魔族?人間?対決狼男
「ぐっ」
思わず耳を押さえてしまう。それほどの大音量。
普通の人間なら足がすくんで動けなくなってもおかしくない、猛き獣の咆哮。
通りに面する建物の窓に明かりが灯り出す。顔を覗かせる人もいた。
「そいつらが急に剣を突き付けて威嚇しやがるからよぉぉっ! 礼儀ってもんがなってねぇんだよ! ええ、オイ! 善良な市民にいきなり剣を向けるのが国の兵のすることかよ! 調子に乗ってんじゃねえぞ! 兵隊だからって市民をイジメていい理由にはなんねえんだ! 偉そうにしやがってよお!!」
指を突き付けて怒鳴り散らす狼男。
「なにを……言ってるんだ?」
この魔族、本当に自分を人間だと思い込んでいるのか? それとも言葉を弄して襲い掛かる機をうかがっているのか?
しかし事実として兵の一人はこいつに襲われている。言葉が通じるのなら一度捕縛してから話を聞けばいいだろう。
俺は腰の、短剣シウェリーを抜いた。
「おっ、てめぇもやるってのかよ! いいぜ! 後ろのヘナチョコみてぇにブッ飛ばしてやる!!」
狼男が突然、猛烈な勢いで飛び掛かってきた。
まるで巨岩のような筋肉の塊。まともに受けるわけにはいかない。
袖内のホルダーから障壁符をつまみ取って発動。
狼男の突進は不可視の壁に阻まれて止まる。
しかしその衝撃は障壁符の壁を大きくたわませた。
なんつー威力だ。
家ほどの大きさの岩がぶつかっても耐えた実績のある障壁符なのに、まさか生身の一撃でここまでの威力を叩きつけてくるなんて。
もし障壁符ではなく短剣で受けようとしていたら、全身潰されてミンチにされていただろう。
「野郎! なにしやがった! 俺の一撃が止められるとは!?」
俺はその言葉には答えず逆に問いただした。
「ここ最近王都で頻発している事件。お前が犯人だということはわかっている。善良な市民だと? 人の体を無残に引き裂くような真似をしておいてどの口が言う?」
「ふん、そいつらはみんな俺の邪魔をしやがったんだ。そこの兵士みてぇにな。降りかかる火の粉は払うのが当たり前だ。正当防衛だよ」
あきれるほど自分勝手な理屈だ。
とにかく一撃は防いだ。今度はこっちが反撃する番だ。
岩みたいに強靭な体だが、魔装シウェリーの刃を止められるかどうか……試させてもらおう。
構えなおした短剣を突き出そうとしたその瞬間、狼男の姿が消えた。
「国主様!!」
兵士の叫び声。
次の瞬間、体に衝撃。
超スピードで回り込んだ狼男が俺の脇腹に蹴りを叩き込んだのだと理解したのは、へし折られた体が真横に吹っ飛ばされて、時翔符が自動発動してからだった。
体に貼られている時翔符は俺の数分前までの生体情報を常時記録し続け、発動すれば過去数分以内の体と位置を、まるで時間をさかのぼるように呼び出すことが可能だ。
ダメージはすべてなかったことになり、巻き戻った位置は狼男の頭上。俺は上空から火炎符の炎を叩き込んだ。
「熱っ……グガアアアアアアアっ!!」
直撃した!
そう確信した瞬間、狼男は一瞬で飛び退って炎に巻かれるのを免れた。
めちゃくちゃな反応速度と身体能力。
単純な肉体の戦闘力なら、魔族形態のシウェリーより上かもしれない。
「グオオオオオオッ! そこだああああ!!」
狼男が俺を振り仰いで地を蹴った。
まずい!
落下中の俺は回避行動を取ることができない。発射された砲弾のように迫る狼男の攻撃を避けるのは不可能だ。
障壁符――。
「甘ぇよ。そいつは二度目だぜ」
「なっ――!?」
狼男が、障壁符の壁の――見えないはずのその端を掴んでいた。
しまった!!
狼男は壁の端を掴んで乗り越え、俺の頭上から爪を振り下ろした。
俺は短剣を突き上げて――。
「シウェリー……力を貸せ!!」
狼男の爪は空を切った。
「なにぃぃぃいい!?」
狼男は黄色く濁った目を驚愕に見開く。
俺の体は狼男の爪からわずか数センチ離れて、空間転移していた。
「私の力をこうもたやすく使いこなすとは……クリス、お前はいったい……」
短剣から聞こえてくる声も驚きに震えていた。
なんとか上手くいった。
シウェリーの空間転移能力。その力は異空間にすら転移することを可能とするものだが、俺がとっさに使えたのは一撃をかわすのがせいぜいといったところ。
それでも……引き出すのには成功した。
さすがに何度も時翔符のお世話になるのは数に限りがあるから避けたい。この転移能力を使えば時翔符に頼らない戦い方もできるようになるだろう。
そして今度は俺も狼男も、支えを失ってただまっすぐに落下する。こうなってはどれほど身体能力に優れようが、自由落下するだけの肉の塊にすぎない。
俺は、白く輝く月を背に落下のただ中にある狼男へ向けて、風刃符の刃を叩きつけた。
「グガアアアアアアアアアアア!!!」
避けることもできずに腕を斬られて切断される狼男。
狼男はうつぶせに地面に叩きつけられ、腕を失った傷口の断面をもう片方の手で押さえていた。
地面に伏したまま、ぶるぶると体を震わせている。
「グ……ガ……。畜生っ!! いでぇ……いでぇぇええええよぉぉおおお!! グアアアアアッ!!」
片ひざをついて着地した俺は狼男の異変に気付いた。
体を痙攣させていた狼男だが、様子がおかしい。
縮んでいる?
狼男の体は縮み、灰色の毛は溶けるように消え……人間の男の姿になった。
こいつは本当に人間だったのだ。
男の顔色は死体のように土気色だ。いや、事実男は大量の出血によって急速に死に向かいつつあった。
「くそ……体の震えが止まらねえ……。血が止まらねえ……くそったれ……」
俺は男に近づいてシウェリーの刀身をかざした。
ピシ……ピシ……パキ……。
ひび割れるような音と共に男の傷口が氷で覆われた。魔装シウェリーのもう一つの能力。氷を自在に操るとかいうやつだ。今はこうして氷冷符の節約程度の使い方しかできないが、それで十分だ。
これで止血が間に合えばいいが。
この男には聞きたいことが山ほどあるんだ。死なれては困る。
男はぐったりして動かなくなったが、意識を失っただけで死んではいないようだった。
「やった……あの化け物を倒したぞ」「信じられない」「国主様!」
兵士たちの声は歓喜に震えていた。
建物の窓からこちらをうかがっていた住民たちも声を張り上げた。
「うおおおおおお! すげえ!」「今の聞いたか? あのお方は国主様だ!」「クリストファー様ばんざい!!」
夜中だというのに、こいつらは……。
俺は思わず額を指で押さえるのだった。




