魔瘴気
その日から俺たちは魔王城に滞在し、魔瘴気を解決する手段を探し始めた。
「リア、もう一度手を出してくれないか?」
「こうか……?」
魔王城謁見の間。玉座に座る魔王リアは、俺の求めに応じて手を差し出した。
俺はその手を取って、もう片方の手で包み込んだ。
「次は魔瘴気の制御を緩めてくれ」
「うむ……」
リアは若干緊張した面持ち。すぐに俺の体へと大量の魔瘴気が流れ込みだした。
「なるほど。たしかに感じるな」
最初はわからなかった魔瘴気の巡りを、何度か同じようなことを繰り返すうちに俺にも感じ取ることができるようになっていた。
そして体を流れる魔瘴気のこの感じは……どこかで……。
「まさかこれって……魔力か?」
リアは驚いた顔をした。
「よくわかったの。そうじゃ。魔力とは魔瘴気を浄化する過程で生じるもの。世界に漂う魔力は歴代の魔王がろ過し続けて生み出したものなのじゃ」
それなら……。
俺は人差し指を立てて脳内詠唱をしてみた。
吹きあがった火柱が天井付近まで達し、リアの前髪を数本焦がした。
「うわあっ!?」
「わわっ!? お、お主っ! いきなりなにをするのじゃ!!」
リアは涙目で訴えるが、俺だって死ぬほど驚いた。
指先に灯す程度の小さな炎を発生させるつもりだったのだ。
魔力が乾電池だとしたら、魔瘴気はガソリン並みのパワーがあった。生き物を狂わすだけの膨大なエネルギーなのもうなずける。
「いや待てよ。この力なら……」
俺は目を閉じてイメージを集中させる。脳内詠唱を慎重に考える。
「できた!!」
「なんじゃこれは……」
呆然としたリアのつぶやき。
俺が作り出したのは輝く刀身も美しい一振りの長剣。
「物質化魔法。まさか成功するとはな。思っていたよりもとてつもない力を秘めているぞ、その魔瘴気ってやつは」
シウェリーの能力で氷が出せたのがヒントになった。俺はシウェリーを使って異空間に氷の家まで作っていた。
「こんなものが出せるなど……クリス、お主……」
俺が作り出した長剣を受け取って、その刀身に指を這わせながらリアは、呆れたような恐れるような顔をした。
「リアはできないのか?」
「当たり前じゃ。余は魔瘴気を暴走せぬようにするだけで精いっぱい。もし魔術に転用などしようとしても、魔瘴気によって生じる痛みで集中が途切れ、とても詠唱はできん。魔瘴気はそれをどうこうしようとする者に、倍する痛みを返してくるのじゃ」
普通の生き物には体内に留めておくことすら難しい魔瘴気。どうやらこれは俺にしか使えない魔術らしかった。
じゃあ魔瘴気を術符に込めたら? いやもっと他の……。
なにかとてつもないことをひらめきそうになった。
そのときだった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ!
「地震だ! でかいぞ!」
「わわわっ!?」
リアは玉座から投げ出されて俺に抱き着くような恰好で床に転がった。とてつもない揺れだ。
広間に据え付けの燭台が倒れて、天井からはパラパラと植物片が落ちて来た。
とても立っていられない!
アンナたちが心配だ。
……と、思った瞬間俺は、リアを抱えたままアンナたちが待機する客室へと転移していた。
今までこんな離れた距離を転移することはできなかった。
能力が強化されている? すぐに気付いた。これも魔瘴気の力だ。シウェリーの転移能力を使う際、魔瘴気が強く働いたのだ。
アンナたちは床に倒れて震えていた。床にはイスやテーブル、たった今食べていたのだろう菓子の類と、コップの中身がひっくり返っていた。
あまりの揺れにベッドは暴れるように位置を変えていた。
「みんな! こっちだ!」
「きゃあああああああっ!」
「ダメです! 動けません!!」
リズミナも揺れによって壁際で動けずにいた。
俺は今度は短距離の転移を連発して一人一人を回収していく。
「みんな、手を離すな!」
全員繋がったところで再び長距離の転移。城の外へと脱出した。
「ひゃっ!? ここどこ!?」
「なんで私たち浮いてるの!?」
エリは何もない足元を見て叫んだ。
いきなり周囲になにもない空中に転移したものだから、みんな半分パニック状態だ。
「落ち着け! 重力制御……飛行魔法だ。安心しろ」
とは言うものの、まさかアンナたち全員を空中で安定させるなど、今までは考えられなかった。これも魔瘴気を魔力代わりに使った効果だ。それにしても……と自分でも驚く。詠唱補助精霊も出さずにこれほどの高度魔法を実現できるとは。本当に魔瘴気の力ってやつは……。
眼下に広がる深い森。そして正面には山のようにそびえる巨大すぎる樹木が見えていた。世界樹――という単語が頭に浮かんだ。
「あの巨大樹がさっきまで俺たちがいた城……なのか?」
巨大樹は目で見てわかるほど揺れていた。たぶん、さっきまでより大きく揺れている。中に残っていたら全員危なかった。
リアがなにかに反応したように眉を動かした。そして眼下へと視線を移す。
地下より汲み上げられる魔瘴気の波動は、目に見えない電波のようにリアへと繋がっている。俺にはなんとなくしか感じられないが、その波動のゆらぎ方が妙に歪んでいるような気がした。城のほうへ寄っている?
「まさか」
リアがつぶやいた次の瞬間。
バリバリバリバリバリ!!
巨大樹は根元から轟音を上げてまっぷたつに折れた。それだけではない。衝撃でちぎれた枝の一本一本――民家ほどの大きさがあるそれらが地表へと落下し、まるで地響きのような凄まじい音を連続させた。
「お城が……」
ユユナが呆然とつぶやいた。
ラルスウェインは城の崩壊に目を見開きながらも、それとなく全員に注意を払っているようだった。俺の魔術の制御を離れて誰かが落下すれば、拾い上げて助けるつもりだということはすぐにわかった。
そして崩壊した巨大樹を押しのけるように顔を出したのは、見たこともない怪物だった。




