筆頭政務官のおしごと
イリシュアールへと全員が無事に帰還してから一日。
王宮内の執務室の一室で、俺は大量の書類と格闘していた。
「終わらねー……」
机の上に高く積み上げられているのは俺の承認待ちの書類。
適当にサインを書き込むわけにもいかず、一応目を通す必要があった。
「この忙しい時期に突然外交訪問などと言い出すからですよ」
「ん、お前いつからいたんだ?」
いつの間にか俺の横に立っていたルイニユーキを見てつぶやく。
給仕のメイドや書類運びの職員が頻繁に行き来するから、いちいちその全員を把握したりはしていなかった。
「たった今です。クリス殿に限ってサボったりはしていないでしょうが、仕事の進み具合の確認で少し」
「あー、こっちの書類な。もう一度検討してみてくれ。黙って承認していいものかどうか微妙なやつだ」
ルイニユーキはテーブルの一角に別けて置いてある数枚の書類を手に取った。
「なるほど……。たいしたものですね。どうやら心配はいらなかったようです」
「なにが?」
「クリス殿は書類仕事にも才がおありです。文字を追う仕事のご経験が?」
「いや、まあ……魔術書とかは結構読んでるけどな」
「ではこちらの書類は私のほうで持ち帰らせていただきましょう。私も暇ではないのでこれで失礼させていただきますね」
「ああ」
ルイニユーキは相変わらずピクリとも笑わない。
この神経質な顔をした真面目な男は基本的にこの調子なのだ。
ルイニユーキが去って入れ替わるようにやってきたのはエリだ。
「やあやあやあ! お疲れかな筆頭政務官殿!」
おおげさに芝居がかった言い方。
相変わらずメイド服が似合うやつだ。
俺はその姿を見て、おや? と思う。
給仕なら手に菓子か飲み物でも載せた盆でも持っているはずだからだ。
しかしエリは手ぶら。
もちろんだからといってそれを指摘するのは嫌味になるから言わないが。
「そういうお前は元気いっぱいだな」
俺は苦笑いをしながらそう言った。
「その様子だと結構お疲れっぽいねー。んじゃ、いっちょマッサージでもしてあげますか」
「いや、別に肩とかは凝ってないんだけど……」
エリはささっと机を回り込んで俺の後ろに立つ。
「んじゃいっくよーーー!」
「聞いてねえし……」
刺激はすぐにきた。
むにっと肩を揉まれる感覚。
「うおっ!?」
思わず声が出てしまう。
気持ちいい!
なんだこれ!?
くにくにと肩の筋肉をほぐす指の動きは絶妙で、めちゃくちゃ心地よかった。
「へへー、どうよ?」
「ああ……驚いたなこりゃ」
むにむに。むにむに。
肩など凝ってないはずだったのに、自分でも驚きの気持ちよさだった。
なんかツボでも押してんのか? 超絶テクとはまさにこのことだと思う。
「ふぁ……」
いかん。声が漏れるのを抑えられない!
「お客さーん、気持ちよさそうですねー」
エリの声は得意げに弾んでいた。
あっ……やべ。
眠い。
俺はイスの背もたれに体重を預けて仰向けに、まるで気でも失うかのように瞬く間に眠りに飲まれていった。
さわさわ。
さわさわ。
目を覚ました俺がまず目にしたのは……見えない。
なんか白っぽくて見えないんですけど。
そしてさわさわと俺の頬を撫でまわしているのは……。
俺はエリの手を払いのけて顔を起こした。
「なにやってんだお前は」
「あは。起きた?」
どうやらエリが背もたれの後ろから俺の頭を抱え込んで頬を好き勝手撫で回していたらしい。視界いっぱい白っぽかったのは俺の顔に押し付けられていたエプロンドレスの胸の部分だ。本人には押し付ける気はなくともこの大きさだ。俺の顔の上にどんと乗っかる形になっていたらしい。
「仕事中だってのに居眠りしちまったな。どのくらい寝てた?」
イスに座ったまま寝てしまっていた俺は、首をコキコキ鳴らして背後のエリを振り返る。
「ほんのちょっとだよ。五分くらい」
「そうか」
俺はまた机の上の書類に向き直る。
そして思い直してもう一度エリを振り返った。
「ありがとな。すげー楽になったよ」
「いいよいいよー。私のほうが役得だったわけだし。かわいい寝顔いただき! ってね」
まるっきり冗談めかした口調だ。
「なーに言ってやがる」
と、そこへ。
「あーーーーーーーーーー!!」
どかんとドアを開けて入ってきたのはアンナだ。
「なにやってるの二人してーーーーー!!」
「ああ、肩揉んでもらってたんだ」
「やっほ、アンナちゃん」
「ずるいずるいーーーー! あたしもやるーーーー!」
勢いよく駆けてきてエリを押しのけるようにして俺の後ろに立つアンナ。
「じゃあゆっくりな。ゆっくり……」
「よーーーし……えいっ!!」
アンナの気合の掛け声。
「ぎゃあああっ!!」
痛い! 痛いよ!
力込めすぎ!!
「え? 痛い? じゃあこうかな? よいしょ!」
「ぎゃあああああっ!」
そこへまたもう一人やってきた。
「クリス、この書類だが……。えっ……」
入ってきたのはイリア。俺の置かれた状況を見て一瞬驚きの表情を浮かべる。
「い、イリア……助けて」
イリアは持ってきた書類を机の上に置くと、なにをするでもなくその場でもじもじ。
「肩揉みなら私も少し自信が。もしお前が嫌じゃないというのなら……。よければ私にも……その、揉ませて……ほしい……」
恥ずかしそうに歯切れの悪い言葉を並べながらも、イリアも俺の後ろにやってきた。
そんな言い方をされてしまうとちょっと断れない。
でもイリアのパワーだと……なんだろう、とてもいやな予感がする。
「アンナ、私にちょっとだけ代わってくれ。……それ!」
「ぎゃあああああああああっ!!」
俺の絶叫が部屋の外にまで響き渡った。




