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4-4・2 一年に一度、この歳になると忘れたい日。



 あの後、膝蹴りを食らわせた件についてはさんざん謝ったのにスティーブンは私とマーガレットを置いてどこかに行ってしまった。それはまぁそうだろうな……会場内にはいると思うけど後でもう一度ちゃんと謝ろう。


 ――でもスティーブンはいったいどこで私の誕生日を知ったのだろう?


 しかもあれ、そういえば……今になって私はある重要なことに気付いた。確か私は元の世界で三十一歳になって、まだそんなに経っていなかった気がする。ここに飛ばされてきたのが夏頃だった。


 でもこっちでは春頃に飛ばされた訳で……一年に二回誕生日が来てしまったと計算して三十三歳。ということは私は正確にはまだ三十二歳なのでは?


「え、あ、あー……勘違いって言うか、計算間違い?」


 数字にことごとく弱い脳味噌である。どこの世界に歳を一歳上にさばを読む女がいるんだか。いやいや、体感認識が謝っていたせいであって、決して計算間違いではない……と、しらばっくれたいところだが、率直に言う。


 両方だよ! やはり人間は体感に頼って生きてばかりでは駄目だ。


 私が算数からやり直した方が良いかもしれないと本気で思っていたら、マーガレットが自分のお屋敷からつれてきたメイドさんに何やら持ってきてもらっている。それを受け取ったマーガレットが私の前にやってきた。


「これをトモエに。気に入ってくださると嬉しいのですけど」


 意味が分からず目を丸くしている私に「プレゼントですわ」と、小さいけれど趣味の良いラッピングを施した箱を二つ手渡してくれる。


「いや、そんな……貰えないよ。来てくれただけで充分なのに」


「いいえ、それではわたしが困ります。今日はお父さまとお母さまは商談で来られないから代わりに渡して欲しいと、このプレゼントを預かって参りましたのよ?」


「でも、私はあの二人の誕生日も知らないのになんだか悪いな」


「トモエったら気にしすぎですわ。わたし達、貴女には本当にお世話になっているんですから」


 マーガレットはそう言うけれど勘違いでは? とは思ったものの渡されたプレゼントを押し返すわけにもいかない。大人ですからね。


「――それじゃあ、有り難く頂戴します」


「はい、どうぞ。それとこれはわたしからですわ。ねぇ、本当はお行儀が悪いのだけど……ここで開けて下さらない?」


 そわそわとそう言うマーガレット。なる程、相手の反応を知りたいのか。その気持ちはよく分かるので手近なテーブルの上で早速開けてみた。


 まずはエミリーさんの淡いピンクのバラが輪郭線だけで描かれた箱から。中には良い香りのする香油と、絹の手袋、あとは「それはお母さまが趣味で作っていらっしゃるバラの化粧水ですわ」だそうだ。


 おぉ、いかにもお上品なマダムが揃えてくれたプレゼント……果たして私はこれを使いきれるのだろうか?


 次にウィリアムの瞳と同じ色のアイスブルーの、これまたバラが描かれた箱。夫婦でお揃いなのか。妙なところに関心しつつ開ける。中には防刃素材っぽい布で作られた丈夫そうな園芸用のグローブと……軟膏? 


 意味が分からずチラリとマーガレットに視線をやれば、やや困った風に微笑んだ彼女は「ええと、がさつで生傷が絶えないお前に――って素直でないの。ごめんなさい」と教えてくれた。一言余計だが嬉しい。


 最後にマーガレットの淡いクリーム色のバラを描いた箱。うん、家族三人仲良しだね。中には可愛らしいバラの刺繍を施した絹のハンカチが三枚。も所々針目のそろわないこれはもしかして……?


