イリアとまったり
その日、イリシュアール王宮内の庭園に大きな悲鳴が響き渡った。
「うわあああああああああっ!?」
その声の主は俺だ。
上空高く舞い上がったまではよかったが、バランスを崩してきりもみ回転しながら落下してしまった。
浮力を得るのに空力を使ったのがマズかった。姿勢を崩せばそれまで飛ぶのに使っていたエネルギーが、落下のスピードに変わってしまう。
まずい。
どうにかして立て直さないと。
落下地点にはなんと一人の少女が大きく目を見開いてこちらを見上げていた。
赤毛のポニーテールが可愛らしいその少女は、しかし整った顔立ちに凛とした雰囲気をたたえている。鎧こそ着けていないが、落ち着いた紺の衣服は姫将軍と呼ぶにふさわしい。イリアだ。
イリアは上空から迫る俺の姿を見て驚愕に目を見開く。
やばい! ぶつかる!
くそ! 一か八かだ!
もうこうなっては体勢を立て直すのは無理だ。向きを直したところで浮力を得るにはまた姿勢制御を犠牲にしなければいけない。そして再びバランスを崩したらそのときはもうアウトだ。
新しい浮力魔法。それしかない。
俺は全詠唱を新たな浮力魔法に注ぐ。高度な制御にイメージが追い付かない。
ダメか……!
姿勢制御魔法を手放したことで姿勢のバランスが完全に崩壊。まるでプロペラのように高速で体を回転させながら落下。あまりの回転に吐き気がこみ上げてくる。
そして衝突。
「いてて……大丈夫か?」
「ううぅ……」
まるで押し倒すような格好で絡み合ってしまったが、どうやら命に関わるような危険な怪我はなさそうだ。
痛みに顔をしかめていたイリアと目が合った。
その顔がさっと緊張にこわばった。
「――!!」
気付いた。俺の手のひらから伝わるこの感触は……。
「あっ! 悪い!!」
俺は思い切り掴んでしまっていたイリアの胸から慌てて手を離した。
しかしそのやわらかいおっぱいの感触はどうしたって鮮明に脳裏に焼き付いてしまって、しばらく離れそうになかった。
イリアって結構大きい……んだよな。
「い、いや……その! 私のほうこそすまない!」
イリアは恥ずかしそうに視線を反らせた。
き、気まずい!
「いやあ、その……ちょっと新しい魔法を試していてな。空を飛べたら便利だなって。文献にもないまったく新しい魔法だから色々と難航しちまって……どこも怪我してないか?」
「たぶん、大丈夫だ……」
イリアは困ったような顔で体をもじもじさせた。
うおっ。イリアが身じろぎすると、全身のあちこちでイリアのやわらかさを感じてしまう。
「クリス……」
「なんだ?」
「その……体……離してくれないだろうか?」
「うわっ! すまん!!」
慌てて起き上がる俺。
そうだ、うっかりしていた。こんなに体をくっつけたままでは、女の子なら恥ずかしいに決まっている。
「はーーーーー……」
イリアから体を離した俺は、妙な安堵感に包まれて芝生の上にへたり込んだ。
イリアと密着してしまったせいで、自分でも気づかないほどドキドキしっぱなしだったのだ。
イリアもゆっくりと体を起こした。
「え……」
そして俺に体を寄せるイリア。
俺のとなりに腰を下ろす格好だ。
「ど、どうしたんだ?」
「……」
俺と並んで座って、じっと黙っているイリア。
俺のほうからなにかしゃべったほうがいいのだろうか?
うーん、こんなときどんな話をすればいいんだろう。
そもそもイリアはなにを考えて俺のとなりに座ったのだろうか?
わ、わからん……。
なにするでもなく地面に座る俺たち。
イリアのポニーテールがふわりと揺れて、やわらかい香りが鼻をくすぐった。
「ク、クリスは!」
「うおっ!?」
イリアの突然の大声におもわず驚いてしまう。
「すまない……。おかしいな。私……少し緊張しているみたいだ。その、クリスはここへはよく来るのか?」
「いや、たまにだな」
様々な草花が咲き誇り、葉を丁寧に刈り込まれた樹木が規則正しく並ぶ、美しい庭園だ。
シートを広げてみんなでお弁当でも食べたら楽しいかもしれない。
だが俺はあまり来たことがなかった。
「そうか。私は、よく来る。ここなら一人になれるし、美しい花たちを見ていると心が洗われるような気がする」
へぇ。
イリシュアールきっての将軍で、大剣を振るう剣豪もやっぱり女の子なんだな。
「そうか、やっぱり笑うか。自分でもわかっているんだ。私に花など似合わないとな」
「ああ、顔に出てたか。違うよ。俺が笑ったのはそういう意味じゃない。イリアみたいな可愛い女の子にはピッタリだ。そう思って微笑ましかったんだよ」
「なっ――!!」
イリアは大きく目を見開いて、それから手で顔を覆ってしまった。
「どうした?」
俺が訊いてもイリアは顔を覆ったまま動かない。
少ししてようやく顔を上げたイリアは、目を潤ませていた。
「クリス……」
「ん?」
「だっ、ダメだ! やっぱりダメだーーー!!」
叫んでイリアは、俺に背中を押し付けるように体の向きを変えた。
なんなんだ……。
今日のイリア、なんか面白いな。
「クリスのほうは、なにをしてたんだ? 驚いたぞ、いきなり空から降ってくるなんて!」
「ああ、さっきも言ったけど、空を飛ぶ魔法を試してたんだ」
「空を飛ぶ? そんなこと可能なのか?」
「試した限り、ちょっと難しいだろうな。浮力を得る魔法と姿勢を制御する魔法、両方を同時にこなさないといけない。どおりで文献にも前例が見つからないわけだ」
ある意味神話の大魔法並の難しさだ。
「空を飛ぶ……か。やっぱりクリスはすごいな。私にはそんなこと、想像もつかない」
「いや、まあ……上手くいかなかったけどな」
「それでもだ。だってあんなに高く飛んだんだろう? 十分すごいと思う!」
「はは、ありがとう」
そんな風に力強く感心されては、受け取ってやらないわけにはいかない。
まあ土壇場で空力に変わる浮力――重力制御は成功したわけだし、不格好な状態でなら今度はちゃんと飛ぶことができるはずだ。
あとは姿勢制御をどうするか。それがこれからの課題だな。
「本当に、本当にすごい。クリスはいつだって、私にとっての……」
そこまで言って言葉に詰まるイリア。
「ん?」
「い、いや。なんでもない」
「なんだよ、気になるなー」
「うぅ……」
めちゃくちゃ困ってるな、イリアのやつ。
まあそこまで言いたくないならこれ以上は聞かないけど。
と、思ったそのときだった。
「私にとっての……太陽だから」
「――!!」
どくん、と強く心臓が脈打った。
その一言はあまりにも破壊力が高くて……。
ううう、どうしよう。
恥ずかしくてそわそわしてしまって、思わず身じろぎした拍子にイリアの手に俺の指が触れてしまった。
「ひゃあっ!」
「うわっ!」
同時に手を引っ込める二人。
そして沈黙。
俺はなんとなく空を見上げた。
いつまでも見続けていたくなるような、きれいに澄んだ青空だった。
穏やかな午後の庭園で、俺たちはこうしてしばらくいっしょに座っていた。




