4-2 まさかの、初めてのお使い。
この屋敷に帰ってきてからは前のようにオリバーさんにつれられて仕事をしているのだが、一つだけ変わったことがある。何と日当をもらえるようになったのだ。これはかなり嬉しい。自分で稼いだお金で庭の材料を一つずつ揃えていけるというのは新しい楽しさがある。
とはいっても私はまだこの屋敷の敷地外に出たのはたったの三回。
一度目はスティーブンと一緒にバーラムの遠乗りをした時、二度目はスティーブンと一緒にバーラムに乗ってあの可愛い小屋に行った時、三度目は夜明け前にオリバーさんにつれられて向かった、乗り合い馬車乗り場に行った時だ。
なので実はまだ、この屋敷の敷地外にあるスティーブンが治める領地というのを見たことがない。当たり前だけれど食材や日用品を商うような町ないし村くらいはあるのだろうが……。
ここへ来て一年以上経つというのに、お使い一つ行ったことがない私には俄には信じられない。
十日分の日当が入った袋と、エミリーさんのところで頂いた御給金。
何が買えるかは未知数だが買い物に行くにしても連れて行ってくれる人が、できれば買い物にも付き合ってくれる人がいないと始まらない。そんな中で頼れる人間が屋敷の当主っていうのも如何なものかとは思うのだけど。
「悪いなぁ、こんなこと頼めるのスティーブンしかいなくてさ」
あっさりとスティーブンに頼ることにした私は今、屋敷から一番近いブルネルという町に連れて行ってもらうことになった。幸いスティーブンもブルネルに視察に行こうと思っていたところだったそうで、まさに渡りに船である。
「それは構わないが何を買うつもりなんだ?」
「買うつもり、というか……何なら買えそうかな~って感じだな」
「……そんなことだろうと思った」
呆れたというより、もっと柔らかい意味合いを感じる声音が背中から伝わってくる。私はもたれ掛かるようにして顔を上向けた。急にそんな不安定な姿勢を取ったところで、バーラムとスティーブンが上手くバランスを保ってくれているから、身体が傾ぐようなことはない。
「――トモエ、今日つけているその髪飾りはどうしたんだ?」
「え? あぁ、これか?」
マーガレット達と買いに行った黄色いバラの髪飾りは、小さいので私の剛毛に飾っても紛れてしまい、実際のところ付けた本人にもよく見えない。それを見つけるとは目敏い奴だ。
「これはあっちにいた時にマーガレット達と街で買ったんだ。私の髪に付けたって目立たないんだけど、せっかく出かけるんだし付けようかな~って」
「……俺のやった髪飾りはどうしたんだ?」
「あー、マーガレットの誕生日にもらったあれな」
ん? 気のせいかコクリと頷く目が何だか怖いぞ?
「あれは立派すぎて今日の服に合わないんだよ。あれ後でちゃんと見てみたら螺鈿とかと同じ細工だし、欠けたりしたら怖いし哀しいだろ」
だから普段使いは出来ないと説明したら、納得したのかしていないのか一言「そうか」と言ったきり黙ってしまう。何か考え込んでいる様子に声をかけ辛い。少しの間、馬上で二人静かに揺られる。
そんな時間の中で私は“日本でいえば夏なのに、こちらでは秋になるのが不思議だな”とか、そんなどうでも良いことを考えていた。
「今日は特に欲しい物がないのに町に行くのか?」
「いや、さすがに何の目星もつけてない訳じゃなくて、買いたい物はある程度決めてあるんだ」
「ほぅ?」
信じていないのか本気にしていないのか、うっすらと微笑む顔は離れていた一月で少し精悍になった気がする年下のくせに憎たらしい奴だ。おまけに頬の腫れもすっかり引いたので元の良い面に戻っていた。私の好みとしては松〇健とか〇形拳なのだが、ちょっと格好良くなったように見える。
何というのか、こう、久し振りに親戚の子を見た時の気分だ。マーガレットといいコイツといい、ファミリーツリーに加われば子々孫々、顔面偏差値は安泰なんじゃないだろうか。
スティーブンを見上げたままの姿勢で、ぼんやりとそんなことを考えてしまっていると、不意に見上げていたスティーブンの表情が明るくなり「ほら、前を見て見ろトモエ。あれがブルネルの町だ」と前方を指さした。
そのどこか自慢する子供のような表情に、スティーブンが領地を大切にしていることがよく分かる。町の中に入ったら色々訊いてみよう。きっと嬉しそうに説明してくれるに違いない。
私は何だか懇談会に来た母……いや、姉のような気分でスティーブンの顔を眺めたのだった。
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町に入った彼女は目を離せない子供のようにあちこちの店先に走り出しては、振り返ってスティーブンを呼ぶ。町の入口で視察に来たことを伝えようとしていたスティーブンだったが、バーラムを預ける間にもどこかへ行ってしまいそうな彼女が気になって諦めた。