「まだ上手ではないのですけれど、どうしても手作りの物を渡したくて。受け取って下さいます?」


 おずおずと上目遣いをしてくる美少女にそう言われては、誰だって頷いちゃうだろう。というか刺繍の出来自体かなり良い。謙遜するというよりは本気で恥ずかしがっている様子だ。意識が高い。


「そんなことあるわけない、どれも全部嬉しいよ。この刺繍もすごく綺麗だ。ありがとうマーガレット。奥様とウィリアムにもそう伝えてくれる?」


 私がそう言うとマーガレットは満面の笑みを見せてくれた 。


 ――それにしても疑問が二つある。一つ目はここでは私とマーガレット、そのお付きのメイドさんとスティーブンしかまだ見ていないこと。


 二つ目は料理はテーブルに一杯あるのに、スティーブン達の給仕をしなければならないはずの人間が誰もいないことだ。他に訊けそうな人間がいないのでマーガレットに訊ねる。


「当然ですわトモエ。ここのお料理は全部ジェームズとエマが作ったんだもの。今日のここでのパーティーは屋敷の誰にも秘密なの。貴女のお誕生日なんだから、トモエを虐めるようなお屋敷の人を呼んだりしないわ」


 あっけらかんと言い放たれたその事実に、穴があったら申し訳なさで埋めて欲しい。いや、むしろセルフで埋まる。


「……今日のパーティーをしようって言い出したのはアイザックなの」


 頭を抱えていた私にマーガレットが耳を疑うことを告げた。そして同時にそういえばあの時にうっかり訊かれていたことを思い出す。私は間違った情報を与えてしまった張本人の名前が出てきたことに焦った。


「あのアイザックさんが私の為に? 言ってはなんだけど嫌われてると思うんだけど……」


 速攻で否定してしまう私を見て、マーガレットが苦笑する。


 その表情はさっきまでの楽しそうな年頃の女の子らしさの消えた、妙に達観した大人の女性のようだった。


「ううん、それは誤解よトモエ。それに本当は、アイザックや、エマ、オリバーにジェームズとジョンもこのパーティーに誘ったの。でもね――」


 ふっと、後ろを振り返るマーガレット。その視線が自分のお付きのメイドさんを探しているのだと気付いたのは続く言葉のせいだった。


「みんな、自分たちは“使用人”だからって言うの。個人の名前を持っていても、それをわたしやお兄さまが呼んだとしても……みんな、ただの“使用人”として返事をするの。どれだけ近くに感じても、こちらが親しく思っていたって」


「――マーガレット……」


 そう寂しそうに俯くマーガレットに、どう言葉をかけてやれば良いのか分からない。少し逡巡したものの、もどかしい気分でその華奢な身体を抱きしめて、背中をポンポンと軽く叩いた。


「トモエ」


「うん?」


「……わたしもお兄さまも、頼めば何でもしてくれる大人はたくさんいたの。でもね、何の裏表もなく頼りにできる大人はいなかった」


「――うん」


「だからね、トモエだけはずっとそのままでいて? ずっとずうっと……そのままでいてね?」


「……うん」


 テーブルの上には三人では食べきれないほどの食事が載っている。きっと皆、誰かがここに来ることを期待していたんだろう。確かにあちらにいた時の私なら、彼等と同じ反応をしたのだろうと思う。会社というごく限られた範囲内の“使用人”である私と違い、屋敷内には元から“使用人”として育った人達が多くいる。


 そう考えると何だかやるせない気分になって、私はマーガレットの背を撫でることしか出来なかった。



*******



 彼女に抱きしめられていたマーガレットがこちらに気付いて舌を出す。妹であるマーガレットがいつの間にあんなに自分という人格を出すようになったのか考えて、スティーブンは苦笑した。


 考えるまでもなく彼女のせいだろう。しかし抱きついている彼女にスティーブンが来たことを伝えてくれたのか、トモエがこちらを振り返った。


「スティーブンさっきは本当にごめん!! 今日が自分の誕生日だなんてすっかり忘れてたんだ!」


 パンッと顔の前で両手を合わせる彼女にいま何か言おうものなら、後でウィリアム達の屋敷に戻ったマーガレットが、彼らに何と話をするか分かったものではい。したがってこの場合、スティーブンがとれる行動はただ頷くしかないのだ。


「いや、もう気にするな。それよりもアイザックが妙な勘違いをしていたのだが……トモエは今日で三十二歳だな?」


「――お兄さま……」


 スティーブンの一声後、何故か彼女から距離を取り始めたマーガレットが悲痛な面持ちでいる。何だろうかとスティーブンが首を傾げた瞬間、左のわき腹に抉り込むように拳が叩き込まれた。


