転生の秘密
ついに観念したのか、魔王は人間との恋のいきさつについて語りだした。
「魔族との戦争が始まると人間は、それまで人間同士で争っていたのがウソのように団結しおった。人類を一致団結させ、一つにまとめ上げたのは稀代の大英雄、人類王アレクサンダーじゃった。余は突然まとまった人類に驚いての。いったいどんなやつかと思って、単独で人間領奥深くへと侵入してそやつの顔を見てやろうと思ったわけじゃ」
「たった一人で敵陣深くへ?」
魔王は俺を見て不敵に笑った。
「余は魔王じゃぞ。人間などどれほど群れようが物の数ではない。ほんの余興のつもりで敵の大将を確認しがてら、驚かしてやろうと思ったわけじゃ。猛獣が格下の獲物をいたぶるようにの。ところが……アレクのやつは驚くどころか余を迷子と勘違いしおった。やれ家はどこか親はどうしたとしつこく聞きおっての。余が答えないでいると、今度は菓子を寄越したり歌を歌ったりと、あれこれ構い続けた」
呆れたような口調なのに、語るその顔にはあたたかな優しさがあった。なつかしい思い出を愛しむような表情だった。
「本当におかしな人間じゃった。ふにゃふにゃとした雰囲気でいつも笑顔でいるような、そんな覇気の感じられないやつじゃった。とても人類をまとめ上げた英雄には見えんかった。余はついに痺れを切らしての。魔王だということを打ち明けた」
「アレクさんの反応は?」
興味津々といった様子のアンナ。
魔王はふうとため息を吐いた。
「アレクは余の言うことを、頭から信じて疑わなかった。魔界のこととか魔族のこととか、色々教えてほしいと言われた。余はアレクに問うた。『そちたち人間に戦争を仕掛けたのは余じゃ。余はそちの敵ではないのか? 憎くないのか?』と。アレクはこう言い放ちおった。『争いになったのはお互いがお互いをよく知らないからだ。まずは君のことを教えてほしい』と。やつの目にはわずかな憎しみの色もなかった。信じられるか? 余のせいで戦争になり、すでに大勢の犠牲者が出ていたにもかかわらずじゃ! 余は返す言葉もなくなって、逃げるようにその場から立ち去った」
「それで、そのあとどうなったの?」
「余はやつのことが気になって頭から離れず、常にイライラしておった。そしてやつの下へ頻繁に足を運ぶようになった。アレクはどんな些細な話でも興味深そうに聞いてくれた。小さな愚痴から大きな悩みまで……気が付けば余は心に鬱積したすべてを打ち明けてしまっていた。魔瘴気と魔王の因果――歴代の魔王の間でのみ語り継がれてきた事柄まですべて。アレクは真剣な顔でうなずき、その呪いの歴史に終止符を打つ手段を探すと約束してくれた。余がはっきりと恋を自覚したのは、その瞬間じゃ」
呪い。たしかに、魔瘴気を浄化しようとする魔王たちの歴史は、とこしえに続く苦しみのせいでまさに魔王という重責ある者に課せられた呪いと変わらないのかもしれない。
「方法は……方法は見つかったの?」
「余は戦争を中止し、軍をすべて引き上げさせた。アレクはたぐいまれなる魔術師でもあった。余とアレクは魔族の知識と人間の知恵をもって探究を続けた。じゃが……調べれば調べるほど、目の前に広がるのは途方もない絶望ばかりじゃった」
「絶望……」
アンナの顔にも深刻な色が浮かぶ。
「魔瘴気の影響はこの世界あまねくすべての生物に及ぶ。そのせいで魔瘴気をどうにかしようとすると、必ずその影響を濃く受けてしまう。それに魔瘴気は枯れぬ泉のように遥かな地下よりこんこんと湧き出し続けて絶えるこがないものじゃった。余とアレクは、魔瘴気の影響を受けない者でなければすべてを解決することは不可能だという結論に達した。が、それでもなんとか余たちは、一縷の望みを託してひとつの方策を見つけるに至ったのじゃ」
「それは……」
俺たちは全員、固唾を飲んで魔王の言葉を待った。
「この世界の生物、この世界の魂を持つ者に解決する力がないのなら、世界の外から魂を呼び寄せるしかない。そして長い月日をかけた研鑽の末、余とアレクはついに作り上げたのじゃ! 魔瘴気の影響を一切受けない――この世界の理の外から魂を呼び寄せる超魔法――救世主降誕を!」
まさか――。
「お主には心当たりがあるはずじゃ。あの洞窟で余を抱き上げても魔瘴気の影響を受けなかったお主にはの」
俺は魔王の言葉に、心中穏やかではいられなかった。
世界の外だって!?
