ラルスウェインのお宅訪問
その日は魔王城からだいぶ離れた魔界のとある場所にあるラルスウェインの自宅へとやってきた。
山奥の原生林の中に突如現れる洋館。そんな場所だ。
思ったよりずっと立派な屋敷だな。
ラルスウェインは屋敷のドアを開けて屋内に呼びかけた。
「さ、入ってくれ。リルーーー! 私だ!」
俺が中へ足を踏み入れると、家の奥から女の子の声が聞こえて来た。
「お姉ちゃん? おかえりなさーーーーー……って、あなたは!?」
俺を指差して固まる少女。
「ひさしぶりだな、リル」
リルスウェインはシャーバンスにいたときのような魔術師然としたローブは着ていなかった。普通の町娘のような格好だ。
「リルって呼ばないでよ……」
ジト目で抗議されてしまう。
俺の後ろからエリが明るくおどけて顔を出した。
「やっほ!」
リルスウェインの表情が変わった。
「エリ……」
ぶわっと一気に涙があふれ出して、リルスウェインは床を蹴った。
「いてっ」
俺を突き飛ばすように押しのけて、エリに飛びつくリルスウェイン。
「エリーーーーー! 会いたかったよーーーーー!!」
「あははっ! 私もっ! ひっさしぶりーー! なんだかシャーバンスで別れたときとは真逆だね。リルがこんなに泣いちゃうなんて」
リルスウェインはぱっと体を離して恥ずかしそうに視線を逸らした。
「だって……私、ずっとここで一人で……寂しかった」
「リルはあの一件以来自宅で謹慎処分中だったんだ」
ラルスウェインが簡潔に説明してくれた。
リルスウェインはかつて魔物を操る鈴をジュザックという人間に渡したことがある。ジュザックはその鈴を使って村を魔物に襲わせた。リルスウェインは人間に対して強い恨みがあると語っていた。
エリに続いて他の面々も中へと入ってきた。
「とりあえず面識がないやつを紹介するよ。こいつがアセルクリラングのユユナ姫、それでこっちが魔王のリアだ」
「ま、魔王ーーーーーーーー!?」
リルスウェインの絶叫が響き渡った。
家の中へと招かれた俺たちはリルから人間を恨むようになった理由を聞くことになった。リルがどうしても話したいというのだ。どういう心境の変化なのかとも思ったが、彼女の決断ならそれを止める気はない。それに、リルが人間を恨むようになった事情には興味があった。
応接室のテーブルを囲んで俺たちはそれぞれソファーに座っていた。
「私は昔からずっと家で本を読んで窓の外を眺めて暮らすような毎日を送っていたんだ。お姉ちゃんはいつも仕事で忙しくて、私は魔族の中では力が弱かったから」
リルの背中には姉のような立派な翼はなかった。代わりに黒くて小さな、カラスのような翼が付いていた。
「私が読書が好きなのを知ってお姉ちゃんは、よく人間界の本を持ってきてくれた。それで私はいつしか人間の世界に興味を持つようになっていたんだ……」
ゆっくりと話すリルの声色は落ち着いていた。
「この家は魔界でも比較的人間の国シャーバンスに近い。私はお姉ちゃんに固く禁止されているにもかかわらず、シャーバンスへ遊びに行くことにした」
ラルスウェインは見てわかるほどのため息を吐いた。リルはそれを見て苦笑い。
「人間の町はなにもかもが新鮮だった。活気があって進んでいて……。でも、いいところばかりじゃなかった。当時のシャーバンスはまだ統一されたばかりで、戦災孤児や難民が大勢いた。私は財布を盗まれた。盗んだのはまだ小さい子供だった」
シャーバンスはかつていくつもの小国が覇を競って争っていた。
それが統一されたのは今から約五十年ほど前。
やっぱりリルも見た目通りの少女ではなく、長い年月を生きている魔族ということか。
「私は盗人の子供を追いかけて、その先で子供たちが身を寄せ合うように暮らす廃屋にたどり着いたんだ。廃屋からはソリアという年長の少女が出てきて、私は彼女に事情を説明した。ソリアは盗人の少年の頭を叩いて怒った。それから私に何度も何度も謝った。どうやらソリアが子供たちのリーダーということらしかった」
リルはそこでひとつ息を吐いて、コップを手にしてお茶を一口。
「私は子供たちの下へ足を運ぶようになっていた。廃屋の子供たちはみんなボロボロだったけど、それでも必死に生きて笑っていた。私は一人で自宅で過ごすよりずっと居心地の良さを感じていた。いつしか子供たちは私を姉のように慕うようになっていた。暮らしは貧しいけどみんながいたから楽しかった。けど……そんな日々は長くは続かなかった」
リルの顔が深刻な色を帯びる。
