4-5 贈り物は相手の好みを訊いてから。
あの誕生日パーティーから四日目。あいにく翌日は一日中降り続いた雨のせいで、庭土が重くなった。少しぬかるんだ庭土を弄るとせっかくの素材が汚れてしまって台無しだ。
なので庭造りは水が抜ける二日後を目処に再開しようと思っていた。その間はオリバーさんも休むので、思わぬ休日ができた。
――だというのに、何故か私は筋肉痛に悩まされている。全身なんだが中でも尻と太腿とふくらはぎの辺りが特に辛い。要するに下半身だ。
「トモエ、もっと背筋を伸ばして太腿でしっかり胴を挟め。上でお前がフラフラするからシズカが困っているぞ?」
「まだ練習し始めてたった三日目の人間に無茶言うな! こっちは全身筋肉痛なんだぞ!」
「怒鳴るな、シズカが怯えている」
スティーブンの指摘を受けて下を向く。こちらを伺うシズカの真っ黒い瞳と目があった。潤んだ瞳は可愛らしくてそれを見ていたら尖っていた心が少し和む。
「う、ごめんなシズカ。私がちゃんと乗れないとお前も疲れるんだよな?」
そう言って長い首筋をゆっくりと撫でてやる。シズカは落ち着いたのか睫毛の長い瞼をしばたかせた。
私が安堵すると太腿の下でシズカの筋肉も弛緩する。可哀想に、緊張させてしまっていたらしい。ただそれにしても――。
「やっぱりいきなり一人で乗るのは無理だって~。何で今までみたいにお前のバーラムに乗せてくれるんじゃ駄目なんだよ?」
スティーブン 乗せて前方を歩いていたバーラムが振り返る。名前を呼ばれたからかこちらに寄ってきたそうな素振りを見せた。スティーブンもそれに気付いたのか、鐙で胴を軽く蹴ると手綱を引いて方向転換をさせる。トコトコといった様子でバーラムがこちらに近付いてきた。
バーラムがシズカの鼻先に自分の鼻先をくっつける。シズカよりだいぶ大きなバーラムの甘えているような素振りに、思わず笑ってしまった。
「馬も飼い主に似るんだなぁ」
「どういう意味だ?」
「別に? バーラムがでかい図体で甘えん坊だよなってことだよ」
私のその発言に微妙な表情をしたスティーブンを見て少しだけ気が晴れた。が、ニヤリとしたのも束の間。
「そろそろ休憩にしようかと思っていたんだがまだまだ元気そうだな?」
「あ、ごめん、限界です。謝るんで休憩させて下さい」
あっさり形勢逆転されてしまった。スティーブンは咽の奥で低く笑うとバーラムの馬体を反転させて軽く走らせる。
私は慌ててシズカの胴を挟む太腿に力を入れ直してその腹を蹴った。素直なシズカは私の下手くそな合図をしっかりと理解してくれて、バーラムの後を追う。
「トモエ、あの泉まで走れたら休憩にしよう」
「うぇ~……出来る奴は簡単に言ってくれるよなぁ」
「今までバーラムに乗れていたんだ。シズカは特に気が優しい。トモエならすぐに思い通りに走らせられるようになる」
「ったく――軽く、言って、くれるよな!」
徐々にバーラムのペースを上げていくスティーブンに置いて行かれないように必死でシズカの背中にしがみつく。
滑らかに駆け出すバーラム。一方、背中に私というハンデを背負わされたシズカ。二頭は同じ生き物とは思えない走り方だ。
――ごめんなシズカ。私のせいで思い通りに走れなくて。
そもそも誕生日に何故あいつは私に馬を贈ったのか。お金持ちの贈り物のセンスに首を傾げつつも、私とシズカは前方を走るスティーブンとバーラムに追いつくことに専念した。
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常歩より少し早い程度の速度では、泉に着くまでにいつもの倍以上の時間がかかってしまった。しかし実際のところ遅れてくる彼女は良くついてきていると思う。
通常女性で初めての乗馬ともなれば、もう少し慣れるまでに時間がかかるものだが、彼女の場合は生来の負けん気の強さと、仕事で身に付けたバランス感覚が役立っているようだ。
加えて彼女の乗っている牝馬は気性が穏やかで、初めての人間が乗るのにはうってつけの馬だった。スティーブンがバーラムに泉の水を飲ませて待っていると、ようやく彼女の乗る牝馬が見えてくるも、背中に跨がっている彼女の表情は楽しそうからは程遠い。
