フリタウス、ついに・・・
来たときと同じく俺たちはその日もミカラ村に泊ることになった。
村に一軒しかない宿は、俺たち全員が泊っただけで満室になった。ほとんど貸し切りみたいな状態だが普段滅多に旅人も来ないらしく、宿の主人は大喜びだった。
一度は眠りについたものの、俺は喉が渇いて目を覚ました。
横で眠るアンナはすーすーと穏やかな寝息を立てている。
俺はアンナを起こさないように体を起こして、テーブル上の水差しを手に取った。
陶器の水差しの中は空っぽだった。
たしか宿のすぐ前に井戸があったはずだ。
仕方ない。
俺は水差しを持って部屋を出た。
音を立てないように廊下を歩き、階段を下りて外へ出る。
静謐な月の光が辺りを蒼白く染め上げていた。
さて井戸はっと……え?
宿の壁にもたれかかるようにして、一人の美しい少女がいた。
長い黒髪の少女。暗赤色の服を着ている。
少女は壁に寄りかかったまま空を見上げて動かない。横顔でもわかる美しさは、まるで絵画のように様になっていた。
「君は……」
「――っ!」
俺の声に驚いたのか少女は一度びくりと身をすくませて、素早く俺のほうを向いた。
最初の印象の通りの美しい少女。
黄金に輝く瞳。
「なんだ、クリスか」
「えっ……」
なんで俺の名前を知っているのか?
一瞬疑問に思ったものの、すぐにその声に聞き覚えがあることに気付いた。
「まさか……フリタウスか?」
「いかにも」
「は……はは……」
マジかよ……。
女性だとは聞いていたが、こんな美少女だったとは。
「聞いてないぞ、人型になれるなんて。というか、いいのか? ルール違反とやらでラルスウェインみたいなやつにしょっぴかれちまうんじゃないのか?」
「じっとしていただけだ。おそらく問題はなかろう。どうしてもこの姿に戻って村を見ておきたかったのだ」
「剣の姿だと見えないってことか?」
「視ることはできるが、見えはしない。普段ならば剣のままの姿でもよかったんだが」
人型だとよりちゃんと見えるとか、そういう解釈でいいのかな?
「で、村のなにを見たかったんだ?」
フリタウスはしばらく沈黙した。
やがて俺から視線を外して村の中へと目を向けて言った。
「まあ、なんとなく……だな」
「よくわからないぞ」
フリタウスは今度は顔を下に向けた。
「今日の宴会で振る舞われたケーキ、あっただろ。私は昔、あれと同じものを見たことがある」
「えっ!? お前の昔ってことはつまり……」
こいつは魔王と人間が争っていた時代から生きている魔族だ。
「そうだ。三千年前だ。まさか三千年間もずっとこの村がここにあり続けていたとは私も思わないが、もしかしたら風習や習慣のひとつとして、ケーキがこの地方に残り続けていたのかもしれないな」
「そんなまさか……」
奇跡みたいな話だった。
が、たしかにあのケーキは特徴的な見た目をしていた。
「少し昔話をしてもいいか?」
「ああ」
フリタウスはちらりと俺を見て笑った。
「ふっ、付き合ってくれるか。やはりお前は見どころがある。年寄りの昔話は退屈なものと相場が決まっているからな」
「年寄り扱いされるのはいやなんじゃなかったのか?」
今のフリタウスは美しい十代の女の子だ。そうとしか見えない。
自分がどう見えるかわかっていて、わざと言っているに決まっている。
案の定フリタウスはにやりと笑った。
そして俺の問いには答えず話し始めた。
「今日行った洞窟に私が引きこもっていた件についてはもう知っているな。乙女の日記を盗み見したのだからな。まあ、そのことについてはいい。あの石板にあった通り、私は胸を弾ませて、何十年ぶりかの外の世界に飛び出したわけだ」
たしか最後の石板には冒険者の人間と話が弾んで、それで外に出る決意を固めたとか、そんなことが書かれていた。
「だが私は愚かだった。ずっと引きこもっていたせいで、魔王が残した人間界不可侵のルールについて知らなかったのだから。私はうっかりした際にすぐになんでも燃やしてしまうくらいに、制御しきれないほどの能力を持っていた。私の力はすぐに調整官に感知された」
フリタウスは秀麗な眉根を寄せた。その顔に浮かぶのは後悔だった。
「おとなしく従えばよかったんだ。そうすれば争いも起こらず、魔界へと連行されるだけで済んだのだ。それを私は……」
フリタウスは唇を噛んで拳を握った。
「大慌てで飛んできた調整官は高圧的で挑戦的だった。私もせっかく外界に出た喜びに水を差されて苛立ってしまってな。まず真っ先に飛び出したのが、仲良くなった冒険者の人間だ。調整官に飛び掛かった人間は、まるで虫けらのように殺されてしまった」
