決戦
リトタキの体内。その内部へとやってきた俺たちは、改めてその馬鹿馬鹿しいほどのスケールに圧倒されていた。
「余の城より広いかもしれんな……」
ここは胃の中だろうか? ピンク色のぶよぶよした床と、血管の浮き出た壁が広がるただっ広い空間。少なくとも魔王城の謁見の間よりも広い。
「さて、じゃあ回復できないくらいキツイのを一発お見舞いしてやるか。タイミングを合わせていっしょにいくぞ」
「う……む。……むう?」
リアの様子がおかしい。
「どうした?」
「おかしい……余の力が……」
「まさか――」
俺は注意深く神経を研ぎ澄ませた。
リアの体に常に流れ込み続けていた魔瘴気の波動が感じられない。
俺の体からも魔瘴気の気配が消えていた。
「こいつに吸われたってことか」
魔瘴気どころか魔力もなくなっていた。見境なしにすべてのエネルギーを食らっているらしい。なんつー悪食野郎だ。
「しもうた……余が突入しようなどと言ったばかりに」
「後悔しても始まらないが……むっ、まずいぞ」
「なんじゃ? ……これはっ!?」
リアも気付いたようだ。足元から胃液が染み出し始めている。
飛んで避けるにしても魔法が使えないのでは不可能だ。なら術符は――。
俺の足元めがけて冷気がほとばしった。使えた!
が、氷冷符の冷気は粘液に触れるやいなや吸収されて消えた。
まるで魔法を魔力に分解して吸い取られたような現象だ。他の術符も使うことは可能だが、おそらく効果は同じように吸収されて終わるだろう。時翔符で脱出することも考えたが、あれは特殊で常時微量魔力を供給し続けなければ起動待機状態を維持できない。
ならシウェリーで……。
しかし今度は能力自体発動しない。
「クリス、私の力もすべて奪われてしまったようだ」
シウェリーの申し訳なさそうな声。
「くっ……熱っ」
粘液がついに俺の足を焦がし始めた。
「リア、俺の背中に乗れ」
「しかし……」
「迷ってる場合か! このままじゃ二人とも溶かされちまう」
リアは観念したように俺の背中におぶさった。
しかしそれだけだ。ぬるぬるの床はまともに歩くことすらままならない。そして足元の粘液はどんどんその量を増していく。
ジュウジュウと焼ける音がして、足首まで粘液に浸かってしまう。
「ぐっ……ううっ……」
激痛による絶叫を噛み殺すので精いっぱいだ。
「のう、クリスよ……大丈夫か?」
心配そうなリアの声。
「平気だ。お前が今まで感じていた魔瘴気浄化の苦痛はこんなもんじゃないんだろ? ぐあああああっ!!」
強がりはそこまでだった。
痛い。めちゃくちゃな激痛。
「お主……」
心配そうなリアの声。
俺は血がにじむほど歯を食いしばって耐える。
一歩一歩足を動かし、なんとか出口――食道のほうへと歩みを進めようとした。
が、ぬるぬるの足元は滑りやすく、上に向かって傾斜になっているためほとんど前に進まない。転ばないように気を付けるだけで精いっぱいだ。
あまりの痛みに頭がくらくらして、視界がチカチカとまたたく。
ちゃんと歩けているのか、どれだけ進んだのかすらわからない。
「くっ……うぅっ……平気だ。大丈夫……まだ……脱出して……」
「余はお主に言っておきたいことが……」
「大丈夫だ。絶対に……生きてここを……お前だけでも――」
「クリス!」
叱咤するようなリアの声にはっとする。
「なんだいきなり。耳元で叫ぶな」
「余が呼び掛けても無視するからじゃ」
「え?」
驚いて首を回せば、俺を覗き込むリアの顔は苦笑い。
「なんじゃ気付いておらんかったのか。……そのままでいいから聞いてもらえんかの」
どうやら痛みのあまり注意力が低下してしまっていたようだ。
足を焼く粘液の痛みにさいなまれながら、俺はリアの言葉に耳を傾けた。
「最後になるかもしれぬから言っておく。……ありがとう」
「リア……」
俺の胸に回された手に力が込められた。
「余は魔王の候補として城に連れてこられてからずっと、自分の運命を呪って生きてきた。深い闇の底にいた余を救い上げて光を当ててくれたのがアレクじゃったが……アレクの死で余は再び深く冷たい場所へと落とされたのじゃ。いや、それは以前よりも酷い。一度光を知ってしまった余はもうそれなしでは生きていけなかった。だから意識を手放し長きに渡る眠りに着いたのかもしれぬ。か細い希望を待ちながらの。そしてお主が現れたことで、余は再び救われた。だから、ここで命尽き果てようと……余は満足じゃ。すべてお主のおかげじゃ」
「まだ救っちゃいないさ。すべてはこれからだ。お前に課せられた運命に終止符を打ち、目もくらむような光を見せてやる」
足がついに限界を迎えた。
つんのめるように前に倒れた俺は、その場にひざと手を突いて――そこも焼かれる。
「があああああああああっ!!」
我慢とか精神論でどうにかなるレベルじゃない。痛みによる生理反射で勝手に絶叫が搾り取られ、涙が出てしまう。
くそ! こんなもんなのか?
