魔王をめぐって
「リトタキっ!! いつの間にっ――!」
リトタキは余裕の笑みを浮かべてあごをなでた。
「まさか人間がカギになっていたとはな。俺様はこの城の支配者になってからずっと、魔王の捜索を続けてきた。どれほどの時間をかけても成果が上がらなかったが、当然あきらめたわけではない。常にありとあらゆる手段を講じてきた。これもそのひとつだよ」
リトタキがパチンと指を鳴らした。
「きゃっ!!」
アンナの悲鳴。
振り返ればスラハのメイド服の襟元。そこに装飾されている宝石が、ぎょろりと目を剥いた。目玉に変わったのだ。
目玉はみるみる体積を増していき、服から外れて一匹のコウモリになった。
一つ目のコウモリはアンナの頭上を飛び越えてリトタキの差し出した指の上に止まった。
「まさか、私の服にそんな仕掛けが……」
今まで一度だって変わらなかったスラハの表情が初めて驚きに歪んだ。
「この城に誰よりも長く仕え、誰よりも城をよく知るお前のことだ。もしやと思い使い魔を装飾に変化させて見張らせていたのだ。よもやこれほど重大な秘密を、今までずっと隠していたとはな。なぜ俺様が訊いたときには正直に答えなかった?」
「魔王様のご命令に背くことはできません」
「俺様は次期魔王。魔王の命も同じではないか? ん?」
もはやその邪悪を隠すことなく、ニタニタと歪んだ笑みを浮かべている。
「……」
スラハは黙って目を閉じることで会話の拒絶を示した。
リトタキは表情を一変させて怒鳴った。
「なんだその態度は!! よくも今まで俺様を騙してくれたな! 弱小魔族の分際で!! その代償は死を以って払ってもらうぞ!」
「きゃあっ――!」
アンナたちの悲鳴。
リトタキの怒気は物理的な質量を持っているかのように膨れ上がって爆発した。
その衝撃に煽られて俺も思わず一歩下がりそうになってしまった。が、俺が下がるわけにはいかない。みんなをかばうように両手を広げた。
「おっと、いかんいかん。羽虫どもに構うよりまずはこっちが先だな。ククク……長年探し求めた魔王がついに……」
一度は怒りに染まったリトタキは再び余裕を取り戻し、魔王が横たわる水泡の台座へと手を伸ばした。
「待て! なにをするつもりだ!」
「まあ黙って見ていろ。ぐっ……これはっ!? あ、熱いっ!?」
水の中に入れたリトタキの腕。その水との境目からジュウジュウと白い蒸気が上がった。水の成分によるものなのか、それとも魔王の力なのか……。よもや洞窟内部の高温のせいで熱湯になっていた、というわけではないだろう。水には沸騰を示す気泡などは現れていないのだから。苦しむリトタキはそれでも魔王に手を伸ばすのを止めなかった。
ついに魔王の首をがっしりと掴んだリトタキは、その体を台座から引っ張り上げて水の外へと持ち上げた。
少女はぐったりとして意識はなく、抵抗らしい抵抗を見せない。
リトタキは魔王を片手で吊るし上げて歓喜の雄たけびを上げた。
「がはははははははは! やった! やったぞ!! ついにやった!!! さあ魔王、その力を俺様に寄越せぇぇぇぇええええええ!!」
リトタキの腕がミチミチと膨れ上がり、その筋肉に血管が浮かぶ。少女の首を掴むその腕に尋常ではない力が込められているのがわかった。
殺す気か!
俺はリトタキを攻撃するべく懐の術符をつかみ取り――え?
「あ……」
同時に気付いたらしい、アンナの小さな声。
魔王の目が……開いていた。
ぼんやりとしていてどこを見ているかわからないが、とにかく目を開けている。
魔王の首を締め上げるリトタキだけがまだ気づいていない。
「あーっはっはっはっはっはーーーー!! うおおおおおおおお! 感じる! 凄まじい力の奔流が! 流れて……俺様の中に流れて……ぐっ!? ぬっ!? なんだ……これは……」
リトタキの様子がおかしい。
狂ったような馬鹿笑いから一変。その顔は驚愕に彩られた。
「ぐっ……おっ……!? 俺様は……こんなものを……まずい……これは……がああああああああああああああ!!」
絶叫。
ドサリと少女の体を地面に落とすリトタキ――あれほど渇望していた魔王の体を。
バリバリバリバリ!
激しく裂ける音がして、リトタキの鎧がはじけ飛んだ。
その下の体。筋肉がモコモコと、常識ではありえない異常な隆起を繰り返していた。まるで体の中にモグラでもいて、縦横無尽に暴れまわっているよう。
波打つ体をかき抱いてよたよたとふらつき歩いて、壁際にうずくまるリトタキ。
俺はその隙を突いて、地面に力なく横たわる少女へと飛びつく。
その体を抱き起そうと手を伸ばしたところで、少女がうつろな目を虚空に向けて口を開いた。
「触るな……余に触れば、あの者と同じ運命を辿ることになる……」
か細い言葉からは、生命の息吹はほとんど感じられない。死を前にした重病人のような弱々しさだ。
その言葉に一瞬手を止める。
「クリス!!」
アンナの悲鳴。
振り向いてアンナの視線を追えば、つい今しがたうずくまって苦しんでいたリトタキの体が、ざっと二倍の大きさに膨らんでいた。その体は灰色になっていて、髪が異様に伸びていた。
どうなってるんだ!?
とにかくリトタキがヤバいことになっているのは間違いない。しかし目の前の魔王だってこのままにしておくわけにはいかない。
俺は意を決して魔王の体を抱き起した。
「ふん、思わせぶりなことを言うからどうなるかと思ったが、全然平気みたいだな」
触っても特に異常は感じられない。リトタキが悶えていたような苦しみは俺には襲ってこなかった。
「あ……あ……」
抱きかかえられた魔王の目がはっきりと俺を捉えた。その目から涙がこぼれる。
なんだ?
少女の顔に現れたのは歓喜の表情だった。
まるで幸せのただなかにあるような、満ち足りた笑顔。
「アレク……会いたかった」
俺を誰かと勘違いしているのか?
だが今は訂正している暇はなかった。
リトタキの背中は今や洞窟天井に達し、パラパラと細かい岩石が落下を始めていた。
地下深くにあるこの洞窟が崩れでもしたらひとたまりもない。一刻の猶予もなかった。
「みんな! 魔王は確保した! ひとまず城へ引き返すぞ!!」
「「「「「「はい!」」」」」」
アンナ、エリ、リズミナ、ユユナ、ラルスウェイン、スラハ。全員の返事が重なった。




