イリシュアールの炎神
「なっ――」
俺が驚くのと、レメナイリアの背後、テントの幕が揺れるのは同時だった。
「貴様っ!! 貴様には将軍としてのプライドがないのかああああっ!!」
テントの外で怒声が響き、大股で駆ける音が聞こえる。
すぐに回り込んで中に入ってきたのは、中肉中背で針金のようなひげを生やした男。
「おや、カイルハザ将軍ではありませんか。盗み聞きとは趣味が悪いですな」
レメナイリアは意に介した風もなく、片目を閉じて小首をかしげてみせる。
人をあざけるにも優雅な振る舞いというものがあるのだ。
カイルハザは激昂した。
「この小娘があああああああああっ!!」
ドンッ!!!!
レメナイリアがイスの後ろから、鞘に入った巨大な大剣を取り出して地面に突き立てた。
アンナの身長ほどはある幅広の大剣。
炎を固めて作ったかのような、赤い鞘。
「う……」
カイルハザは顔に冷や汗を浮かべて押し黙った。
周囲の空気をビリビリと震わせるような、圧倒的な威圧感がレメナイリアから伝わってくる。
アンナが、自分の座るイスを俺のそばに寄せた。
カイルハザは神経質そうにひげをつまんで伸ばすと、嫌味ったらしい声を出した。
「ふ、ふん。お前を驚かせてやろうと内密に足を運んで来てみれば、それでも眉一つ動かさないとはな。だが覚えておけ。私の直属の増援が来るまでに魔物どもを撃退できなければ、お前の無能は王に報告せねばならんなあ。ええ? イリシュアールの炎神様よ?」
それだけを言ってカイルハザは逃げるようにテントを出て行った。
今の男――カイルハザも将軍か。単身で来たわけではなく後続の部隊がいるということらしい。
「行ったか……おや、すまない。怖がらせてしまったかな?」
レメナイリアはふうとため息を吐いて大剣をイスの後ろに隠した。
アンナは小さく体を震わせていた。
無理もない。
俺も背中に嫌な汗が流れたほどだ。
レメナイリア。彼女は親の七光りや飾り物の将軍では断じてない。すさまじい実力を秘めているに違いなかった。
レメナイリアは胸当ての隙間から服に手を入れてごそごそしていたかと思うと、小さな黄金色に輝く丸い玉を取り出してアンナに差し出した。
「菓子だ。うまいぞ」
たぶん、はちみつを固めたアメだ。
恐る恐る受け取ってアンナは俺を見る。
俺は笑ってうなずいた。
アメを口に入れた瞬間、アンナの顔が輝く。
「ふぁぁぁーーーー! あまーーーーい!」
「ふふ」
それを見てレメナイリアも笑う。そこには年相応の少女の笑みがあった。
レメナイリアは世間話でもするように話し始めた。
「あの男は代替わりした新しい王の実弟でな。実力もないのにコネだけで第三軍の将軍になったやつだ。私のことが気に食わないのか、ことあるごとに嫌がらせをしてくる。ふっ、もっとも私のほうも祖父の威光でこの地位に就いた、などとさんざん言われているがな」
俺は気になっていたことを聞いてみることにした。
「しかし私も驚きました。イリシュアールの軍人は誇り高いと聞いていました。まさか私の素性を知っていて、躊躇なく力を貸して欲しいと言われるとは」
軍にこそ所属していないとはいえ、キリアヒーストルに店を構え、住んでいる俺だ。イリシュアール人ですらない。
レメナイリアは笑みを消して真剣な顔になった。
「プライドで人が救えるのならそれでもいい。だが私はそうでないことを知っている。一人でも多くの民を救えるのなら、プライドなどいつでも捨てる用意は出来ている。民を救うために最も高い可能性を探り、一人でも多く助ける。それ以外に興味はない」
レメナイリアは、すっかりアメが気に入ったのだろう目を輝かせているアンナに、おかわりのアメを渡して言った。
「クリストファー殿は村の様子はもう見たのかな?」
将軍自ら『殿』などと付けて呼んでくれる。
本当にプライドにこだわらない人物のようだ。
「クリスで構いませんよ、将軍」
「はは。なら私もイリア、と呼んでもらおうか。うちの連中は言って聞かせてもせいぜい『レメナイリア様』がいいところだ。堅苦しくてね」
「いや、さすがにそれは」
レメナイリアはにやりと笑う。
「気にするタマじゃないだろう?」
なんだか、久しぶりに会った古い友にでも言うような気安さだ。
これが交渉術なのだとしたら恐ろしいにも程があるが、たぶんこっちが素顔なのだろう。
「なら、そうするよ。よろしくイリア」
「ああ」
あくまで気さくに笑うイリア。
最初に会ったときと、だいぶ印象が違う。
なんというか、意外と距離が近い感じがする。
「村はまだ見てないですね。途中で野営地が見えたから先にこっちに立ち寄ったんだ」
「そうか。なら覚悟しておけ。少し、堪えるかもしれないからな。茶でも出したいのは山々だが、時間が惜しい。ついて来てくれるか?」
そう言って立ち上がるイリア。
俺とアンナは歩き出したイリアの後に続いた。




