続・宴の夜 リズミナの気持ち
「ああ偉大なるキリアヒーストル、豊穣の大地よ。神の恵みよ」
誰かが酒に酔った大声で歌う。それはキリアヒーストル国の創世神話。
天を衝くほどの巨人の名はマケトペンタウラス。肩から先が雲に隠れて見えなかったという彼は、ある時不毛の大地に倒れて息を引き取り、その死体からは木々や草花が生えて咲き乱れ、豊かな大地となった。
そしてその地に暮らすようになった人々が作った国の名がキリアヒーストルだ。
決して技巧もなくどこか調子も外れているその歌声は、不思議と胸をざわつかせた。
アンナは歌声に合わせて楽しそうに体を揺らしていた。
酒に酔った勢いで年若い女性が火の前に出て踊りだせば、周りの男たちがはやし立てる。
つられて飛び出した書生風の男性が、女性の手を取ってくるくる回る。
勢い余って二人は転び、観客たちの環の中に突っ込んでしまう。
しかし沸き起こるのは笑い声。
向こうでは巨大な酒樽を立てて即席のリングにし、腕相撲大会が始まっていた。
ひげ面の大男を迎え撃つのは、獅子のたてがみのように髪を逆立てた警備隊員の一人。
勝負は一瞬で決まり、遠慮容赦のない一撃にひげ面男は悲鳴を上げた。
俺は人であふれかえる周囲をきょろきょろと見回す。
「何か」
「お前を探していること、よく分かったな」
すっと俺の背後に現れたのはローブ姿のリズミナ。
「別に」
ローブで顔を隠しているときのリズミナはそっけない。
「食ってるか?」
「……一応」
「そっか」
つい笑顔になってしまう。
「なぜ笑う?」
「あ、あれ見てみろよ」
リズミナの視線が動いた隙に、ローブの顔を隠している部分を跳ね上げた。
「あーーーっ! やめてください!」
「ははははは! やっぱそっちのほうがいいな」
「…………」
リズミナは、照れてるような困ったような顔でじっと俺を見ていた。
アンナはひまわりのように明るくてまっすぐだけど、こいつもよく見れば素直で澄んだ目をしている。
諜報員などという仕事をしているとはとても想像できない。
「なんだ?」
「けが人を背にリウマトロスと対峙するあなたは、まるで神話の勇者シュトメウスのように見えたのに、今は小さな子供みたい。不思議な人ですね」
勇者って……。
何を言い出すかと思ったら。
恥ずかしい!!
そんな恥ずかしいことをなんでさらっと口に出せるんだこいつは。
思ってても普通口に出さなくない? 恥ずかしいとか思うよね?
ローブを脱いだこいつって、なんていうか……ほんと素直すぎる。
くそっ! 何か仕返しをしてやらないと収まらない。
「そういうお前だって、顔を隠してる時はツンツンしてるけど、本当は素直でやさしくてかわいい女の子じゃねーか」
とっさにそんなことを言ってみたものの、言ってる自分にもダメージが入る。
本当のこととはいえ、相手をストレートに褒めるのはこうも恥ずかしいものなのか。
まあリズミナにも俺の味わった恥ずかしさを少しでも与えてやらないと気が済まないからな。
リズミナは大きく目を見開いて、みるみる顔を赤くしていく。
恥ずかしさを我慢したかいもあって、効果はちゃんとあったようだ。
「なっ、何を言って、言い……言うんですか! そ、そんなこと……」
「お、クリストファー殿、さっそくモテモテですな。貴殿は町を救った英雄、今や町中の女性の注目の的ですからな。ううむ、わしの娘をどうにか紹介しようと思っていたところ、先を越されてしまいましたかな? がはははは。で、そちらはどこの娘で?」
樽のような腹をしたおじさんが現れてそう声をかけてきた。
身なりから言って町の有力者の一人だろう。
リズミナはサッとローブで顔を隠したかと思ったら、次の瞬間にはその姿を消していた。
「はて? 今の娘は一体……うわっちゃああああああ!」
きょろきょろと周囲を見回していたかと思ったら、背中をのけぞらせて飛び上がるおじさん。
背中に何か熱い物でも流し込まれたらしい。
やるなぁ……リズミナのやつ。
まあめんどくさそうなおじさんだったから同情はしないけど。
とりあえずやられたのが俺じゃなくてよかった。
逃げるように走り去るおじさんをちらっと見て、お茶の入ったコップに口を付けた。
そうして、まったりと広場の喧騒に耳を傾ける。
楽しい夜はまだまだ続きそうだった。




