一杯のパン粥
「ぎゃああああああああああああああああああ!!」
ボロの家が壊れるくらいの大絶叫が響き渡る。
それは俺がお礼にと取り出したお金を見た少女のもの。
少女の手の平に乗っかっているのは、まばゆい輝きを放つ黄金――金貨だ。
たとえ国が違っても、刻まれた紋様が違っても、黄金の持つ輝きだけは共通だ。
「受け取れないよ! こんな凄いお金!」
「君に助けてもらわなかったら俺は死んでいた。死んだらどんなお金だってあの世に持っていけないんだ。気にせずもらってくれ」
「う……あ……」
少女は未だパニックのさなかにあるのだろう。顔を真っ赤にして俺と金貨を交互に見る。
しばらくしてからようやく、少女は金貨をぎゅっと握った。
「あ、ありがと……へへ」
俺は返事の代わりに少女の頭を優しくなでた。
「そういえば家の人は?」
「いないよ。お母さんはこの間死んじゃった」
あっけらかんと言う少女の顔には、ほんの少しの陰りもない。
「ここは村なのか? それなら村長にでもあいさつを」
「村じゃないよ。外、見てみな。っと、立てる?」
俺は少女に手を引かれて立ち上がる。
外に出てみるとさっきまでいた少女の家はほとんどボロ小屋だ。
簡素な土壁に藁を乗せただけといった有様。
そして家の周囲には赤茶けた岩山。さっきまで歩いていた街道が目と鼻の先にあった。
「村はあっち」
少女が指さすのは大きな岩とまばらな木が点在する広々とした大地の、その先。
「見えないな」
「そりゃそうだよ。結構離れてるもの」
「ここに、一人で住んでいるのか?」
「うん」
「なんでまた?」
少女は視線を地面に落としてうつむいてしまう。
しばらくそのまま黙ってしまった。
声をかけようかどうか迷っているとようやく少女が口を開いた。
「追い出されたんだ。あたしたち」
「あ……」
そこで聞いちゃいけない質問だったと反省したが、遅かった。
「お母さんは流行り病にかかっちゃって、病気が移るとかで出て行けって言われて、それでここへ来たんだ。お母さん、ずっと寝込んだまま少しずつ衰弱して死んじゃった。あたしは生きてくために街道に出て物乞いをしたり、ゴミを拾ったりして暮らしてたんだ。兄ちゃん、どんなゴミよりも重かったよ。悪いね、起きないから引きずっちゃった」
「そうか……」
転生前の日本なら中学生いや小学校高学年くらいか? よく俺を引きずってでも運べたもんだ。見た目よりずっとたくましい少女のようだ。
「でも最近は急に人通りがなくなって商売上がったり」
少女は肩をすくめた。
「あんた、運いいね。あたしもう街道に行くのはやめようと思ってたとこだったんだ」
「君は……」
倒れた俺の荷物を漁って奪おうとは思わなかったのか? 思わずそう訊いてしまいそうになる。
あんな水とほとんど変わらないスープしか口にできず、いつ飢えてもおかしくない生活をしていたはずだ。
行き倒れた旅人の荷物を漁ったって誰が咎めるだろう。
その時、少女のおなかがぐーーーっと派手な音を立てた。
「あ、あはは……」
恥ずかし笑いの少女。
こういう時、なんて言ったらいいのか本当に困る。
とりあえず視線をそらしておいた。
「ほら、村はあっちだ。一時間も歩けば着くよ。ここにいたってもう食えるもんなんて無いんだから、また倒れる前に行った行った!」
そう言って俺の尻に蹴りを食らわせてくる少女。
「いてっ……わかったよ。さっきのスープ、ありがとな。本当においしかったよ」
「へへ……」
いたずらを見つかった悪ガキのような少女の笑顔を背に、俺は歩き出した。
うん、歩ける。
重い鉛みたいだった体はなんとか歩けるレベルまで回復していた。
もうすぐ村に着くと分かれば自然と力も湧いてくる。
「あっ、そうだ。帰りもここ寄れるからさ、なんか欲しい物あったら土産にでも――」
軽い調子で振り返った俺は、次の瞬間心臓が凍るような気がした。
少女が倒れていた。
地面に、うつぶせに倒れていて動かない。
すぐに駆け寄って抱き起す。
「お、おい! しっかりしろ!!」
うっすらと目を開けた少女の顔色は土気色。
さっきまであんなに元気そうだったとは思えない。
「うう、まいったな……。行き倒れを助けたあたしが、逆に倒れちまうなんて」
腕の中の少女の体は恐ろしく軽い。
昨日今日のことではなく、少女はずっと満足に食事がとれていない。
「まさか、食べてないのか?」
「さっきあんたが食った分で最後。あはは、騙し騙しスープにして食ってたけど、ついになくなっちゃった。あーあ、二日に一度の楽しみだったのに」
二日に一度だって!?