「な……」
数十年の月日をかけて癒した心の傷が、抉られるような出来事だったに違いない。
「周囲の村人たちは狂乱したよ。魔族の脅威がなくなって長い月日が流れたとはいえ、戦争の記憶はまだ完全に消えたわけじゃなかったからな。そのとき私は判断を誤った。いいや……冷静な判断ができるような状態じゃなかった。私は我を忘れて怒り狂い、調整官と戦闘に突入した」
「それで……どうなったんだ?」
「全力を出した私は調整官の魔族に勝ち――殺した。人間たちは自らの無事を喜んだが……同時に私に怯えていた。当たり前だな。本気を出した私は周囲を火の海にし、地面は割れて溶岩が流れるほどだったのだから。私は激しく後悔した。殺された人間のことも、調整官の魔族のことも。二人とも私が賢明だったなら命を失わずに済んだはずだったのだから。私は自らの意思で動くことのできない大剣に姿を変えた。灼熱の地面に突き立つ私を人々は遠巻きに崇めて、村の救い神のように祀った。そして私が調整官と戦った日には祭りが行われるようになり、溶岩の見た目のケーキが作られた。ケーキには剣を模した赤い木の枝が添えられたというわけだ」
「いつまでその村でご神体を務めていたんだ?」
「なに、長いことはかからなかったよ。人間の感覚では……ということだが。十年ほどたったある日、私は泥棒に盗まれてしまってな。村ではもしかしたら大騒ぎになっていたかもしれないが、それは私の与り知らぬ話だ。とにかく、それ以降私はずっと剣の姿のまま人手を転々として、人に使われるだけの存在となったというわけだ」
「盗まれたって……人型に戻ればよかったのに」
「正直、気が進まなかった。また人間に災いをもたらしてしまうかもしれないし、神のように祀られるのにもちょうど飽きていたから、村を離れるのは都合がよかった」
「なるほどな」
「今日はあのケーキを見てつい感傷的になってしまってな。この姿に戻って村を見渡してみたくなった。つらいこともあったが、悪いことばかりでもない。やっぱり洞窟の奥に一人でいるよりは、私は人間たちといるほうがいい。そんなことをつらつらと考えていた」
待てよ……。
俺は心の中にふと浮かんだ考えに突き動かされるように腰の辺りに手をやって、短剣シウェリーがそこにないのを確認した。短剣は部屋に置いてきていた。
「ちょっと聞いていいか?」
「なんだ?」
「もしかしてお前もその……冒険者とキス、したりしたのか? いやもちろん、そういう意味じゃなくて……所有者としての契約とかそういう意味でだよ?」
フリタウスは怪訝そうな顔をした。
「お前はなにを言っているんだ?」
「え? だってほら、所有者の契約でキスを……えっ?」
「シウェリーのやつが?」
俺はうなずいた。
フリタウスは急にその場にしゃがみこんだ。
「ど、どうした?」
「くっ……くくっ……はははっ! なるほどな! あははははは!」
お腹を押さえて、体を丸めて笑っている。
「おい……」
「あははははは! はははははは! あー……ダメだ。苦しい」
めちゃくちゃ笑い転げるフリタウス。
目元に涙まで浮かべてやがる。
「ふー……。いやぁ、死ぬかと思った。あのな、クリス」
「なんだよ」
「所有者の契約とか、そういう儀式めいたものは何一つない。たしかに認める認めない程度の自由は魔装にもあるが、それだけだよ」
「なっ、なんだって!?」
背中に汗が吹き出す感覚があった。
「完全にシウェリーの自由意志だな、そいつは。うーん、この色男が。このっ、このっ」
いつの間にかすすっと近寄っていたフリタウスに、ひじで突かれる。
はっ、恥ずかしい!!
「だいいちキスが必要だったら私はイリアの嬢ちゃんとすることになってしまうだろう? 女同士とかそういう趣味は私にはない。たぶんシウェリーのやつも建前では私についてくるためと言いつつも、本心ではお前のことが気に入ったのだろうな。ふふ、あいつらしい」
「うわーーーーー!!」
頬の辺りが熱くなった気がする。
フリタウスはさらににやにや笑う。
「もしかしてー、クリス坊やは私に気があるのか? 他の男とキスをしたことがあるかとか、そういうことを気にしていたわけだ? ん?」
「違えよ」
「本当にー?」
「お前……もういいから早く剣に戻れ。ラルスウェイン呼ぶぞ」
フリタウスは俺の肩を抱いて顔を近づける。
「キス……しよっか?」
耳元でささやかれた。
「ラルスウェインーーーーーーーー!! こいつを魔界に連れて帰ってくれーーーーーー!!」
「くっくく。クリス可愛すぎだろ……」
俺が部屋に戻るまで、フリタウスのテンションは高かった。




