将棋ブーム到来の兆し
「ほい、これで詰みだ」
「お、おぉぉ……?」
驚いたような不思議そうな顔で将棋盤を見つめるアンナ。
俺とアンナは自宅一階の商売用の机で、将棋に興じている。
適当な木の板にマス目を書いた盤。それに小さく切った木のチップに文字を書いただけの駒だ。
なんで商売用のスペースでこんなことをしているのかというと、単純に客がいないから。
あまりにも暇すぎたので盤と駒を作って、アンナに将棋を教えてみたのだ。
基本的なルールや駒の動かし方は、なんとたった一度の説明で覚えてしまった。
一応俺が勝ったものの、ちゃんと勝負になるのだからおそろしい。
もしかして天才なんじゃないか? こいつ。
そして、その予想は大当たりだった。
――数日後。
「ぐぬぬ……」
俺は盤面を見てうなっていた。
なんということだ。
盤上の戦況は絶望的で、逆転の目がまるで見えない。
完全に追い込まれてしまっていた。
「へっへっへー」
得意げな表情で俺を覗き込むアンナ。
こいつ、勝ちを確信してやがる。
考えろ。
あそこに銀を……いや、歩だ。歩を垂らすんだ。
俺はたっぷり長時間の思考の末に、渾身の一手を繰り出した!
……そして負けた。
「わーーーーーい!! あたしの勝ちーーーーーー!!」
「負けました……」
天才現る。
俺も別に転生前に将棋が得意だったというわけではないが、アンナの飲み込みの早さは異常だと思う。
「ねえねえねえ! このショーギっていうゲーム、みんなに教えてきていい?」
キラキラした目でそんなことを言われれば、もちろんこう答えるしかない。
「いいぞ」
「やったーーーーーー!!」
盤と駒を持ってアンナは家を飛び出していった。
――バザンドラの町に将棋ブームが到来した。
町のあちこちで盤を広げ、将棋に興じる人たちが現れ始めた。
その様子を見た人が興味を持ち、さらに将棋人口が増えていく。
駒はいつの間にか漢字ではなくこの世界流に変化を遂げて、絵が描かれたものになった。
家具職人もブームに目を付けて、立派な盤や駒を競って作るようになった。
家具屋は近いうちに将棋セットを王都へ売り込もうと目論んでいるらしい。
そして……。
「負けたわい。アンナちゃんはやっぱり強いのう」
そう言って頭をかくロンデルじいさん。
「うーんとね、このヒシャを、こう動かしてたら、こっちにカクが打てなくなって困ってたかも」
「ほう! そうじゃったか! これは勉強になる。アンナちゃんはわしのショーギの先生じゃ」
「えへへー」
店にいつの間にか持ち込まれた簡素な木のテーブル。その上には将棋盤。
アンナとロンデルじいさんが将棋をしながら談笑している。
あの、ここ俺の店なんですけど……。
元からある店の机に頬杖をつく俺の前では、狭い店内に盤と駒を持ち込んで将棋をする人たちが、ざっと六人ほどいる。
アンナは将棋がメチャクチャ強い。
そのせいでアンナに将棋を教わりに来る人が後を絶たないのだ。
まあ、それとは関係なしに将棋を遊びに来ている人もいるけど。
「っしゃあ! 俺の勝ちだ! おっと、こんな時間か。そろそろ仕事だから帰るか」
「くそっ、次は負けねぇからな!」
見れば勝負がついたのか、職人風の男――顔なじみのリックが席を立って店を出ていくところだった。
負けたほうのおじさんも悔しそうな顔をするものの、どこか楽しげ。
「いやあそれにしても面白い。クリスさんの考えたこのショーギというゲームは、本当に素晴らしいですな!」
そう言って俺のほうに振り向いて笑顔を見せるおじさん。
「そうですか……」
席料、取ろうかな……。
「クリストファー・アルキメウス。ショーギ発明の祖として彼はその名を歴史に刻むのであった――」
いつの間にか背後に音もなく現れたリズミナが、俺の耳元でそんなことをささやいた。
「冗談じゃねえ……」
将棋は俺が考え出した物でもなんでもないしな。
なんか、転生前の世界のご先祖様に申し訳ない。
「アンナちゃーん、教えてくれー」
「ばかやろう! ずるいぞ! 助言はなしだ」
負けそうになった誰かがアンナに助けを求め、すかさず対戦相手が抗議の声を上げた。
はは、アンナは初代名人といったところだな。
俺は机の上にぐでっと顔を落してその様子を眺めていた。
「ん?」
その俺の眼前に一枚の紙をつまんで見せるリズミナ。
チラシ大のその紙は新聞の号外のようだった。
俺は見出しの文字を見て目を見開く。
『アリキア山脈の魔物が活発化。周辺住民から不安の声。イリシュアールではすでに犠牲者発生』
紙がちぎれるくらいの勢いで掴んで俺は振り返った。
「おい、リズ……」
呼び止めようとしたが見えたのは二階への階段を上っていくローブの背中。
上に来いという意味だ。
俺はリズミナの後を追って二階へ上がった。




