女王シェアランの恐れ
女王を止めるには具体的にどうすればいいのか?
俺はひとまず直接会って説得することにしてみた。
俺を排除する選択が取れないなら、会ってみても問題はないはずだ。
ユユナたちに案内されて通された寝室では、白い寝間着姿の女王シェアランが憔悴した様子で寝かされていた。
「ひっ――!」
俺を見たシェアランはシーツを引きずるようにベッドの上を後ずさった。
なんか話、違わないか?
その様子はまるっきり怯えていて、とても世界征服の野望に取りつかれたような狂気は感じられない。
元々女王と言うには若々しかったが、こうして怯えている姿はまるで少女のようだった。
「あああっ! どうかお許しください! イリシュアールに無礼を働きましたこと、心よりお詫び申し上げます! 私は逆らう気は毛頭ございません! 本当です!」
毛布をかき抱いてガタガタと体を震わせるシェアラン。
怯えすぎて半ば狂乱気味だ。
「落ち着いてください。私は話をしに来ただけです。あなたやアセルクリラングをどうこうするつもりはありません」
「ひぃぃぃぃっ!!」
だめだ。まともに話ができる状態じゃないぞこれ。
「母様……クリス兄様に敵意はありません。どうかお話を聞いてあげてはいただけませんか?」
怯えるシェアランのそばに歩み寄り、その肩に手を置くユユナ。
娘になだめられてようやくシェアランは落ち着きを取り戻す。
「ほ、本当ですか? 私たちや国に危害を加えるつもりはないと?」
「ええ。私はただあなたと話がしたいだけなんです。どうか聞いてはいただけないでしょうか?」
俺はていねいに頭を下げた。
戦勝国の国主としてありえないような行動だが、怯える女王を落ち着かせるにはこれくらいでちょうどいい。それに戦勝国とは言っても俺が筆頭政務官になる前の話だ。偉そうな態度を取るつもりなど最初からない。
「そんな……顔をお上げになってください」
「それでは……」
「はい。私に答えられることでしたら」
シェアランはまっすぐに俺を見た。
よかった。ようやく話ができそうだ。
「ユユナ姫からその目に宿る力についてはすでに話を聞かせていただきました。目を合わせた男性を魅了して虜にしてしまうことができるとか。そしてその力を使って他の国の重要人物を洗脳しようとしていたとも……」
シェアランはぎくりと顔を強張らせる。そしてきつい眼差しをユユナへと向けた。
「ユユナっ、まさかそのようなことまでクリストファー殿に!」
「ごめんなさいお母様。ですが、やはりこのようなこと……間違っていると思います」
「間違っているですって! あなたは三年前、なにを見てきたのです! 我が国アセルクリラングは弱い。周囲の国々がその気になれば簡単に攻め滅ぼしてしまえるのですよ。あなたの力は絶望に打ちのめされていた私たちにもたらされた奇跡。その力を使って周囲の国々を支配して確固たる地位を築く、これはアセルクリラングの――いいえ、ユユナ……あなたのために必要なことなのです!」
軍事力に拠らない外交努力による自治権の維持。アセルクリラングの過去の国王たちがどれほど優秀だったかわからないが、ほとんど奇跡と言ってもいい偉業だったに違いない。
あえて他国の貴人たちを呼んで観光で楽しませることによって、各国との関係を強化しながら暗黙の不可侵の地位を作り上げてきたのだろう。
そして国の首脳たちすら無警戒に訪問するという状況は、ユユナの力を使って洗脳する際にも有利に働いたというわけだ。
シェアランが侵略的な洗脳戦略を始めた理由もようやくわかった。
「三年前イリシュアールに侵略され、あわや滅亡の危機にさらされた。そのことが怖かったんですね。どうしようもないくらいに」
先ほどの異常な怯えようもそれならば説明がつく。
周囲の国々に支配を及ぼそうとする行為は、恐怖から来る防衛本能の現れだ。周囲の国々をすべて支配してしまえば、もはや敵はいなくなり恐れることもなくなるという。
危険な考えだがシェアランを頭ごなしに責めることはしたくない。
なぜならそれは、イリシュアールがアセルクリラングに対して行った侵略戦争が始まりだったのだから。
優しかったシェアランが暴力を振るうようになったとユユナは言っていた。
最愛の娘にまで手を上げる。シェアランの精神はそこまで追い詰められてしまっていたのだろう。
ハゲ王キリリュエードに改めて強い怒りを覚える。あいつはこんな平和に国を統治していた母娘の心にまで深い傷を負わせていたのだ。
「うっ、うううううっ……」
シェアランの目から涙がこぼれる。それは俺の指摘が確信を突いている証拠だ。
心の傷にまでなっているイリシュアールへの恐怖。そしてユユナの力が効かないイリシュアールの国主。
俺はまさにシェアランにとっての恐怖の象徴のような存在に違いない。
シェアランに心の底から恐れられているのが俺なら、安心させることができるのもまた俺だけだ。
俺はユユナとはベッドの反対側に立って、震えるシェアランのひざ元に手を置いた。
「つらかったんですよね。怖かったんですよね。大丈夫です。もうイリシュアールがあなたがたに危害を加えることはありません」
「ひぐっ……ああ……あああああああああああっ!」
シェアランは俺の手にすがりついて泣いた。娘の前だというのにまるで少女のように。
「ですから、もうユユナ姫の力を悪用することはやめてください」
「ですが……」
シェアランは顔を上げるがその視線は泳いでいた。まだ不安なのだろう。
「私からもお願いします、お母様。人の心はその人だけのもの。他人が自由にしていいはずはありません」
シェアランは少しの間目を閉じた。
俺は彼女が口を開くのをじっと待った。
「わかりました。もう二度と娘の意に反して力を使わせることはいたしません。ユユナ……」
「なんでしょう、お母様」
「あなたに手を上げてしまったこと……ごめんなさいね。あのときの私は本当に愚かでした。どうか許してちょうだい」
「お母様!」
ユユナはシェアランの胸に飛びついた。
母娘はお互い抱き合って泣いた。しかしそれは悲しみの涙ではなかった。
その光景を見ていたラーニャたち他の面々にも喜びが広がる。
アンナなど目元に涙を浮かべているくらいだ。
「よかったね……」
「うん……」
エリも感じ入るところがあったのだろう、声を詰まらせて短く答えただけだった。