 突然の痛みに膝をつかないでいるのが精一杯のスティーブンに対し、指をバキバキと鳴らしたトモエが物騒な微笑みを見せる。


「あってるけど、次に年齢に言及すれば――……分かるな?」


「……すまん」


「女性に年齢を訊くだなんて、デリカシーがありませんわお兄さまったら」


 とはいえ今日がオウタの二十日(七月二十日)であり、彼女の三十二歳の誕生日であるのは間違いがないのだ。理不尽な拳からなんとか立ち直ったスティーブンは痛むわき腹を押さえながら彼女に向き直った。


「今、誰か来ないかと見てきたんだが誰もいない。トモエは物足りなく感じるかもしれないが仕方がない。今日は三人で楽しむとしよう」


「そう、ですか」


「お前まで落ち込むなマーガレット。今日は叔父上の屋敷からここまで祝いにきたのだろう?」


 そうスティーブンが言葉をかけても、マーガレットは納得出来ないのか俯いたままだ。するとその会話をキョトンと見ていたトモエが言った。


「いや、私としてはアイザックさんとか怖いから来てもらっても何だしね?それにここにこうして会場を設けてもらえたってことは、皆に祝ってもらえてるってことだし。私は二人がいればそれで大満足だけど」


 確かに彼女の言うとおり、ここに会場を作るに当たって他の者達が担ってくれた功績は大きい。通常の業務をこなしつつ、ここまで手の混んだことに手を貸してくれたのも、ひとえに彼女の人望と言っても良かった。


「皆には明日にでもお礼を言って回るからさ、今日は一緒に祝ってよ」

 

 そう言って、そんな自分の言葉に照れた様に笑う彼女に兄妹そろって胸が一杯になる。


「勿論だ」


「勿論ですわ」


 兄妹そろって競うようにそう言うと、トモエはそれを見て可笑しそうに声を上げて笑った。そして彼女の笑いが治まると、スティーブンが「渡したい物があるからついて来てくれ」と言うのでマーガレットと三人で会場の入口付近まで移動する。


「そうだ、先にこれを渡しておこう。手を出してくれないかトモエ」


「――今日は前みたいなのはなしだからな?」


「前みたいって……お兄さま、トモエに何かなさったのですか!?」


「その話は……良いだろう別に」


「いいえ良くありませんわ! トモエ、何をされたのか仰って? もしも嫌なことをされたのでしたらわたしと――」


 一緒に屋敷に帰ろうとマーガレットが言い出す前に、スティーブンがトモエの手に何か小さな物を握り込ませた。それを確認しようとトモエが手を開くと、そこには何だか見覚えのある鍵が一つ。


 どこで見かけたのだろうかとトモエが首を傾げた時、覗き込んできたマーガレットの驚いた気配がする。


「お兄さま、この鍵は――」


「俺はトモエにこれを渡したいと思ったんだが、おまえが嫌なら止める。どうするマーガレット?」


 一瞬兄妹そろって彼女の表情の変化を探る。しかしそれが何なのか分からないトモエにしてみれば気安く口を挟むことはできない。となれば後は兄妹の問題であるのだが――。


「お兄さまはどうしてわたしが反対すると思うのですか? トモエに渡すなら何の心配もありませんし、大歓迎ですわ」


「……そうか」


「えぇ、そうですわ」


 そう嬉しそうに微笑むマーガレットを見つめるスティーブンも、また同じように微笑む。間に挟まれたトモエは困惑気味な表情のまま鍵を受け取った。


「何かありがとな、二人にとって大事な物みたいなのに。綺麗な紐でも通してお守りにするよ」


「何を言っているんだトモエ。それはプレゼントではないぞ?」


「え?」


「そうですわよ?」


「えぇ?」


「俺がお前に贈るのは――あれだ」


 秘密の会場の入口を開けたそこにいるものを指差して、スティーブンがそう言った。後ろでマーガレットが「あら、斬新ですのね」と口にしたが、トモエの耳には入らなかった。それよりもはるかに気になるその生き物を見た彼女はこう言った。


「えぇぇぇ~……金持ちの考えることって本気で分かんないわ」


 ――――と。


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