山越え
アンナはあっさりと魔界行きを承諾した。というかついて行くと言ってきかなかった。
俺はアンナがついてくるというのなら断ることはできない。
そもそも今回は王都に残しても絶対に安全とは言い切れないのだ。なら常にそばにいて守るほうがいいだろう。
エリとリズミナとユユナも当然ついてくると主張した。旅行に行くんじゃないんだから……と悩んだのだが、結局は折れることになった。
ミリエとイリアはイリシュアールの軍務官として、王都の守備を任命した。魔界へ軍隊を連れて行くわけにはいかないから、将軍として軍を統率できるミリエとイリアは王都を守ってもらうのが最も適した任務だろう。
フリタウスもイリアと共に王都に残ることを選んだ。人間と共に暮らし、生涯人間を友とすることを貫いてきたフリタウスだ。当然と言えば当然だった。彼女がいるのなら王都に万が一はあるまい。
ルイニユーキにはまた苦労をかけることになるが、臨時職である筆頭政務補佐官の任を再び承諾してくれた。
俺たちは大急ぎで準備を整え、魔界への旅に出発した。
俺たちが住むこの大陸の、中心を分けるようにそびえるのがアリキア山脈だ。アリキア山脈から東が人間の住む世界。西が魔族の暮らす領域だ。通称で魔界とも呼ばれている。山脈西側で人間が暮らしている領域は、北方わずかにシャーバンス国があるだけだ。
アリキア山脈を何度か越えたことのある俺は、山上から何度か魔界方面を見たことがある。魔界は鬱蒼とした密林地帯が遥か地平の先まで続いていた。
「山越えもさすがに三回目ともなると慣れたもんだな。山の中の景色はキリアヒーストルからのルートとあまり変わらないな」
俺たちは今イリシュアールからアリキア山脈へ入り、魔界へ向けて山越えの真っ最中だった。
周囲は好き放題に枝を伸ばして曲がりくねった巨木が立ち並んでいて、人間の手が入っていない原生林を形成していた。
「えへへ。あのときのこと、思い出すねー」
アンナは元気いっぱいにスキップしていた。足場の悪い山道だというのに器用なやつだ。
「ああ、そうだな。あのときの――」
「わはーーーーっ! リスだ! リスさんいたーーーー!! わわっ!?」
急に駆けだしたエリが石に足を取られて転びそうになった。
「あっ――」
思わず支えようと手を出したのだが……先にリズミナがエリを助けていた。
そういやシャーバンスへ行った帰り、今と同じように転びそうになったエリを支えようとして……あの大きすぎるおっぱいに、手が……。
「なにを思い出していたんですか?」
ジト目のリズミナ。
「なにも思い出してないよ!?」
いやしっかりとあのときの感触は思い出していたけれど。
俺は目をそらして、なんとなく後ろを振り向いた。後ろではユユナが肩を落としてぜえぜえと荒い息を吐いていた。
「大丈夫か、ユユナ?」
「はふぅ……はひぃ……クリスお兄様……」
どう見たって限界の様子だ。こんな状態になるまで音を上げないなんて。ユユナは体力があまりないのに、無理をしてしまう傾向がある。
「つらかったらおんぶしてやるからな。遠慮するなよ」
「おっ……おんぶですか!? はぅぅ……」
想像でもしたのか、両手で口を隠して、顔を赤くするユユナ。
潤んだ目で俺を見つめてくる。
「はい、じゃああの――」
消え入りそうな声で口を開いたユユナを遮ったのは、ラルスウェインだった。
「私が背中を貸そう」
言うなりひょいとユユナを持ち上げて、おんぶしてしまう。
ラルスウェインはその細腕からは想像もできないような怪力の持ち主だった。
「あぅぅ……ありがとうございます……」
ユユナはそう言うが、言葉とは裏腹にめちゃくちゃ残念そうな顔をしていた。
「あはっ、かわいー」
「かわいいねーーー!」
いつの間に手懐けたのか、指先にリスを乗せてアンナとエリがはしゃいでいた。
リズミナも興味津々といった様子で顔を近づけている。
「きゃっ」
リスがジャンプした。飛んだ先はリズミナの肩。
と、思ったらするりと服の襟元に潜り込み、リズミナの服がモコモコとうごめいた。
「ひゃん! いやっ……どこに……いやぁっ! ああん」
自分の体をかき抱くようにして悶えるリズミナ。
やがて再び胸の間から顔を出したリスは、周囲を警戒するようにくりくりと首を回して一声鳴いた。
「あはは。そこが気に入っちゃったの? なんだかエッチなリスさんー」
エリが言うと、なぜかみんな示し合わせたように俺を見た。なんでだ?