けれどスティーブン達の姿を確認すると、最後の気力を振り絞ってこちらに向かってきた。
「――段々様になってきたじゃないか」
ぐったりと馬の背中にしがみつく彼女の代わりに手綱を取って泉の縁まで引いてやりながらそう声をかける。けれど馬上のトモエは顔も上げずに「見え透いたお世辞なんかいらん」と返事をした。
その言葉に肩をすくめたスティーブンだったが、トモエの腕を取って降りるように促す。まだ一人では降りられないトモエは仕方なくといった様子でスティーブンの方へと腕を伸ばした。
ようやく腰を落ち着けて、泉の淵に二人並んで足をつける。傍ではバーラムとシズカが仲良く水を飲んでいる。と、隣で屍のように伏していたトモエがふと口を開いた。
「なぁ、スティーブン。質問なんだけどさ」
「どうした?」
「何で誕生日の贈り物が馬なんだよ?」
「何だ気に入らなかったか?」
心配になってそう訊ねたら、トモエはその問いに横に首を振る。その表情には心なしか呆れの色が濃かった。
「いや、気に入るとかいらないとかじゃなくてだな。何で私に馬が必要だと思ったんだよ?」
傍にいるシズカを見上げながらそう言う彼女を今度はスティーブンが呆れた表情で見返す。
「馬との対面前に鍵を渡しただろう?」
「あぁ、これか?」
最初に渡した時の言葉通り、彼女が服の中から綺麗な紐を付けた鍵を取り出す。翳すようにスティーブンに見せる彼女の顔には、話の流れ着く先が全く分からないと書いてある。
「お前はまさかそれがどこの鍵か分からないで受け取ったのか?」
「そうだけど……でも、スティーブンとマーガレットの大切なものみたいだったから、つい」
つい受け取ってしまったのだとトモエは言った。薄々彼女のあの反応からそうではないかと感じてはいたのだが、本当に憶えていなかったのかと少し残念な気分になる。
とはいえ、あの日のことを特別なことに感じていたのはスティーブンの勝手で、彼女の物覚えを責めることはできない。できれば彼女に自力で思い出して欲しかったが、このまま彼女が思い出すのに任せていてはいくら長いオウタの日でも沈んでしまうだろう。
「……去年の聖誕祭の日に行った小屋のことを憶えているか?」
「あぁ、あの可愛らしい小屋な。もちろん憶えてるよ。お前が私を連れて寒空の中を歌いながら向かったところ――って、この鍵あそこのなの?」
水を向ければかなり良く憶えていたようで、すぐに鍵の存在を思い出したらしい。鍵をクルクル回しながら「あー、そういえばこんな形だったな」などと呑気なことを言っている。
マーガレットと二人で一大決心して渡した身としては、随分な肩すかしをくらった気分だ。
「とは言ってもさ、やっぱり分かんないんだけど。何で誕生日の贈り物が馬とあの小屋の鍵なんだよ?」
「それは――そろそろバーラムの伴侶を探してやろうかと思っていたところにちょうどシズカが売りに出ていたからだが……」
「お前なぁ、プレゼントっぽく渡しといていきなり繁殖させる話とかどうなんだよ?」
「お前こそ繁殖させるとか女が言うな。それにさすがにそれだけが理由ではない」
「へぇ~……じゃあどんな理由だよ?」
説明の出だしが悪かったのは認める。しかしスティーブンにしてみればそのまま伝えるには少々気恥ずかしい気分だったのだ。けれど冷ややかなトモエの視線を前にして最初から素直に言った方がマシだったと反省する。
「――あの夜、お前が言っただろう? もしも自分がここからいなくなったらどうするかと。俺達は今さらお前にいなくなられるのは困る。だからだな」
色々とみっともない姿を見られた日のことを自ら言い出すのは、気分のいいものではない。ましてスティーブンにしてみれば泣かされた日だ。
歯切れ悪く話し出したスティーブンを見ていた彼女は何を思ったか、隣に座り直すと両手を伸ばして、スティーブンの髪型がグシャグシャになるまで撫で回した。
スティーブンが止めるまで続いたその行為を止めた彼女は、彼女にしては珍しい複雑な微笑みをその口元に浮かべてこう言ったのだ。
「お前って奴は――本当に時々、馬鹿みたいに可愛いなぁ」
成人男性にその表現はどうかと思いはしたものの彼女が喜ぶ姿が嬉しくて、スティーブンはずっとその顔を眺めていた。




