最深部へ
「おーい、フリタウス」
「……」
この期に及んでだんまりを決め込むフリタウス。
そっちがその気なら俺にも考えがある。
坊やと呼ばれた仕返しとばかりに言ってやった。
「おーい、寝てんのかー? フリちゃーん?」
「……おい」
さすがにフリちゃん、は聞き捨てならなかったようだ。
「お、やっぱり起きてるじゃないか。この石板、お前が書いたんだろ?」
「ふー……。今の私の気持ちがわかるか?」
「やっぱり昔の日記とかって、恥ずかしいものなのか?」
小さかった頃一生懸命考えてはメモしていた必殺技で埋まったノートが大人になってから見つかったとか、将来の夢は素敵なお嫁さんになることです! って書いた日記を不良になってから見つけてのたうち回るとか、過去の記録が将来において自分に恥ずかしい記憶を呼び起こすというのは、往々にしてある。
「まあ……そうだな。書き残したまま忘れていた自分を力いっぱい殴ってやりたい気分だ。洞窟を探検するのは構わないが、できればこれらは見つけてほしくなかった」
やっぱりか。
「なら紙にでも書いておけばよかっただろ。三千年も経てば風化してなくなっていただろうに。なんでまたこんな石板なんかに」
「私は魔族形態だと、うっかりした際によく物を燃やしてしまってな。だから書き物は石板に刻むという習慣があった。私が使う家具もだいたいが石造りだ。幸い能力的に石を掘るのは手間ではなかったからな。不便を感じたことはない」
「ということはこのダンジョンを掘ったのもお前なのか?」
「ああ、その通りだ。ここに最初からあったのは洞窟の入り口部分だけで、他の階層は私が一から掘り進めた。引きこもっていた私には膨大な時間があったからな。ちょうどいい暇つぶしだったよ」
なるほど。
どんな能力かはわからないが、フリタウスが能力で掘ったから粗雑なくせに妙になめらかな壁面だったのか。
それにしても……この恐ろしい規模のダンジョンを一人で作り上げるとは。とんでもないやつだな。
「今にして思えばなぜこんな物を残したのか……自分でもわからん。当時の自分は殺された仲間たちのことを忘れたくないという気持ちと、裏切った他の人間たちのことを忘れたいという気持ちが相反して心の中に存在していた。感情は激しく揺れ動いて不安定な毎日だった。そんな繊細な心情のなにかが働きかけて、石板に書き残そうと思い至ったのだろう」
淡々と語るフリタウスの口調からは、当時の感情の揺れなど一切感じさせない。
「繊細て……」
「昔は私も繊細な女の子だったんだ」
「女の子て……」
このフリタウスの冗談は一種の照れ隠しなのかもしれないな。
一番心が不安定だった時期の思い出が詰まった場所だから、恥ずかしかったということか。だから今回の調査に非協力的だったんだな。
「表の人除けの結界はお前が?」
「そうだ」
「じゃあダンジョンに入ってからアンナたちが苦しそうにしていたのは? 表の結界は俺が解除したのだから、別の力が働いているとしか思えないんだが」
「それは……」
フリタウスは少し口ごもる。
「どうした? まだ言いたくないことでも残っているのか?」
「いや、そうではなく……私も確信が持てないのだが……」
「クリス! こっちに来てください」
城の広間ほどもある部屋の内部を検分していたリズミナが大声で俺を呼んだ。
イリアと俺は部屋の奥へと走って行った。
「どうした?」
「これを見てください」
リズミナに言われるまでもなくすぐに気付いた。
階段だ。
まだ先があるということらしい。
「なんだと!?」
驚きの声を上げたのはフリタウスだった。
「……私は知らない。この下の階は私以外の誰かが作ったものだ」
俺は部屋の最奥にひっそりと口を開けた階段の入り口に目を向けた。
黒を塗り固めたような闇の奥から何者かが見ているような気がして、背筋に冷たい感覚が走った。
「なんだかいやな気配がする。みんな気を付けろよ」
イリアとリズミナは真剣な面持ちでうなずいた。
地下十階はこれまでのダンジョンとは違ってまっすぐな一本道だった。
そういや入ってすぐの一階がそんな感じだったな。
三人で並んで歩けないほどではないが、上とは違って通路も狭い。
ほどなくしてちょっとした部屋に到着した。
部屋にはちょうど棺桶くらいの大きさの石の箱が置いてあった。
「これだな」
部屋には先に進む出口はない。ここがダンジョンの終点。
そして目の前の石櫃。
この石櫃から漏れ出るようにして、強い力の波動が感じられた。
俺たち三人は平気だが、それでもいやな感覚は石櫃を前にして一段と強くなっていた。
アンナたちがダンジョンに入って具合を悪くしたのも、この波動に当てられたからだろう。
一定レベルに達しないような者は近寄る事さえ出来ない、そんな威圧感があった。
「まさか……魔王?」
イリアがつぶやいた。
そういえば洞窟のうわさの中には魔界の入り口だと言うのもあった気がする。
「まさか」
否定はしてみたものの、もしかしたらという気持ちは実は俺にもあった。
それほどにこの石櫃から漏れ出る気配は濃密なのだ。
「開けてもいいのでしょうか……。やめておいたほうがいいような気がします。危険かもしれません」
リズミナは不安そうな目を向けてくる。
「ここまで来て開けないというのはないだろう。一応フリタウスにも訊いておくか。開けるぞ?」
「ああ」
フリタウスは短く返事をした。
俺は石櫃のフタをずらして開けた。
ゴリゴリという石臼を回すような音が響き渡る。
石櫃の中に入っていたのは一人の女の子だった。