最後の食糧だって!?
そんな大事な物……なんで!? なんで俺に!?
俺はたった一日腹を空かせてただけなのにぶっ倒れちまって、もうダメだとか死んでしまうとか思ってたのに。
それなのにこいつは! こいつは!!
「また泣いてんのか? ほんと、泣き虫な兄ちゃんだなぁ」
両腕に抱き上げた少女の額の上に、水滴がぽつぽつと落ちる。
「絶対、お前に腹いっぱい食わせてやる」
村まで一時間だって?
楽勝だ。
死んでもたどり着いて、そして美味い物を食わせてやる。
「へへ……本当? 期待しちゃうからな……ああ……それなら……一度でいいから……」
そう言って少女は意識を失った。
「おい! おい! くそっ!! 絶対! 絶対絶対食わせてやるからな!! 腹いっぱい! 満足いくまで! 何度でも! この世の美味いもん、全部全部食わせてやる!! だから……だから死ぬなよ!!」
そこから村までの道のりは、おそらく三十分もかからなかった。だけど今まで歩いてきたどんな旅程よりも長く感じた。
村はたいした規模ではなく、牧畜を生業とした家が十数戸あるだけだ。
俺は物珍しそうな視線を向けてくる村人をよそに、そのうちの一軒のドアを乱暴に叩いた。
顔を出したおばさんに怒鳴るように言う。
「何か食べ物を食わせてください!!」
おばさんが返事をするのも待たずに少女を抱えたまま家へと上がり込む。
「ちょっと、あんた!」
おばさんの怒声が聞こえるがお構いなし。
粗末なベッドに少女を寝かせた。
「チマ……」
おばさんが少女を見てつぶやいた。
「こいつ、全然ろくに食ってないんです。何か消化のいい物、水でふやかしたパンとか、そういう物すぐに用意してください!」
「馬鹿お言いでないよ。うちだって苦しいんだ。乞食に分ける物なんてありゃしないよ」
問答する時間も惜しい。
俺はサッと金貨を取り出して見せつけた。
おばさんの目の色が変わる。
「で、でも……」
それでもおばさんは嫌そうに少女を見る。その様子からは、何か暗い事情があることが読み取れる。
カッとなって叫んだ。
「さっさと用意しねぇと村ごと燃やしちまうぞ!」
「ひっ、ひぃっ!」
二の指で挟んだ一枚の紙きれから炎が上がるのを見て、おばさんは台所へと逃げていった。
炎はすぐに消える。
小さな紙片にすら魔力を込めて、魔法を発動できるようにすることができる。
それが俺の職業。符術士だ。
詠唱や術式のイメージ構築をすっ飛ばして魔法を発動できる他、魔法の使えない一般人であっても、術符を使えば魔法を発動させることができる。
脅しとしての効果はてきめんだった。
用意されたのは注文通りの、パンをふやかしたお粥だけだったが、今はこれで十分だ。
ほんの少し少女の口へ運び、その喉がごくりと動いたを見て俺はほっと胸を撫で下ろした。
そして食べ物の匂いに釣られたのか少女が目を開ける。
「少しずつ食えよ」
思わず掻き込みそうになっていた少女の腕をつかんで、制止する。
少女はおとなしく言うことを聞いてちょっとずつ食べた。
それでも慣れない本物の食べ物らしい食べ物を口にするせいか、何度か小さくむせていた。
「いやー食った食った。こんなに食ったの久しぶりだよ」
パン粥一杯でこう言えるのだからこれまでの生活の凄まじさがうかがえるというもの。
少女の顔には生気が戻っていた。
「ははは。まだまだこんなもんじゃないぞ。この世にはお前の知らない美味い物が山ほどある」
少女の目がキラキラと輝きだす。
「へぇー。いいなー。どんな食べ物だろう。あああああっ! 食べたいなぁ」
「それはこれからのお楽しみだ。まずは休んで体力を付けろ。そしたらなんでも食わせてやる」