なんだか知らんがこのリスをこのままにしておいたらどんなとばっちりが来るかわからん。
俺はおびき出すように手を出した。
「ほれ、よしよし。こっちこい」
リスは俺の手の上にジャンプ――したかと思ったら指を噛んで近くの木に飛び移ってしまった。
「いてえ!?」
リスはあっという間に木を登って見えなくなった。
「あーあ、行っちゃった……」
頭の後ろで手を組んで残念がるエリ。
リスを追って視線を上向けて気付いたが、そろそろ日が落ちようとしていた。
「今日はもう遅い。そろそろ休むか」
「はーい。じゃあどこかテントが張れそうな空き地を……って、みんな荷物持ってないの?」
アンナは不思議そうな顔をした。
山越えの旅に必要な荷物となるとかなりの重装備になる。それを誰も背負っていないことに気付いたのだ。こんな険しい山に登っているというのに、まるで散歩にでもでかけるかのように全員手ぶらだった。
俺はにやりと笑って言った。
「ふっふっふ。安心しろ。実は今回の旅には便利な奥の手を用意してある」
「奥の手?」
きょとんと聞き返すアンナ。
俺は腰に差した短剣を取り出して言った。
「シウェリー、頼むぞ」
言うが早いか視界がぐにゃりと歪む。
「わっ! わわわ」「ひゃっ――」「なにが……」
驚く女性陣の声。
次の瞬間俺たちは月面のような異空間へと転移していた。
どこまでも続く白い荒野に転移した俺たちの目の前には、氷でできた四角い屋敷がどんと建っていた。普通の住宅の二、三倍は大きい。
「透明なお家……?」
ぽかんと口を開けるアンナ。
「夜みたいな空なのに明るいなんて不思議な場所です」
ユユナも物珍しそうに周囲を見回していた。
「すごーーーい! これ、どうなってるの?」
さっそく氷の家の、正面にぽっかりと口を開けた入り口に飛び込むエリ。
全員その後に続いた。
家の中には王宮で積み込んできた大量の物資が積まれていた。
麻の袋に入った食糧類に、樽に入った水。二階のベッドは氷製だが、綿の詰まったマットに毛布は本物だ。
「氷なのに冷たくないんですね……」
リズミナがつるつる透明の壁に手を這わせて言った。
「全部シウェリーの能力だ。こいつは氷を自在に操ることができる。冷たくない氷や常温で溶けない氷なんかも作ることができるんだ」
「シウェリーちゃん、すごいんだねー……」
アンナを始め全員が俺を見た。
その腰に差した短剣から気をよくしたような声が聞こえて来た。
「ふふん。驚いたか。この程度の仕事、私にかかれば造作もない。人間よ、もっと私を恐れ敬うがいいぞ」
「というわけでだ。この異空間に作った拠点で寝泊まりすれば、寝食の心配はいらないということだ」
「やったーーーーーー!!」「わーーーーーい!」
俺の説明に、アンナとエリは両手を上げて大はしゃぎだ。
この日は簡単なパンと干し肉、それにジャガイモのスープで夕食を済ませ、山歩きの疲れもあってベッドに入るなりあっという間に眠りにつくのだった。




