仕事の合間の小休憩
俺は王宮にたくさんある執務室の一室にやってきていた。
たしかこの部屋でミリエが仕事をしているはずだ。
ドアをノックすると、なぜかアンナの声が聞こえてきた。
「わっ、わわっ! 待って! 今片付け……じゃなかった。ええと、そう! 着替え中! 今着替え中だから入ってこないで!!」
なんなんだ……。
そしてすぐに「どうぞ」という声がした。
部屋に入るとアンナとミリエはそろって盛大なため息を吐いた。
「なんだクリスかぁー……」
「クリスさんでしたか。怒られるかと思って慌てちゃいましたよぉ……」
「ああ、いや。アンナを見かけなかったか聞こうと思ってな。いっしょにいたのならちょうどよかった。で、説明してくれるのか?」
アンナとミリエはお互いに顔を見合わせて、どちらからともなくうなずいた。
アンナは執務机の下に隠していたものを引っ張り出した。
それは将棋盤だった。
勝負の途中なのだろう駒が複雑に置かれていた。
「なるほど、二人で将棋をしていたのか」
それで仕事をサボってると思われたくなくて慌てて隠したといったところか。
「へぇー。ミリエも将棋できるんだな」
「はい! キリアヒーストルで最近発明されたゲームだそうで、私、こういう頭を使うゲームが大好きなんです。さっそく取り寄せてみたものの、イリシュアールでは他に対戦できる人もいなくて……。ところがですよ! なんとアンナちゃんが知っているって言うじゃないですか! 私もう嬉しくって!」
こんなにおおはしゃぎのミリエを見たのは初めてかもしれない。
めちゃくちゃ楽しそうに笑ってるな。
「ふふん。なにを隠そうショーギを発明したのはクリスなんだよ」
まるで我がことのように胸を張って得意げな顔をするアンナ。
ミリエは目を見開いて驚いた。
「ええええーーーーー! それ、本当ですか!?」
「発明とかそんな大げさなもんじゃ……」
「すごいです! 私、尊敬しちゃいます!!」
目をキラキラさせて俺の手を取るミリエ。
俺は恥ずかしくなって話を逸らした。
「で、ミリエの実力はどんなもんなんだ?」
「筋はいいね」
アンナの物言いはまるっきり弟子を評価する師匠のそれで、俺は吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。
「そっか。じゃあその勝負が終わったら俺とやろう。久しぶりだから楽しみだな」
そして数十分後。
「ぐぬぬぬ……」
俺は必死に盤面に目を走らせるが、戦況は絶望的。最初こそ優勢に進めていたが、いつの間にか逆転を許してしまっていた。
そんな俺の顔をミリエはちらちらと上目遣いに盗み見る。
勝っているはずのミリエはなぜか、叱られる前の子供のようなそんな不安げな表情をしていた。
俺はアンナを見た。
アンナは完全な無表情を作っていた。どうやら俺を助けるつもりはないらしい。勝負の世界は非情だった。
「むむむむー……」
ダメだ。勝ちの目がまったく見えない。
だけど初勝負でいきなり投了というのも情けない。
俺は悩み続けた。
そしてようやく指した一手は起死回生の逆転を狙ったもの。
気付かれなければ次に桂馬からの三手で詰みがかかる、最後の罠だった。
ミリエはまた俺をちらっと見て、それから俺の罠に気付かずに、ゆったりとした攻めの手を選択。
「あっ!」
アンナの叫び声。
俺は駒音高くミリエの王を詰ます一手を指した。
「負けました」
お辞儀をするミリエ。
「ミリエちゃん……」
アンナの低い声。
見ればアンナはゴゴゴゴゴという音が聞こえてきそうなくらいの凄みを漂わせていた。
「今、手……抜いたよね? 今の詰み、ミリエちゃんが気付かないはずなかったよね?」
「わ、私は……だってクリスさんの必死な顔見てたら、なんだか申し訳なくなって……その……ごめんなさい」
「対戦してくれる相手に敬意を払うなら、そんなことをしちゃいけない。手を抜いちゃったら、それは相手が悩み努力して作り出した一手を汚すことになっちゃうんだよ。だからどんなに心が痛んでも、情けをかけちゃいけないんだ。それがショーギの勝負なんだよ」
す、すげえ……。
アンナのやつ、かっこいいことを言ってやがる。
この世界じゃアンナは突出した将棋の実力を持っているが、いつの間にかその心意気まで勝負師にふさわしいものを身に付けていたのか。
「ごめんなさい……」
しゅんとうなだれるミリエ。
俺はその肩に手を置いた。
「まあ、いいさ。ミリエはやさしすぎただけなんだよな。なら今度はお前に気を使われなくなるくらい、俺が強くなればいいだけの話だ。そのときはまた対戦、してくれるよな?」
「はいっ!!」
ミリエは俺の手に自分の手を重ねて、幸せそうに笑った。
そしてアンナはなぜか泣きそうな顔をしていた。
「クリスぅ……あたし、なんだか損した気分……」
「そういやお前、いつも俺を完膚なきまでに負かしてたけど、そんなかっこいい信念に基づいて対戦してたのか? なんだかおおはしゃぎで勝って飛び跳ねてた記憶しかないんだが」
「うっ……」
痛いところを突かれたのか、アンナは変な物でも飲み込んでしまったような顔をした。
どうやらアンナは単に勝つのが嬉しかったから、いつも勝っていたということらしい。
まあアンナらしいと言えばアンナらしかった。
「そ、そういえばあたしに用って、どんな用事?」
「ああ、アセルクリラングからの贈り物の中にうまそうな果物があったから、いっしょに食べようかと思ってな。どうだ?」
アセルクリラング国はイリシュアールの南に位置する国で、数年前の戦争に負けてイリシュアールに有利な貿易協定を結ばされている国だった。イリシュアールのご機嫌をうかがうかのように、こういった贈り物をよくしてくる。
「食べるーーーーーーー!!」
思いっきり両手を上げてばんざいのポーズのアンナ。
「それじゃミリエもいっしょに」
返事を求めるような言い方ではないのはわざとだ。
「わ、私は……」
問いかければ遠慮をすることはわかっていた。
だから俺はミリエがなにか言う前に手を取って、二人を連れ出した。
アンナもミリエも果物を食べている間ずっと、楽しそうに笑っていた。