救世主だのなんだの言われて浮かれて、転生者だからと自分を特別だと思い込んで、いい気になっていただけなのか?
激痛と無力感に襲われて押しつぶされそうになる俺の心の中に、過去の記憶がよぎる。
『腹いっぱい! 満足いくまで! 何度でも! この世の美味いもん、全部全部食わせてやる!! だから……』
だから……なんだっけ。あれは誰の言葉だったか……。
体が力を失い、ついに全身が床へと投げ出される。
体中が熱い。溶け死ぬってこんな感じなのか……。
背中でリアがなにか叫んでるみたいだけど、もうほとんど聞き取れ……な……。
「クリス!!」
瞬間、アンナの顔が浮かんだ。
俺の名を呼んだのはアンナ……いや、リアか。
そうだ。俺はこんなところでくたばるわけにはいかないんだ。
アンナとの約束をまだ俺は果たせてない! リアをこんなところで死なせるわけにはいかない!
俺の体にわずかに力が戻る。魔力が……戻っている?
違う。これは魔瘴気だ。そうだ!!
時翔符発動。
粘液で溶かされたダメージが瞬時にキャンセルされ、体の状態が巻き戻る。
空中に飛翔して粘液の脅威から逃れる。
こいつが魔瘴気を奪うことができるなら、俺だってできるはずだ。むしろ俺ならこの化け物より――。
「俺がお前の魔瘴気を、全部食らいつくしてやる!」
ゴッ!!
一度はリトタキに奪われた魔瘴気が再び俺へと流れ込む。
イメージしろ! 魔瘴気を奪うんだ!
魔瘴気を使って、さらに魔瘴気を奪う術式を猛スピードで構築していく。今までに倍する魔瘴気が一気に俺へと流れ込んだ。
『ブオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
リトタキの絶叫。
体に穴を開けられたときより、魔瘴気を奪われるほうが堪えるみたいだな。
だがもう遅い。魔瘴気奪取術式を完成させた俺は、最後の一滴までこいつの力の根源を奪い尽くした。
「クリス……いったい何が……」
「見ていろリア。この化け物はもう終わりだ」
俺の体の中に渦巻く魔瘴気は、もはや魔王の限界を遥かに超えた量になっていた。だけど俺は痛くもかゆくもない。なぜなら俺は、そのためにこの世界に生を受けたのだから。
手をかざして一閃。極太の大出力レーザーを解き放つ。ほとんど詠唱らしい詠唱も必要ない。あまりにも手軽な大魔法行使。
開いた穴から外へと脱出。
俺は二度三度とレーザーを撃った。
魔瘴気のことごとくを失ったリトタキは、今度は傷を治すことはできなかった。
浜辺に打ち上げられたナマコが乾いていくように、その体を縮めていき……最後には黒い塊になって完全に動かなくなった。
振り返れば遠くの上空にアンナたちの乗る黒い絨毯が見えた。一息に転移。
「クリス!!」
アンナは笑顔だが涙目だった。
「なんで泣いてるんだ?」
「だって、あたし、クリスが食べられちゃったって……うわああああああん! よかったよぉぉぉーーーーっ!!」
足場の不安定なルフェニシアの絨毯の上だということも構わず俺に抱き着いてくるアンナ。危なっかしいったらありゃしない。
「わはーーーーっ! やったねクリス! また凄いのをやっつけちゃった!」
「凄いですクリス……あなたは本当に」
エリもリズミナも大喜び。
「クリスお兄様」
ユユナは夢見るような目で俺を見つめていた。
「やれやれ。相変わらず桁外れな人間だな」
ラルスウェインは片目を閉じて苦笑い。
ルフェニシアはただ目を細めて微笑むだけ。
「それにしてもクリスよ。いったいなにがどうなったのじゃ。余の魔力はまだ戻ってはおらんぞ」
背中のリアが不思議そうに訊いてきた。
「あの瞬間俺はたしかにもうダメだと思った。だけど一瞬だけ、魔瘴気が逆流してきたんだ。俺の生への執着、負けられない意地みたいなものに、呼応したみたいにな。それで気付いたんだよ。あいつにできて俺にできないわけはないってな。で、奪われた魔瘴気を――逆に全部奪ってやった」
「はぁ……お主は、本当に……」
リアは俺の肩に顔を乗せてしみじみと言った。
巨大樹の城はメチャクチャに破壊されてしまったが、リトタキ暴走の件はこれでひとまず片がついたのだった。




