格の違い
俺は一人部屋から出て、城の廊下を歩いていた。
さっきのアメは一応アンナ用に持ってきた物だったが、案の定というか……ひったくるように奪われた。そして女性陣全員でパクついて、楽し気に話をはじめた。せっかくだからちょうどいいと部屋を抜け出して、トイレに向かっていた。
「ええと……しまった。トイレの場所をスラハに訊いておくんだった」
まあその辺の魔族を捕まえて聞けばいいか。
そう思ってきょろきょろしながら歩いていると、ちょうど十字廊下の右から一人の女の子が現れた。この子に訊くことにした。
「あ、ちょっと君」
「はい。あ、もしかして人間の方ですか? 今日ここに来たっていう……」
ちゃんと話は通っているみたいだ。
女の子は俺を見て微笑んだ。背は低いのだが露出が多めの薄い服を着ている。あどけない顔に似合わない大きな胸が特徴的だった。
「ああ、人間のクリストファーだ。悪いんだけどトイレの場所を教えてくれないか?」
「そ、れ、な、らぁー、私がご案内しましょうか?」
すっと体を寄せてきて、なまめかしい口調で言う少女。くりくりとした愛嬌のある瞳の中心に、猫のような一本の線が浮かぶ。
その目を見た瞬間、大きく心臓が脈打つのを感じた。
なんだ……この感じ。
この子、めちゃくちゃ可愛いぞ。
一瞬そう思ってしまったが、すぐに背中に嫌な汗がつたう。ある可能性に思い至ったからだ。
予感に従うように俺は懐から一枚の術符を取り出す。
アセルクリラングでユユナと出会った際に、万が一の可能性を考えて研究しておいた術符だ。
魔法が発動すると、一瞬視界が波打つように揺れて――すぐに収まった。
「サキュバス族か」
「ねぇ。もしよかったら、あっちの部屋でゆっくりお話ししましょう? 大丈夫、誰も来ないから……」
危なかった。
今のがサキュバス族の魅了の力か。すぐに気付けたからよかったものの、もし知らなかったら取り込まれていたかもしれない。
サキュバス族の力が視線を媒介に作用するものと知っていたから、魔法で自分の目に精神防御の結界を張ったのだ。ちょうどコンタクトレンズをつけるような感じだ。
「あー、トイレを聞いてるんだけど」
「えっ、この人……私の力が効かない!?」
「まあな。それで、いきなり俺を罠にハメようとした理由、教えてくれるか?」
少女は一歩後ずさって、くやしそうに顔を歪めた。
その少女の後ろから二人の、似たように美しい少女が二人やってきた。
「お、そいつが例の人間一味のリーダーだな。仕事はもう終わったか? へへ、ついでだから私たちも楽しませてもらおうかな? いやあ、本物の人間の男を味わえるなんてツイてるー」
ニヤニヤと笑う少女。言動からしてこっちもサキュバスか。
「それが……この人、私の力が効かないんです」
「なんだって!? そんな馬鹿な! ミミ姉、どうしよう!?」
あわてふためく二人のサキュバス少女。それも無理はない。サキュバス族は魔族の中では直接的な力が弱い。その能力だけが彼女たちを支えている心のよりどころなのだ。その能力が効かないとなれば、それは自身のアイデンティティを脅かす事態ということになる。
ミミ姉と呼ばれたのはまだ口を開いていなかった最後の一人。
見た目はやはり小さな女の子だが、その顔に浮かぶ表情は鋭い。
「結界ね。つまらない真似をしてくれるものね。でもそんなもの……」
サキュバスミミの目が大きく見開かれ、その目に縦線が浮き上がる。しかもその数は二本。まるで二又の槍のような模様だ。
いきなり視界にヒビが入った。
「ぐっ……」
まずい!
ビシビシとひび割れが入る視界は、目に施した精神防御の結界が破られる前兆だ。
このミミと呼ばれた少女は、他の二人より強力な能力を持っているようだ。瞳に現れた紋様が違うことからそれが察せられた。
思わず目を押さえてうつむいた俺の背中に回り込んで、最初のサキュバス少女が俺の胸に手を這わせた。
「我慢しないで。ほら、おめめ開けましょ?」
「ふん。どうやら私らの能力のこと、知ってるみたいだな。だけど目を閉じた相手をどうこうする手段なんて、いくらでも用意してるんだよ。……さあて、どう料理してやろうか」
ガラの悪いサキュバスの面白がるような声。
たしかに目を閉じたままで三人を相手にするのは分が悪すぎる。なにかしかけられる前にこちらから攻撃するしかない。衝撃符で三人同時に吹き飛ばすか……。
女の子相手に術符は使いたくないんだけど、仕方ない。
覚悟を決めて懐に入れようとした手を掴まれてしまう。さっき目に結界を張るとき術符で魔法を使っていたのが見抜かれていたのだ。
「だーめ。ほら、抵抗しないで。あっちのお部屋、行きましょ?」
体に貼り付けてある時翔符なら使用可能だ。まずは体の位置を巻き戻してそれから攻撃を……。
そのときだった。
「そ……そんな……」
サキュバスミミの驚きの声。
「あ……あ……」「うそ……だろ……」
他の二人も呆然とした声を上げた。
目をつぶっているので確認できないが、なにやらこの三人のサキュバスにとって想定外の事態が起こったらしい。
「クリスお兄様を……どうするつもりですか」
小さいがしっかりと通るその声は、まさに一国の姫の威厳を有していた。
ユユナの声には今まで聞いたことのないような怒気が含まれていた。
俺は意を決して目を開けて後ろを振り返った。
ユユナの目には、サキュバス族の証である紋様が浮かび上がっていた。
この三人のサキュバス少女の誰よりもはっきりと、くっきりと。
ピンク色に淡く輝く三叉の紋様。その瞳に気圧されるように、サキュバスたちは一歩下がった。
「その目は伝説の……」
がくがくと震えるサキュバスミミの顔には、恐怖の色が浮かぶ。
その言葉で気付いた。
最初のサキュバス少女の目の模様は一本。サキュバスミミの模様は二本。そしてユユナが三本だ。どうやらこれがサキュバスの格を現しているらしい。
「クリスお兄様を放してください!」
一喝。
「「「ごめんなさいーーーーーーーーーー!!」」」
サキュバス少女三人は涙目になって逃げていった。




