ルイニユーキは苦労人
アセルクリラングから丸十日をかけてイリシュアールへと戻ってきた。
行きと同じく帰りも順風満帆。事件もなにもないのんびりとした旅だった。
ユユナは生まれてからほとんど城の外に出たことがないらしく、立ち寄った村々では目を輝かせて家畜や農作業を見学していた。牛が草を食む姿を見るだけであれほどテンションが上がるやつはユユナ以外にはいないだろう。村の人たちも柵にかじりついて見学する少女がまさか自分たちの国のお姫様だとは気づかず、あまりに楽しそうなユユナの様子に気をよくして果物をくれたりした。
みんな長旅の疲れもあって、イリシュアール王宮へと帰ってきたとたん各々倒れ込むように自室へと入った。ユユナもアンナたちに連れられて空いている部屋へと案内されていった。
俺は自室へ入るなりベッドへ飛び込んで、ふかふかのシーツの感触を味わっていた。
「うーん、たまんないよなー、この寝心地」
ぜいたくな暮らしにすっかり慣れてしまったからか、十日の旅ですっかり王宮のベッドが恋しくなってしまっていた。
しかし俺のまったりした時間は長くは続かなかった。
メイドが慌てた様子で駆け込んできたのだ。
十六歳くらいの赤毛のメイド少女は血相を変えて叫んだ。
「クリス様! お帰りになられたと聞いて……よろしいでしょうか?」
「ああ、なにか用か?」
メイドたちにはかしこまらなくていいと散々言ってある。メイドからクリスと呼ばれるとイリシュアールに帰ってきた実感が沸いた。
「大変なんです! クリス様がご不在の間にルイニユーキ様がお倒れに……」
「なんだって!?」
俺はベッドから飛び起きた。
「クリス様が外交にお出かけになられてからずっと激務が続いていて……。それでもルイニユーキ様はいつもクリス様のことを心配しておられました」
「そうか。すぐ行く。屋敷のほうか?」
ルイニユーキは王宮外の街中に住んでいる。
「いえ、どうしてもこなさなければいけない仕事があるとかで、王宮の一室でお休みになられています」
「わかった」
俺はルイニユーキの部屋へ急いだ。
その部屋は政務官たちの仕事場が多くある区画の一室で、質素で狭い部屋にベッドが一つ置かれているだけだった。
ベッド脇の小さなテーブルには書類が積まれている。
「ル、ルイニユーキ……」
「クリス殿……」
ルイニユーキはベッドに横になった姿勢のまま、げっそりとやつれていた。目の下は落ちくぼんでいて、黒いくまができていた。
あまりにもひどい様相。自宅か病院にでも放り込んで無理やりにでも安静にさせるべきなのは明らかだった。
死相。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「なんてこった……こんなにやつれて……。ルイニユーキ、お前はいつも俺に嫌味を言っていたけど、それだけじゃないこともちゃんとわかっていたぞ。普段にこりとも笑わずとも、真面目で実直な仕事ぶりは見習うところも多かったよ」
「クリス……殿……」
「はは、俺だっていつまでもお前に頼りっきりってわけにはいかないからな。アセルクリラングへ行ったのだって、なにも遊んでばかりだったわけじゃない。ちゃんと政務についても学ばせてもらった」
「クリス殿……私に、しゃべらせてください……」
息も絶え絶えといった様子でうつろな目を向けてくるルイニユーキ。
「だからもう心配するな。お前がいなくたってイリシュアールの政務はきちんとこなしてみせる。筆頭政務官として立派に職務をこなす俺の姿を、遠い場所から見守って――」
「クリス殿!!」
「うわぁっ!? なんだいきなりでかい声出して」
ルイニユーキはやつれた顔をより一層げっそりさせて言った。
「あの……勝手に殺さないでください」
「えっ?」
ルイニユーキはため息を吐いた。
「ただの過労です。ご心配には及びませんよ」
「なんだ、そうだったのか。倒れたっていうから俺はてっきり……」
「てっきり――なんですか? はぁ、ようやく帰って来たかと思えばこの調子……心配して損しましたよ」
そういえばメイドはルイニユーキがずっと俺を心配していたとか言っていた気がする。
俺は手にした布の包みをルイニユーキの腹の上にどすんと置いた。
「ぐえっ!? な、なんですかこれ」
「土産だ。ええと砂熊の肉の干物。砂アザラシの肉の干物。それから砂蟹の干物だ」
「全部干物……」
ルイニユーキは信じられないとばかりに驚愕の表情。
「なんだ? いらないのか?」
「あ、いえ……。ありがとうございます。クリス殿からのせっかくの贈り物、文句を言ってはばちが当たります。大事に食べます」
「そ、そうか……」
もっと面白いリアクションを期待していたのだが……。
クソ真面目なやつなんだよなぁ。
「クリスーーーー!」
アンナが駆け込んできた。
「おう、ユユナの部屋の案内、終わったのか?」
「うん! とってもいいお部屋だって喜んでくれてたよ」
「そうか」
「あ、ルイニユーキさん。すごい顔色だけど大丈夫なの?」
「ああ、心配いらないってさ。んじゃ、行くか」
「はーーーい」
「お、重い……」
俺たちは土産の包みを腹に乗せて苦しそうにしているルイニユーキに背を向けて部屋を後にした。