「えっ?」
心底驚いたような少女の顔。
「言っただろ。腹いっぱい食わせてやるって。パン粥一杯で済ませるつもりなんてない」
「わぁ」
少女は花が咲くような笑顔で感嘆の声をもらした。
「うれしい! うれしい! 夢みたい!」
そう言いながら少女はとろんとまぶたを落して、すーすーと寝息を立て始めた。
食べたら眠くなったのか。疲れがたまっていたのか。その両方かもしれない。
俺は少女が眠ったのを確認して居間へと向かった。
イスに座るおばさんはテーブルに頬杖をついて、不機嫌を隠さない目を向けてきた。
「今日は本当にすみませんでした。そしてありがとうございます」
深々と頭を下げる俺に、おばさんは冷たい声を投げかけてきた。
「それで、いつ出てってくれるんだい?」
「それは、その……あいつの回復を待ってから、たぶん三日以内には」
「冗談じゃないよ!!」
おばさんの大声は怒り半分恐怖半分といったところか。
「あの女の娘を家に入れただけでもえらいことなのに、何日も泊めたとなったらあたしゃどうなることか……」
「やっぱり、あの子のこと知ってるんですね?」
確かおばさんは少女を見てチマと呼んでいた。
おばさんは大きく舌打ち。
「ああ、知ってるよ。ろくでなしのクソ女の一人娘さね。あの子の母親のせいであたしらがどんな目に会ったのか、あんたは知らないんだろうね」
俺の沈黙を肯定と取ったのか、おばさんは続ける。
「あの子の母親はこの村の出身でね、名前はシエスタっていうんだ。ちょっとくらい顔が良かったからって調子に乗ったんだね。田舎の小さなこの村のことを散々悪く言って、飛び出して行ったのさ。そして十年以上もたったある日子供を一人こしらえて帰ってきたんだよ。それだけならまだいいさ。問題はその後でね、都の軍人が何人か来てこう言うのさ。あの女を出せって。名前は私らの知らない名だったけど、すぐにピンと来たね。ああ、シエスタのことだって。あの女偽名なんか使って一体何をやってたんだろうね。一応は故郷のよしみ、シエスタをかばって知らないって言ったんだ。でも軍人は信じてくれなくてね、見せしめで村の人を数人、連れて行ったのさ。連れていかれた人たちは帰ってこなかった」
おばさんはふんと鼻息を立てて言葉を切ったが、話がそれだけであるはずがない。
「それで、彼女が病気にかかった時に、追い出したのはなぜなんです?」
「ふん! 村の人間が連れて行かれたあの後、あたしら村の全員で話し合ったんだよ。やっぱりかくまうんじゃなかったってね! そんなことをしなければアランも、クエールも、あの人だって……連れて行かれたりしなかったんだ!!」
そういうことか。
連れて行かれた村人のうちの一人は、このおばさんの旦那だ。
「それでなくても村は本当にギリギリの生活なんだ。いくら故郷のよしみったって限度があらぁね。子供抱えた役立たずを食わせてやってただけで感謝してもらいたいくらいなのに、村の働き手を何人も国に取られて、その上病気の面倒まで見ろって? 冗談じゃないわよ」
そしておばさんは締めくくるようにこう言った。
「いいかい、この村はね。みんなあの親子を恨んでるんだ」
しかし俺としてはどうしても言い返さなきゃいけないことがあった。
部外者の俺にだってわかる。
今の話のおかしな点だ。
「それでもあの子にはなんの罪もないはずだ」
隣の部屋で眠る少女を起こしてしまわないよう、努めて平静な声で言った。
必死に押し殺した俺の怒りを言葉の端から読み取ったのかは分からない。しかしおばさんは言い返しては来なかった。
「明日、ここを出ます。今日一日だけどうかお願いします」
おばさんは何も言わずに目を閉じた。