どうせあれだけ大声で領主の名前を呼んでいるのだから、今さら視察に来たことを告げずとも良いだろう。ブルネルは小規模ながらも比較的豊かな町だ。五年ほど前に酷い風邪が流行してその人口を減らしたが、近年では人口も戻りつつあるのでもう大丈夫だろう。
舗装をされた石畳と、その石畳に沿うように建てられた商店。多少店舗の大小バラつきはあるものの、大抵の店は家族で商いをしている小規模店舗だ。
どの家も店も、出窓の下には各々が育てている草花がオウタの日差しに輝いている。赤レンガの建物で統一された町並みは、スティーブンの密かな自慢だった。
見知った顔に手を上げて訪問を告げると、それを見た商店主達が店先に出てきて頭を下げた。顔が知れているとそうそうお忍びもできない。代わりに先を行く彼女は、暢気気ままに商店を眺めては楽しんでいる。
自身が治める町にあれだけ喜ぶ彼女に呆れ半分、嬉しさ半分といった心境だった。彼女に呼ばれて店先に顔を出すたびに驚かれる。どうにも彼女があまりにも気安く呼ぶので、同姓同名の他人だと思われていたらしい。
その度に彼女が新しく入った使用人で、他国から来た者であることを伝えなければならなかった。
「スティーブン、次はあそこ! あの店が見たい!」
「おいトモエ、ちょっとは落ち着かないか?」
さすがに注目を集めすぎて恥ずかしくなったスティーブンがそう声をかけても「そんなの無理!」と駆け出して行ってしまった。領主を呼び捨てて引っ張り回す彼女は、自身が町の人間の注目を集めていることにちっとも気付かない。
――だが、そんなところが何故か非常に小気味良い。トモエはいつだってその行動でスティーブンを領主の重圧から解放してくれる。
「ここか?」
「うん、パン屋さんだって」
「それは知っているが。まぁ、確かに少し腹が減ったな」
店先でそんなことを言っていたら、奥から気の良さそうな店主が丸い顔を覗かせてこちらを観察している。顔が知られているスティーブンは、トモエに店のパンの値段と硬貨の種類を教える間、少々気恥ずかしい思いをしなければならなかった。
『おっちゃん、このパンはこのまま食べても美味しい?』
『うちのはどれも旨いよ坊ちゃん』
『坊……おいスティーブン! 笑うなよ!』
店内でのやりとりに、外で待っていたスティーブンが肩を震わせているのを目ざとく見つけたトモエが叫んでいる。
スティーブンが唇に指を当てると、声のトーンを下げて店主と話していた。あれだけ喋れるようなら大丈夫だろうと観察していたら、何を訊かれたのか首と手を全力で振って否定しているのが見えた。
店から出て来たトモエと近くのベンチに腰掛けて焼きたてのパンを並んで頬張る。口に入れて一口噛めば小麦とバターの甘味が口の中に広がった。確かに店主の自慢した通りの味だと二人で言っていたら、なんと店主がタダで牛乳をくれた。
「さっき店内で何を話していたんだ?」
「別に大したことじゃないけど――って、そうだ、お前笑うなよな!」
「いや、だが坊ちゃ……っく、くくく」
「笑うなってば!!」
力一杯背中を叩かれて前のめりになるが、笑いはおさまりそうもない。そうしてしばらく発作的な笑いが血液のように体中を巡っていくのを、スティーブンは止めることができなかった。
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昨日スティーブンと行ったブルネルは赤レンガで統一された町並みと、色とりどりの花で溢れる美しい町だった。あの日は結局何も買わなかったのだけど、代わりにパン屋の後に雑貨屋や刃物店、生地屋、花屋、材木店などを見て回った。
さてそろそろ帰ろうかと言う頃になって、スティーブンが最後にレンガとタイルを商う店を教えてくれたのだ。もっと早く教えろよと文句を言ったら「普通に町で過ごしたことがないからつい――」という可哀想な言葉を聞いてそれ以上責められなくなった。
けれどその店に連れて行ってもらったおかげで、先日閃いた庭の構想を形にできそうな物を見つけたのだ。
それが、今朝届いたこの真っ白な玉石と赤レンガ。
あと、途中の材木店で見つけた枕木っぽい角材。長い間雨晒しで痛んでいるからと結構安くしてもらえた。ちょうど良い朽ち方でなかなか侘しく見える。表面に焼きを入れてあるので中はまだ大丈夫そうだ。
ついでに水に強そうな樹皮を見かけたのでそれも安く仕入れる。
これで玉石が一輪車三杯分ほどと、赤レンガが六十、欠けた物を含めればもう少しありそうだ。角材はさすがに三本ほどしか手には入らなかったから使う場所を吟味しないといけないだろう。
樹皮はちょっと野趣のある生け垣にしよう。やりたいことができるのはこれが初めてだ。
この庭が完成した暁にはスティーブンとマーガレット、オリバーさんやエマさん達を呼んで皆でお茶会でもしてみたい。そんな気の早いことを考えながら私はスティーブンがやってくるのを待っていたのだった。