「ある日私がいつものように廃屋へ足を運ぶと、大勢の大人の男たちがいた。みな鎧を着こんだ兵士たちだった。聞けばこの場所は国の復興建設予定地に含まれているという。統一後荒れ果てた国内の復興は目覚ましい勢いで進んでいた。国は土地の確保のために廃屋の子供たちを追い出すつもりだった。抵抗した子供が一人兵士に斬られた。私は目の前が真っ白になって――気が付けば魔族の力を解放してしまっていた」
俺たちは全員固唾を飲んでリルの言葉に聞き入っていた。
「我に返った私が見たのは、血まみれで倒れる兵士たちと、怯えた子供たちの視線だった。その目は兵士たちの刃より深く私の心を切り裂いた。はっとなって背中に手を這わせれば、隠していたはずの翼が露になっていた。お姉ちゃんみたいな白じゃなくて、悪魔みたいに禍々しくて自分でも嫌いだった――黒い翼が。誰かが叫んだ『化け物!』って。私はもうみんなといっしょにいられないことを悟った。私は逃げるようにその場から立ち去った」
リルはきつく拳を握った。
「それから私はずっと人間たちへの復讐を胸に生きてきた。それが弱者をいたぶる大人たちへ向けたものなのか、私を化け物呼ばわりした子供たちへ向けたものなのか、自分でもわからなかったけど。そしてどれほどの年月が流れたのかもわからないある日、打ち捨てられた教会の片隅で、一人の女の子と出会ったんだ」
「まさか――」
エリは声を上げた。
リルはエリを見て自嘲するように笑う。
「そう。エリだよ。私はもう二度と人助けのようなことはするまいと心に誓っていた。でも、どうしても見捨てることはできなかった……。一人ぼっちのエリが、なんだか私と同じみたいに見えたんだ」
リルはぽつりと言った。
「エリ、この翼を見ても驚かないんだね」
今のリルは黒い翼を隠していない。
「あはは。魔界に来てからそりゃもう色んな人と出会ったからねー。見慣れちゃったよ。それにリルは私にとってずっと親友なんだ。もしあの頃に背中を見せてくれていたとしても、私は絶対リルを変な目で見たりはしなかったよ」
エリはあっけらかんと笑った。
リルの目から涙があふれた。
「ううううぅっ……うわああああああああん! ごめん! ごめんねぇ! 私、知ってた。あの鈴をバラ撒いたらどうなるか……。でも私……私……うううううぅぅっ! 間抜けな人間がその欲望で他の人間と自滅するなら勝手にしろって……そう思って……ごめんなさい! ごめんなさい! ああああああぁぁっ!」
長い長い年月を復讐一色で過ごすうちに荒んでいったリルの心は、反動のように深い後悔にさいなまれているのかもしれない。彼女の涙を見てなんとなくそんなことを考えた。
口を開いたのは意外な人物だった。
「すまなかった。すべては……余の責任じゃ」
リアはソファーから降りて、床にひざを突いた。
リアもかつて人間を恨んで戦争を仕掛けたことがある。リルの話に思うところがあったのだろう。
「余たち魔王がもっと早く魔瘴気を浄化しておれば……そちの背中は、あるいは普通の人間と変わらなかったのかもしれぬ。そちが居場所を奪われることも……」
「魔王様……」
リルのつぶやき。
俺はうなだれるリアの肩に手を置いた。
「リル。お前の恨みの深さがどれほどのものかは俺にはわからない。だけどこいつがずっと人間と魔族の関係に心を砕いてきたことは事実なんだ。人間界不可侵のルールも、本来はお前のような不幸を増やさないため。そしてその元凶たる魔瘴気は解決した。何十年、何百年……いや、もっとかかるかもしれないが、この世界から魔瘴気によって生まれる魔族はいなくなる。種族間の軋轢は確実に減っていくはずだ」
リルはゆっくりと首を振った。
「ううん。全部私のせい。本当は私、気付いていたんだ。こんなことは間違っているって。人間の醜い部分を見すぎたせいで、私はたしかにずっと復讐に囚われてしまっていた。でもエリと出会って、忘れていた人間のいい部分を思い出さずにはいられなかった。復讐復讐と心の中で必死に唱えていても、いつまでも目を逸らし続けることはできなかった」
「リル……これからだ。すべてはこれからなんだよ。変わっていく時代、二つの種族の間で、お前はきっと役に立つことができるはずだ。これからどうするかはお前が決めるんだ」
リルの目にはかつて見た暗い光はもう確認できなかった。だからどうしてもこいつを罰する気にはなれなかった。
リルは力強くうなずいた。
「うん!」
涙を拭うリルの顔には吹っ切れたような笑顔があった。




