アンナ怒りの投擲
大陸を二つに分けるようにそびえるのがアリキア山脈。
キリアヒーストルとイリシュアールはお互いに山脈に面する領土を有している。
今回記事が報じるのはイリシュアール側の山脈近辺の被害。
「部下が早馬で届けてくれたものだ。おそらく数日以内にはバザンドラにも出回るだろう」
部下がいるのか……。もしかして偉いやつなのか、こいつ?
リズミナが凄腕なのは知っていたが、部下を使って仕事の指示を出すような姿はちょっと想像できない。
そんな手間をかけてリズミナに知らせに来るということは、なにか目的があるのだろうか。
二階に上がるとリズミナは、ベッドの前にひざをついて頭を下げた。
「お、おい……」
そしておもむろに自らローブのフード部分を上げて顔を見せる。
こいつが自ら顔を見せるなんて!
短めの髪をかわいらしいツインテールにした、素直そうな顔立ちの少女が現れる。
やっぱり、ローブを脱ぐと可愛いんだよな、こいつ。
いきなりベッドの前で三つ指ついて、どういうつもりなんだろう?
まさか、俺とアンナが毎日いっしょに寝てるのを見てうらやましくなったとか?
そりゃリズミナはいつも天井裏だ。やわらかいベッドが恋しくなる気持ちもわかる。
だけど一人用のベッドに三人は狭すぎる!
それにアンナと違ってリズミナは……あちこち成長しているというか、なんというか。
そんなぎゅうぎゅう詰めの状態で寝るとなったら俺は、やわらかサンドイッチの具材になって溶けてしまう!
でも……正直な話、そんな提案ならめちゃくちゃ魅力的だったりする。溶けて死んじゃうならむしろ望むところ。
よし、男ならここはいさぎよく了承しよう。
そうだリズミナだけ天井裏で硬い板を枕に夜を過ごすのはかわいそうすぎる。
人助け。これは人助けだ。
「クリス。どうか私と共にイリシュアールへ赴き、今回の事件の調査を手伝っていただけませんか?」
「へっ? ……えっ?」
自分でも間抜けな声が出てしまったと思う。
「この間アカビタルの町がリウマトロスに襲われた事件、覚えていますよね」
もちろんだ。
ついこの間のこと。俺自身があの怪獣のように巨大な魔物を仕留めていた。
リズミナも単に前置きのつもりだったのか、返事を待たずに先を続けた。
「ここ数十年おとなしかったリウマトロスが、なぜ突然町を襲ったのか。国は今回の魔物の活発化とリウマトロスの事件に関連性があると考えています」
「なんで俺なんだ?」
「今回の調査はイリシュアールなので、軍を動かすわけにはいかないんです。ですから軍属でなく先のリウマトロス討伐で実績のあるクリスにぜひにと」
「ならお前みたいな忍者を使えばいいんじゃないのか?」
たしか、イリシュアールで俺が行った爆破符二百枚の取引も、あっという間にバレてしまった。それくらいには敵国内での諜報力に長けているはずだ。
リズミナは目をそらさず、落ち着いた声色で言う。
「今回はイリシュアールも軍を動かしていますからね。さすがにそのただ中へ潜入するというのは……ベテランの諜報員でも荷が重すぎます。もし見つかれば大事になります。それに、狂暴な魔物が多数現れたとなっては、命を守ることすら難しいかと」
うそを言っているような感じはしない。
そもそもローブを脱いだリズミナは、うそをついたとしてもすぐに顔に出る。
「じゃあ俺といっしょに行くとして、お前はついてきて大丈夫なのか? 軍属だろ?」
リズミナは凄腕の諜報員らしい自信に満ちた笑顔で言った。
「私は大丈夫です。顔はバレていませんし、簡単に見つかるつもりもありません。それにもし軍人に顔を見られたとして、クリスといっしょなら連れの一人程度に認識されるでしょう」
リズミナが言いたいことはわかった。
だけどこの件に関しては大きな問題がある。
それは……。
「俺が素直にうなずくと思っていたのか?」
俺の意思の問題。
アンナには強がって見せているものの、実のところ俺はアンナを危険にさらすようなことは出来るだけ避けたいと思っていた。
案の定リズミナもそれが懸念だったらしく、困った顔をした。
「です……よね。私も本当はクリスに無理強いするようなことはしたくないんです」
軍属ゆえのしがらみというやつか。
こうして俺に頼み込んでいること自体軍の命令なら、それを断るわけにもいかないのだろう。
アンナに万が一があるようなところへは行きたくない。
行きたくはないが……なんだろう、リズミナのこの顔を見ていると猛烈な罪悪感に襲われる。
俺も魔物の活発化については気にはなっている。
原因を知りたいという気持ちも。
アカビタルでまた同じような魔物の襲撃があれば、取り返しのない事態に発展するかもしれない。
アカビタルの町の人たちはみんないい人だったし、仲良くなった人も大勢いた。
その時になって平気な顔をしていられないというのは、アンナも俺も絶対に同じだ。
「もし俺が断ったとしたら、お前は上からひどい目に遭わされたりとかは……」
「……」
リズミナは困ったような苦笑いで、ただ黙っている。
同情を引くようなことを言って俺を誘導しようとはしない。
しかし否定もしないということは、やっぱり何かあるのかもしれない。
俺は大きく息を吐いた。
「わかったよ。……ただし、アンナの了解を得られれば、の話だ。あいつが嫌だと言うなら俺は絶対に動かない」
「本当ですかっ!? ありがとうございます!」
がばっと俺に抱き着いてくるリズミナ。
「ちょっ、おい、リズミナ。いきなり何を……」
やわらかい体の感触が!
リズミナの髪が鼻にかかって、いい匂いがする。
リズミナの背中に手を回したい欲求に抗おうと必死に葛藤するのが精いっぱいで、その体を跳ねのけることができない!
そしてそんな俺の背後から、冷え切った低い声が聞こえてきた。
「クーリースー……なに、してるの?」
「あ、アンナ……」
アンナさん、なんか見たこともない顔してるんですけど!?
殺意に満ちたオーラを放っている。
ゴゴゴゴゴ……そんな音が聞こえてきそう。
「クリスの浮気者ーーーーーーー! 変態ーーーーーー! エッチーーーーーー!! 人でなしーーーーー!」
「ぎゃあああああっ!?」
部屋に大量に落ちて散らかっている魔術書を、次々と拾っては投げてくるアンナ。
結局誤解を解くのにアンナが本を投げ疲れてへたり込むまで防御に徹するしかなかった。
たっぷり時間をかけて丁寧に説明した後、イリシュアール行きについてはなぜかあっさりと了承してもらえたのだった。