つまりそれは、俺がこの世界に転生した……その理由なのか?
「ふふ、やはりか。時が来れば現れると分かっておった。この超魔法は時と場所の指定まではできなんだ。だからこそ余は生命維持とろ過装置としての機能を除いて深い眠りに着き、延命を図った。再び人魔大戦が起きぬよう調整官を任命して働いてももらった。すべてはいずれ現れる、お主に話し――託すために」
「俺が……そんな……まさか……」
ついにこの日が来たのか、という気持ちもあった。
あえて言う必要もないと思って誰にも話したことはなかったが、言うなら今しかないだろう。
「クリス……?」
アンナが俺の顔を覗き込むようにして見てくる。
「魔王の言う通り、俺は実はこの世界とは別の世界で生きた記憶を持って転生してきたんだ。……信じてもらえるかはわからないけどな」
「えーーーーーっ!」
驚くアンナ。しかし次の瞬間には笑顔に変わった。
「信じるよ。えへへ……クリスって、あたしが思ってたよりずっとずーーーーっと、凄かったんだね。別の世界かぁ……どんなところなんだろ」
「教えてやるよ。……そのうちな」
楽しい想像でも始めたのか、目を輝かせだすアンナ。
俺は魔王に向き直った。
「待て。俺は平気だとしてアンナたちは……こんなに近づいてしまって大丈夫なのか?」
その言葉に他のみんなが身じろぎした。急に飛び退るような真似こそしなかったが、それでも腫れ物に触るような目を魔王に向けた。
「ご、ごめんなさい……」
思わず背中を反らせてしまったことを失礼な反応だったと思い至ったのだろう。アンナは申し訳なさそうに謝る。
魔王は困ったように笑った。
「よい。魔王とは孤独なもの。そのような反応には慣れておる。事実余に触れるのは大きな危険を伴う。今まで誰も余に直接触ろうとはしなかった。あのリトタキという坊主も相当な力を持った魔族だったようじゃが、余の魔瘴気には耐えられなかったのだしの。しかし今は大丈夫じゃ。目を覚ました今となれば、むやみに撒き散らさないだけの制御は効く」
みんなまだ不安はぬぐえない様子だったが、それでも露骨に避けようとする者はいなかった。
俺は話を戻した。
「俺がこの世界に転生した理由か……。いきなりそんなことを言われても、どうしたらいいのか……ちょっとわからないけどな。魔王の運命を変えるだけの力が……本当に俺にあるのだろうか?」
その瞬間だった。
なんと表現すればいいのだろう? 魔王のその顔はとても意外なものだった。
大きく目を見開いて、それから口を半開きにし、見てはいけないものでも目にしたかのような、戸惑いと恐れがないまぜになったような、そんな表情だ。
「え……」
思わずぽかんとしてしまう。
魔王はそんな俺をよそにサッと立ち上がると、すたすたと部屋の入口へと歩いて行ってしまう。
ドアの前で立ち止まって、思い出したように顔だけで振り向いた。
「そういえば……」
暗い声色。
「そちのことを、アレクと勘違いしたこと、すまんかったの。あやつとそちは似ていると思うたが……いや、今さら言うても詮無きこと」
「なん……」
魔王の声のあまりの寂しい調子に動揺してしまって、なにを答えていいのかわからなかった。
「人間界の異変のことなら気にせずともよい。たしかに余の魔瘴気処理能力は限界を迎えておった。処理しきれなんだ魔瘴気が人間界に影響を及ぼしつつあった。しかし余が目を覚ましたこと、魔瘴気の余剰分をリトタキに持っていかれたことで、しばらくは余の限界を超えることはなかろ。そちたちが寿命を迎える、その程度の年月ならおよそ大丈夫じゃ。人間界へと戻り、幸せな余生を送るがよい」
「待て。その後はどうするんだ? いずれは限界が来て……また同じようなことが起こるんじゃないのか?」
「余がなんとかする。それが歴代の魔王に課せられた使命なのじゃ。……ではの」
魔王は部屋を出て行ってしまった。




