシに驚く。
近くに川も海もないから魚介のダシではないはずだが、いい味が出ている。
薄味で飲み口はさわやか。
なんというか、お吸い物って感じだ。
濃厚なピラフにはこんなすっきりしたスープがよく合う。
そしてまたピラフをがっつく。
ロブスターも……え?
「あ、アンナ……」
やばい、泣きそう。
あんなに巨大なロブスターの肉が、もうほとんど残ってない!
「おいひい。おいひぃいーーー! はぐ、はむ、はふ」
見ればアンナは米、肉、肉、肉、米、肉、肉、肉で食べていた。
「アンナ! バランスだ! バランスを考えろ!」
「ふぇっ?」
「見ろ、エビばっかり食べるから、ご飯がこんなに余ってる。これじゃ最後までご飯とエビをいっしょに食べることができないだろ。エビとご飯の両方の食感をいっしょに楽しむことが、この料理の正しい楽しみ方だと思わないか? いや俺も初めて食べる料理だけど、たぶんそれが正解なはずだ」
アンナは俺をきょとんと見つめて不思議そうな顔。
「どうした?」
「クリスがご飯のとき、こんなにしゃべるなんて初めて……」
「え、そうだったか?」
「うん。いつもほとんどしゃべらないでだまーーーーーって食べてたから、びっくり」
メシ食ってるときの俺、いつもアンナにどう思われてたんだろ……。
アンナはおもむろにペンチでロブスターのハサミをガチっと挟んだ。
バキッ……。
「あ、まだあったよ、お肉!」
「おおっ!」
ハサミの中までプリプリお肉が詰まってたーーー!
「じゃあこれはクリスの分ね」
にこにこと笑って言うアンナ。
あ……。
急に恥ずかしくなってきた。
気を使われてしまった。
「ああ、いや……こっちのハサミはアンナも、な」
そう言って俺はもう片方をアンナの皿によそったのだった。




