薄い薄い豆のスープ
周囲の景色は見渡す限りの赤茶けた岩山。草木もほとんど生えない赤い土。
不毛の大地とはまさにこういう景色を言うのだろう。
歩き始めた最初こそあった商店や露店も、すぐに姿を消していった。
すれ違う人もほとんどいない。
国と国とを繋ぐ街道。馬車を並べて四台は走らせられそうな交通の大動脈。そのそばには旅人目当ての簡易宿屋や露店が軒を連ねているはずだった。
そう……『はずだった』だ。
まさか目的地まで煙のように消えてたり……しないよな?
大イリシュアールの栄華の象徴。鉱山労働者たちで栄えた町、その名もアールドグレイン。
本当に、あるんだろうな……?
実は昨日から何も口にしていない。
自分の体なのにまるで鉛で出来ているかのように重い。
歩こうとしても足が上がらない。
ズリズリと靴底を引きずって進む。
どう考えたって限界だ。
もう倒れる一歩手前。
目がかすんできた。
ああ、喉が渇いたな……。
渇きすぎて喉が痛みを訴え出したのは何時間くらい前からだったか。
マジで……ヤバい。
「み、水……」
それが俺の、意識を失う直前の最後の言葉だった。
目を開けるとそこは、ボロボロに崩れた土壁の、うす汚れた民家の中だった。
「はい、お水」
藁を敷き詰めただけの寝床から体を起こすと、一人の少女が水の入った木のコップを手渡してくれた。
汚れに汚れて元の色も分からないボサボサの髪。衣服もボロの布一枚。同じく汚れで黒ずんだ肌。しかしその顔にはひまわりのような笑顔があった。
渇いて乾燥寸前だった喉に染み渡る水。
生き返った。
冗談抜きで死の淵から救われた気がした。
「よかったぁー。兄ちゃん、死んじゃってるのかと思ってたよ」
「はは、まさか……」
少女に笑いかけようとしてふと意識がくらんだ。
ばすんと音を立てて藁の布団に頭が落ちる。
「わわっ、大丈夫!?」
「うう……」
俺は、自分で思っている以上に衰弱してしまっているようだ。
体力、付けなきゃなぁ。
こっちの世界に転生してからずっと、本に囲まれて生活していたようなものだったからな。
頼まれれば近隣の国や町にも足を運ぶこともあるが、基本は机仕事だ。
少女は心配そうな顔でじっと俺の顔を覗き込んでいる。
「お……」
蚊の鳴くような声で必死に声を絞り出す俺。
少女は口をすぼめてオウム返し。
「お?」
「おなか……へった」
その瞬間少女はひっくり返って笑った。
「ぶっ、あはははははは!! なんだよ! 本当に行き倒れじゃん! あはははははは!」
笑いごとじゃない。
笑いごとじゃなかった。
飢えと脱水で死ぬかと思ったんだ。
そんな俺の必死の気持ちを視線だけで読み取ったのか、少女はにっこり笑って
「待ってて。食いもん持ってきてあげる」
と言ってパタパタと奥の部屋へ走っていった。
少女が持ってきたのはほとんど透明に近い、ほんの少しだけ濁ったスープ。
ぽこぽこと浮かんでいるのは大粒の豆だ。
豆のスープ。
柄の欠けた木の匙で一口すくって口へ運ぶ。
舌触りはほとんど水と変わらない、豆を煮込んだスープに特徴的なでんぷん質のザラザラ感も全然感じられない、それは薄い薄いスープだった。
味なんて付いてない。
いや、たとえ塩を振ったとしてもこのスープを料理だと言い張るには自信がない。
それでも、今まで飲んだどんなスープよりも腹に染みた。
うまい。
本当に美味しいと思った。
「兄ちゃん、泣いてるの?」
どうしようもなく次から次へと涙があふれて止まらない。
「うっ、うぅ……うぁぁあぁぁ……」
みっともなくて恥ずかしいのに、嗚咽が漏れるのを止められない。
腹だけじゃない。スープの味が心にまで染みたみたいだった。
「だ、大丈夫!? そんなにマズかった!? ご、ごめん。けどウチにはほかの食いもんなんて……」
おろおろと慌てる少女に俺は首を振って見せる。
「違うよ。おいしいよ。本当に本当においしい。……ありがとう」
少女は一瞬顔をきょとんとさせてから、照れ笑いを浮かべるのだった。