暴走する力
あれから二日が経った。
ガバナケはあの後すぐに城を去っていった。
俺たちは危機が去ったことを素直に喜んだ。
ガバナケに対してあれだけの威厳を見せたシェアランは、ガバナケがいなくなった瞬間床にへたり込んでいた。
娘を守るために気を張っていたものの、やはり無理をしていたらしい。
ユユナは顔をくしゃくしゃにして大泣き。シェアランに抱き着いて離さなかった。きっと母娘仲は今まで以上に深まる事だろう。
「いやしかし、よく助かったなー」
俺はソファーに深々と座って、ぶどうの粒よりもやや大きい程度の青くて丸い果物を口に放り込んだ。
テーブルの上の皿に山と盛られているそれはマナンという果物で、すっきりとした甘みとみずみずしい味わい、それに口入れた瞬間溶けてなくなる皮が特徴だ。
「ほんとほんと。一時はどうなるかとひやひやしたんだけどねー」
そう言うのは頭の後ろで手を組んでいるエリだ。
「結局一番大事なのは信用、ってことか。あのときの女王はほんとにカッコよかったもんな。俺たちは真実を知ってたから焦っていたけど、貴族たちがどちらを信じるかは……今にしてみれば明白だったな」
だが言葉にすれば簡単なようでも、実はかなり危険な賭けだったこともたしかだ。
シェアランが立派な姿を見せつけてくれたから事なきを得たものの、たとえばあのとき彼女が少しでも動揺したり不安な様子を見せてしまっていたら、事態はどう転んでいたかわからなかった。
「ガバナケさんをあのまま帰してしまってよかったのでしょうか?」
そう言って唇に指を当てているのは、テーブルを挟んで俺の向かいに座るリズミナ。
「証拠がないのでもう脅威にはならないでしょう。こちらは被害者を出していて悔しいですが、女王様が争いを避ける選択をされたのなら、私は従うしかありません」
ラーニャは落ち着いた表情だ。
実を言うと俺もリズミナと同じく少し不安だった。だがこの国の女王が決めたことだ。そう何度も口を挟むわけにはいかない。
「私も……もう人前であの目を晒すことはありません」
ユユナが俺の体にしなだれかかるようにくっつく。
ここは俺たちの泊る客室ではなくユユナの部屋だった。
慣れた自室にいるせいで大胆になっているのだろうか? 体を密着させられてどきりとする。
対抗するように反対側からアンナが寄りかかる。
「でもー、今回はクリスが目立たなくて残念だったかも。ほんとはもっと、もーーーーっとカッコいいのにね。こんな風に」
ばっばっとポーズを取って、術符を使う真似をするアンナ。
「なに言ってんだ。平穏無事なのが一番だろ。俺が術符を使うような事態ってことはそりゃ本当にやば……え?」
ぷるぷると体を震わせるユユナ。
最初は笑いを堪えているのかと思った。
だが、見ればその顔は苦し気に歪んでいた。
「あ……うあ……クリスお兄……様……」
「どうしたユユナ!!」
ユユナは俺に覆いかぶさるようにしがみついて、千切らんばかりに襟を掴んでくる。
そしてキスが出来そうなほどの至近に顔を近づけて、ユユナはかっと目を見開いた。
「なにっ!?」
ゴオッ! と目に見えないなにか気配のようなものが膨れ上がった。
深い海の色だったユユナの目は爛々とピンク色に輝き、例の模様がくっきりと浮かび上がっていた。
「きゃあっ!?」「きゃっ!?」
アンナたちの悲鳴。
実際の風も衝撃も伴わない、ただ気配だけの暴風が荒れ狂った。
なにか瘴気のようなものがユユナからあふれ出していた。
「いやああああっ! いやああああああっ!!」
ユユナは俺の襟を掴んだまま狂乱して泣き叫ぶ。魔族の目は見開かれたまま、涙があふれ続ける。
「苦し……助けて……クリスお兄様……いやああああああっ!!」
「落ち着け!」
俺はユユナの腕を掴んで引き剥し、なんとかソファーに横たえる。
ユユナは俺の腕を掴み返して乱暴に体を暴れさせていた。
それはすさまじい力だった。小さな少女のものとは思えない。こんな力で暴れてはユユナ本人が傷ついてしまう。
「姫様! 今のお声は」
「大丈夫ですか!」
部屋の外にいた警備の兵が二人、入ってきた。
一歩部屋に足を踏み入れたとたん、二人の兵士は白目を剥いた。
「うがああああああああああ!」
「ひ、姫……うばああああああああああ!」
さながらゾンビのように両腕を前に突き出して、俺の――いやソファーに押さえつけられているユユナへと突進してきた。
ラーニャが素早く反応した。
兵士の一人に当て身を食らわせて気絶させる。
もう一人はリズミナが気絶させていた。
今の兵士の様子はまるでこの前聞いた、強い欲望を持つ者がユユナの力にかかったときの症状のような。
「この兵士たちはユユナに特別な欲望を抱いていたのか?」
ラーニャは困惑顔だ。
「そんなはずは……だいいち今のは視線すら合わせていませんでした」
「まさか……能力が強化されている? 暴走しているのか!? なにか心当たりは?」
「わかりません! 私は女王様を呼んでまいります」
「よし。リズミナ、お前は部屋に男を近づけるな!」
「はい!」
やがて、女王がラーニャに連れられてやってきた。
「ああユユナ……こんな……」
「う、ううううう……ううううっ!」
今は若干おとなしくなったものの、やはりその目は覚醒したままで、苦しそうにうめいている。俺が押さえつけていなければいつ暴れだすかわからない。
「女王様、ユユナがこうなった原因、なにか思い当たることはありませんか?」
俺の問いに、シェアランは顔を手で覆って首を振った。
「なにか力が暴走しているような、急に魔族の血が覚醒したみたいな、そんな様子でした。なんでもいいんです、ちょっとでも心当たりのことがあれば教えてください」
「魔族の……覚醒……まさか」
シェアランははっと顔を上げた。
「なにか知っているんですか?」
「アセルクリラングには太古の昔から私たち一族が代々守ってきた赤の祠と呼ばれる場所があるのです。そこに祭られているのは邪悪なるもの。あまりにも古すぎてほとんど情報は残っていませんが、絶対に呼び覚ましてはならないとされています。それが目を覚まして世に出れば、魔なる者は力を得、人々に大いなる災いをもたらすと」
「それだ!」
今のユユナの状態はまさにそんな感じだ。魔族の力が暴走してしまっている。
そのとき、城が揺れた。
ゴゴゴゴゴゴゴ!
「地震だ!」
「きゃああっ!」
女性陣は悲鳴を上げて身をかがめた。俺はユユナをかばって覆いかぶさる。
幸い揺れはすぐに収まった。建物にダメージがあるほどの巨大な地震でもなかった。
しかし……いやな予感がした。
「俺は祠に向かう! 案内できる人を付けてください」
「それなら私が」
ラーニャが言った。
「よし。他のみんなはユユナを守ってやってくれ。女王様も部屋に男性が近づかないようにお触れを出しておいてください。今のユユナには、近づくだけでああなってしまいます」
絨毯の上に仰向けになって倒れている二人の兵士は、白目を剥いて口から泡を吹いて体を痙攣させていた。しかしその顔に浮かぶのは不気味な笑顔だ。
俺とラーニャは国で一番の早馬に乗り、祠がある場所を目指した。




